Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

行為主をはっきりと示す受動態, 流れるような文章の書き方(2000年5月23日にBBCの取材クルーがイスラエル軍に攻撃されたこと)

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今回の実例は、Twitterから。

5月11日にパレスチナジェニン難民キャンプ*1に対するイスラエル軍の強制立ち入りを取材していて、イスラエル軍に撃たれて殺害されたアルジャジーラアラビア語)のベテラン記者、シリーン・アブ・アクレさんについての前回のエントリがまだ書きあがっていないのだが、この話題は当ブログではしばらく扱い続けていくつもりである(ただし、時間はかかるだろう)。

というのは、ひとつには、あまりにも拙速に進められたウクライナでの戦争犯罪の裁判でロシアの軍人が有罪判決を受けて終身刑が宣告されたことがトップニュースになっている一方で、シリーン・アブ・アクレさん殺害以降もパレスチナで続けられているイスラエルによる戦争犯罪と疑われる行為については、私が日常的にチェックしている英語メディアではほとんど報じられてすらいなくて、そういう不均衡は、「不均衡がある」ということ自体を記録し、示していかなければ、それがあるということすら誰も前提としないから。そしてもうひとつには、シリーン・アブ・アクレさんのご家族・ご親族がそれを望んでおられるから。

ツイート主のリナ・アブ・アクレさんはシリーンさんの姪御さんである。ハッシュタグ化されている "Justice for Shireen" は、「シリーンを殺害した者に法の裁きを」とか「シリーン殺害の事実関係の全面解明を」といった意味だが(「シリーンのために正義を」という日本語にするとちょっと変になると思う。というのは日本語の「正義」は「独りよがりの正しさ」「個人的な正義感ゆえの行為」までも含意するから)、ご親族がそれを求めているのは、この事件はただシリーンさん一人の殺害にとどまらず、集団としてのパレスチナ人にかかわることだからだ。これが解明されればすべての戦争犯罪が解明されるというわけではないが、これが解明されなければ、どの戦争犯罪も解明されないだろう。

ということで今回もまたこのトピックに関連して書くことになるが、シリーン・アブ・アクレさんのようにジャーナリストが「流れ弾に当たる」「銃撃戦や爆撃の巻き沿いになる」のではなく、狙って撃たれることは、実はさほど珍しいことではない。報道機関・報道関係者であることをPRESSと明示していたら攻撃対象にしてはならないことになってはいるが、そんなのお構いなしとばかりに行われる攻撃は、実はとてもたくさんある。シリーンさんが殺されたとの報を見て私が最初に思ったのは、2004年にガザ取材中にイスラエル兵に撃たれて殺された英国人ドキュメンタリー作家のジェイムズ・ミラーさんのことだったが、シリーンさんが殺された1年前の2021年5月には、世界中のメディアが「ハマスのロケットがぁぁ」と叫ぶ中で行われたイスラエルによるガザ爆撃で、ガザ市内のアルジャジーラとAPのオフィスが置かれていたビルが、「ハマスがなんちゃら」という口実のもと、軍事標的として攻撃されたイラク戦争の際のパレスチナホテル攻撃のように「誤射だ」という当事者の説明に多くの人々が納得しているケースもある。つい最近、この3月上旬にウクライナで英Sky Newsのクルーがロシア軍の攻撃にさらされたことは、一部始終が撮影された映像が公開されたこともあり、世界的に大きな関心を集めたが、その後もウクライナでは、ロシア軍がジャーナリストを撃ち殺すということが何度も起きている。中には行方不明になったあとで死体となって発見されるケースもある。彼らは「巻き込まれた」のではない。標的とされている。

ジャーナリストを標的とすることは、明確に戦争犯罪ジュネーヴ条約違反)なのだが、そうだからといってこのような攻撃が手控えられる様子も残念ながらうかがわれない。

これが21世紀型の戦争か……と嘆息したくもなるかもしれないが、実はこういうことは、21世紀になる前から行われてきた。今回みるツイートは、そのことについての英BBC記者のスレッドだ。

投稿主はBBC Newsの中東エディターであるジェレミー・ボウエン記者。この人については以前も当ブログで書いたことがあると思うが、中東報道のベテランで、1995年から2000年はエルサレムを拠点としていたし、そのあともレバノンベイルートなどから広く中東・アラブのニュースを伝えてきた。イスラエルによるガザ攻撃で最も規模が大きかったキャストレッド作戦のときは、イスラエルが攻撃(軍事作戦……冗談やロシアの言い方のパロディではなく、イスラエル軍はガザに対する武力行使を「軍事作戦」と呼んでいる)の間は報道陣をガザに入れないということが行われたが、その封鎖が解除されてまっさきにガザ入りした国際報道の記者の中に、ボウエンさんがいて、まだ血も乾いていないようなガザ地区から、ものすごい報道を重ねていた。今はウクライナからの報道を行っている。

そのボーエンさんの5月23日の連続ツイート。まずひとつ目: 

", long time driver/producer for the BBC in Lebanon," は《コンマ》で挟まれていることからわかるように《挿入》で、直前の固有名詞に対する説明を付け加えた部分で、文の骨格は "Abed Takkoush was killed by a shell fired at 1km range by an Israeli tank crew." となる。

この文が、見てわかる通り《受動態》なのだが、普通の受動態とは違う記述になっている。

「普通の受動態とは違う記述」というのは、受動態は多くの場合、行為主をあいまいにするか、行為主の情報を後置することでインパクトを和らげるために用いられるのだが、ここではその行為主がものすごく正確に、明確にされているからだ。

英語圏でも「文章の書き方指南」みたいなのは日本語圏と同様に(あるいは日本語圏以上に)熱心に行われるのだが、そのときに注意すべきものとして「受動態は曖昧である Passive voice is vague」というのがある。だから明確さが最重要となる事務的な連絡や指示などでは使うべきではない、という指南が、一般的ビジネス文書の「マナー」的な本にもよく書かれている。どういうことかというと: 

  The COVID rules were broken. 

これは「コロナ禍でのルールは破られた」としか言っていない。「まあ、ルールってのは破られるためにあるからねえ」とでも反応してしまいそうだ。誰が決まりを破っているのかを言わないので、一般論にしかならない。

  The COVID rules were broken by a lot of people. 

「コロナ禍でのルールは、多くの人によって破られた」で、これも「ふーん。まったくしょうがないねえ」と聞き流してしまうだろう。

  The COVID rules were broken by a lot of people, including the Prime Minister. 

「コロナ禍でのルールは、首相を含む多くの人によって破られた」。これも「ああ、なんだ、首相もか。あんまり真面目に守ってる人いなかったんだねえ」というような印象を与えるのではないか。

他方、これが能動態だと、最初のは行為主がそもそも明示されていないから能動態にしようがないのだが、あえて能動態にすれば:

  They broke the COVID rules. 

これは、主語のtheyがだれか特定の人々をさすという文脈がない限りは、受動態でも能動態でもなんかぼやけた文であることに変わりはない。

  A lot of people broke the COVID rules. 

これは「多くの人が」ルールを破ったことに重点が置かれ、「だからどうすべき」といった方向に話が行きそうな気配を感じさせる。

  A lot of people, including the Prime Minister, broke the COVID rules. 

これも上と同様だが、「多くの人が、さらにいえば首相までもが破った」のだから、という方向づけになる。

一方で、

  The Prime Minister broke the COVID rules.

こうなると「首相のくせにルールも守れないのか」という方向づけになる。これを受動態にすると:

  The COVID rules were broken by the Prime Minister.

で、これは英語にどのくらい接しているかで印象がかなり変わると思うが、「ルールも守れん首相って何なの」みたいに焦点がきゅーっと絞られているという印象が私にはある。

ボウエンさんのツイートの文面にある "Abed Takkoush was killed by a shell fired at 1km range by an Israeli tank crew." はそういうきゅーっとした印象のある文だ。

これは ""Abed Takkoush was killed by an Israeli tank shell." と書かれていたら、ぼやーっとしてしまう。それこそ「誤射だったんだろう」「運悪く巻き込まれたのだろう」という印象を引き起こすが、そういう読み方を許さないくらいに厳密に、誰がどのように砲撃したのかを端的に記述している。

つまり、直訳すれば「アベド・タコウシュさんは、イスラエルの戦車に乗っていたクルーによって、1キロのところで発射された砲弾によって、殺された」となるのだが、行為主が「イスラエルの戦車に乗っていたクルー an Israeli tank crew」であることが、細かく具体的な情報を挟んだあとの文末に置かれて強い印象を残す英文になっている。

その印象が強く残る中で、第2文が始まる。

They tried to kill cameraman Malek Kanaan and me with the tank’s heavy machine gun.

"They" は先行の "an Israeli tank crew" だ(crewは集合名詞なのでtheyで受ける)。これにより、このツイートの文章は流れるような響きを持って、読み手の頭に入ってくる。

「彼ら(イスラエル軍の戦車の乗組員たち)は、撮影担当のマレク・カナアンさんと私を、戦車についていた重機関銃で殺そうとした」。

文法的には《try to do ~》も注目点だ。つまり、イスラエル軍の戦車が、BBCのクルーを砲撃したあと、重機関銃で撃ってきたのだ。

第3文は、どのような理由でそんなことが行われたかを、攻撃者であるイスラエル軍の言葉を引いて簡単に説明している。

Their excuse - we might have been terrorists   

「彼ら(イスラエル軍)の言い分はこうだった――私たちはテロリストの可能性があった」。つまり、「テロリストだと思ったので撃った」である。

これが、2000年の今日、5月23日に、BBCの取材クルーに起きたことである。

【以下書きかけ】

 

 

 

 

 

https://twitter.com/BowenBBC/status/1528678630146158593



*1:以前も書いたが「難民キャンプ」とはいえ、人が暮らすようになって何十年も経っているので、見た目は「テント村」的なものではなく普通に街である。そこに住まう人々には、帰るべき土地があるのだが、その帰還が妨げられている――イスラエルによって。それが「パレスチナ問題」と呼ばれるもののコアにあるものごとの重要な一つである。

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