今日の実例はTwitterから。
10月22日、英国下院でまたもやBrexitに関する審議が行われ、もう話についていくのが大変で疲れたなあと思っていたころ、TwitterのUKのTrendsに "Comic Sans" という文字列があるのに気づいた。
"Comic Sans" は、Windows 95が出たときから内蔵されていたWindowsのフォントのひとつで、「世界で一番ひどいフォント」というようなネガティヴな評価が定着している。
今でこそWindowsはいろんなフォントを最初から搭載しているが、Win95や98のころは基本的なフォントしかなかった*1。最もよく使われる本文用フォント(見出しだけに使うような可読性低めのフォントではなく普通に読める文を組むためのフォント)といえば、役所からの通達みたいな書類に使える堅苦しい系のフォントであるTimes New Roman*2と、もうちょっとカジュアルな場面にも適したサンセリフ体(日本では「ゴシック体」と呼ばれる)のArialと、そして幼稚園や小学校で使える子供にも親しみやすいフォントのComic Sans MSだ。日本語環境ではそれらに加えて「MS明朝」や「MSゴシック」*3、およびそのプロポーショナル・フォントが入っていたが、まあ、細かい話はいい。
このComic Sans, 名前からわかるように、漫画のセリフの吹き出しの中に入っているようなフエルトペンの手書きっぽい風合いのサンセリフのフォントで、英語で同じ言葉を書いても、Times New Romanだと「ごきげんいかがですか」というニュアンスに感じられるものが、Comic Sansだと「元気?」っぽくなる、という効果があるし、そういう効果を狙ったデザインだ。
だからこのフォントで何かが書かれているとき、少なくとも大人の目では、それはシリアスに受け取れないという印象を受けるのがデフォである。
にもかかわらず、Windows 95や98が爆発的に普及し、WordやPaintを使って文書やロゴみたいなのを作れるようになったときに、この「ふざけたフォント」は看板やチラシという形で、街にあふれるようになった。フォントについての感覚がそなわっていないというか、フォントなんかどうでもいいという人々が、「Times New Romanでは堅苦しすぎるな」と感じたときに使うフォントが、これだったのだ。(というか、実際にはArialのほうが多く使われていたに違いないのだが、Comic Sansは「ここ、それ使うところじゃない!」っていう場面で多く使われていたので、非常に目立った。)
だから、Comic Sansといえば本来意図されていた用途である「子供向けの使用」みたいなことではなく、「場違いなところに突然出現」みたいなことで、ネット上で「ネタ」化されていった。
だが当時はまだブロードバンド普及前、常時接続などしていなかったころのことだ(ネットを使うには、その都度電話回線で電話番号に接続しており、電話の通話と同じ料金がかかった)。誰も彼もがネットを常用するようになる前の時代。
そのころネットをよく見ていたのはIT系の技術者だったりコンピューターを使って仕事するグラフィックデザイナーだったり、個人でウェブサイト(ホームページ)を運営するようなタイプの人だったりした。「パソコンは買ったけどメールの送受信をするくらいだ」とか「ワープロや表計算ソフトは使うがネットは使わない」といった人々とそういった人たちの間には見えない壁があり、ネット系の人々の間で盛り上がる「ネタ」は、その中だけで完結していた。
つまりComic Sansを「ネタ」として笑う一種の「文化」は、「ネットに詳しい人たち」だけのものだった。
そしてそういうことは、20年くらい経過した今でも続いている。常時接続の時代になろうがスマホの時代になろうが、「フォントなんか別に注目しないけど」という人は、フォントにこだわる人よりずっと多いと思われる。当たり前だ。普通、誰もそんなところ、気にしない。(そういう「言われなければ誰も気にしない」っていうようなところを仕上げて整えるのがデザイナーなど職人の仕事で、これはとても大切な仕事である。)
だから、10月22日の夜に次のようなツイートが英国の保守党のアカウントから流されたときに「なんだこのフォントは」的に反応したのは、「ネットに詳しい」系の人たちだけだった。そうでない人々は、フォントではなくそこに書かれている文を見るのだ。
Now is the time for MPs to back the new deal and get Brexit done.#GetBrexitDone pic.twitter.com/JuqaOVdlMC
— Conservatives (@Conservatives) October 22, 2019
誰が見たって醜い。職場で部下に書類を作らせたらこんなんだった、なんて日には、誰だって「もっとちゃんとしたの作れ」と言いたくなるだろう。でもこの文面がComic Sansで醜くデザインされていることは、ここに書かれているメッセージを伝えることを邪魔しない。「読みづらいな」「バカみたいだな」と思っても、"Get Brexit Done" という今の保守党の標語に、国会批判を絡めたこの文のメッセージが読めないということはない*4。
保守党のこのツイートに、「ネットに詳しい」系の人たちは「このデザインはひどい」と言って拡散する(自分で一言付け加えてリツイートする)という形で反応した。そしてそれは、いかに批判的な一言を付け加えていようとも、単に保守党のメッセージをそのまま拡散することになった。
Twitterにはもちろん、「気をつけろ、これは罠だ」と警告する人々もたくさんいた。今回実例として見るのはそういった警告のツイートのひとつである。(学習者は安易に使うべきではない汚い言葉も入っているが、あえて取り上げる。)
Posting in Comic Sans is a carefully planned social strategy. It's purposefully shit so you share it and say how shit it is whilst getting their shit message out.
— Joe Thomas (@producerjoe) October 22, 2019
So don't.
※文意を把握するときは、このshitはbadと置き換えるとよい。前者は後者に比べてニュアンスは比べ物にならないくらい強いが、意味は基本的に同じだ。
第一文:
Posting in Comic Sans is a carefully planned social strategy.
文頭の-ingは《動名詞》で「~すること」。前置詞のinは、speak in English, write in pencil, pay in cashなどのinの用法と同じで、《手段・方法・材料など》を表す用法。日本語にするときは「~で」「~を使って」だ。
この動名詞句がこの文の主語で、動詞はis. 文意は「Comic Sansで投稿することは~だ」の意味となる。
第二文の前半:
It's purposefully shit so you share it and say how shit it is
このsoの直後にはthatが省略されているので、それを補うと:
It's purposefully shit so that you share it and say how shit it is
この《so that ~》は《目的》を表す。「~するように」の意味だ。
Leave the door open so that the dog can come in.
(犬が入ってくることができるように、ドアを開けたままにしておいてください)
《so that ~》に続く節の中では、このように助動詞のcanやwill, mayが使われることが多く、学校で習う例文ではほぼ必ず助動詞が入っていると思うが、実際にはこの実例のように助動詞がないこともある。
続いて下線で示した "how shit it is" の節。このhowは感嘆文のhowと考えるとわかりやすいだろう。
How beautiful the dress is!
(そのドレスはいかに美しいことか)
というわけで、文意は直訳すると「それは、あなたがそれをシェアし、それがいかにひどいかを言うように、意図的にひどくしてある」となる。
第二文の後半:
whilst getting their shit message out.
whilstは接続詞で、whileとまったく同じ。「古語」とか「格式張っている」という説明もなされることがあるが、イギリス英語ではよく見る――このような卑語を使った文でも使われているくらいの語である。
自分で何かを書く場合はwhileを使えばよいだけの話だが、誰かが書いた文などにwhilstが出てきたときに戸惑わないようにはしておきたい。聞き取りも戸惑わないように。下記の辞書のページで発音記号と音声が確認できる。
ツイート末尾の "So don't" は「だからするな」ということ。"don't" の直後には "share (and say how shit it is)" が省略されていると考えると、何を言っているかがつかみやすいだろう。
このように、あえて「これはひどい」と人々に言わせるようなことを投稿するという手法はどこででも行われている。しかし、英保守党のようなところがそれをここまであからさまに、人をバカにしたような形でやっているのは、正直、びっくりした。もはや「品格もクソもあるか」という集団になってしまったかと驚きあきれている。
参考書:
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*2:名前からわかるように、英国の新聞The Timesのフォントである。日本でも2000年代くらいまでは英語の本文フォントといえば、教科書や試験問題なども含め、圧倒的にこれだった。とてもバランスがよいフォントなので、一気に何十ページも読んでも目が疲れづらい。
*3:「MS明朝」や「MSゴシック」は悪いフォントじゃなかった。ただし「MS P明朝」などはひどかった。そもそも日本語で「プロポーショナル」なフォントというのはちょっと意味わからなかった。
*4:その点、Comic Sansでのひどいデザインは、仮に読むにたえないものであっても、人々がほとんど読めないようにあえてデザインされているデスメタルなどのロゴとは方向性が全然違う。