このエントリは、2019年12月にアップしたものの再掲である。教える事項が多い学校では素通りしてしまうかもしれないが、こういう英語表現が正確に読めるようになるかどうかは極めて重要なので、重点的に見ておく必要がある。
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今回の実例は、TV番組での元政治家の発言から。
中曽根康弘元首相が101歳で他界した。この人といえば国鉄民営化とか労組つぶしとかいろいろあるのだが、私にとって最も鮮明に記憶に残っているのは「ロン・ヤス外交」とプラザ合意だ。それぞれの説明はここではしない。
日本から見ると「ロン・ヤス外交」史観になってしまい、そういうナラティヴ(語り口)は避けられないのだが、世界的に見ればあの時代は「ロン」こと米国のロナルド・レーガン大統領と、「マギー」として知られる英国のマーガレット・サッチャー首相の時代で、この人たちは現在に至る新自由主義の時代と社会と世界を作った人たちだ。
「新自由主義(ネオ・リベラリズム)」*1についてもここでは説明はしないが(そんなことをしていたら書き終わらないからだ)、かなり雑に要点だけいえば「改革」の美名のもと、「効率」などの美点を賞揚しながら国有財産を私有化し、人々の暮らしと生命の基盤となる社会的なインフラ(特に交通、水)をも、少数の誰かにとっての(巨額な)利潤を生みだすものに変えていこうという思想。つまり、現代の当たり前の思想だ。
それが「善」をもたらさないとは言わないが、それは「善」ばかりをもたらすわけではないわけで、いろんな人が「ちょっと待て」と声を上げている(ということは日本語圏ではほとんど知られてないかもしれない)。
15年くらい前まではここで「ちょっと待て」と言っているのは、英国では、たいがい左派だったのだが(極右の反ネオリベという人たちもいなかったわけではないが)、2010年代、特にこの数年は様相が変わってきた。
その変化を引き起こしたのは、2010年に単独過半数が取れなかったくせにリベラル・デモクラッツ (LD) *2と連立することで何とか政権を取ったデイヴィッド・キャメロンが推進した「市場開放」型の政策の数々である。キャメロンのネオリベ政策は非常に苛烈で、「マギーでもここまではやらなかった」というくらいのことをやっているのだが(それが「緊縮財政 austerity」という婉曲な表現で呼ばれている)、キャメロンがEU離脱という非常に複雑な問題の可否を非常に雑なレファレンダムにかけるという愚行のために退陣しなければならなくなったあとを受けたテリーザ・メイも、キャメロンの苛烈な政策を継承していた。メイは退陣する少し前に「緊縮財政はもう終わり」と宣言したが、メイのあとを受けたボリス・ジョンソンも、2010年以降の苛烈な政策で生じた数々の問題は放置する感じである。
これに際し、かつてマーガレット・サッチャーを支持し、「サッチャリズム」と個人名を冠して呼ばれた苛烈なネオリベ政策を推進し、サッチャー退陣後はその政策を継承していた保守党のベテラン政治家たちが、現在の保守党について、公然と異議を唱えるようになってきた。
彼ら保守党の重鎮たちの発言は、Brexitに関して行われるものが多いのだが、それに限らない。特に今は、12月12日投票の下院選挙(総選挙)の選挙運動中だから、Brexit云々は別として、ストレートに現在の保守党、つまりボリス・ジョンソンの保守党に対して批判的な発言となっている。
今回実例として見るのはそのひとつ。とっくの昔に政治の世界から完全に身を引いたが、公的な発言をやめたわけではないジョン・メイジャー元首相の発言だ。
メイジャーはサッチャー政権の閣僚として「小さな政府」への政策を次々と手がけたのち、党内でいろいろあったあとに外相、続いて財務相という超重要なポストに任用され、サッチャー退陣に伴って行われた保守党の党首選挙で党首となった。彼は若く(40代だった)、出世のスピードはとても速かったし、何より、基本的に上流階級のエリートが支配的である保守党においては異色の人物であり*3、たぶん党内では「期待の新星」「階級にこだわらない、新しい時代のニューリーダー」という見方をされていたのではないかと思うが、世間では「greyでdull」と呼ばれ続けていた。それでも一度は総選挙で過半数を取っているのだが(1992年)。
こんなことを書いてると書き終わらない。
そういうバックグラウンドを有するジョン・メイジャーが、現在、ボリス・ジョンソンの保守党がやろうとしていることについて、保守党のマニフェストがローンチされたときに、TVで次のようにコメントした。
Sir John Major on @Conservatives and the NHS.
— Deirdre Heenan (@deirdreheenan) 2019年11月25日
“The NHS is about as safe with them as a pet hamster would be with a hungry python”. #nickymorgan #NHSCrisis #ManifestoLaunch pic.twitter.com/KOdEydTWtD
"The NHS" はthe National Health Serviceのことで「国民健康保険」。英国も日本と同様の「国民皆保険」だが、英国では医療費の自己負担はゼロ。だから普通に病院にかかったり入院したりする分には、基本的に、財布もクレジットカードも必要ない(歯科・眼科は例外で自己負担がある)。出産もタダである。
そういう制度であるNHSが、キャメロン政権での苛烈な新自由主義政策以降、少しずつ、だが着実に崩されてきている。そしてボリス・ジョンソンはついに、このNHSを米国の民間企業(私企業)に「開放」すること(「売り渡す」こと)を考えているのだが、同時に国民に対しては「大丈夫、大丈夫、NHSは大丈夫」と繰り返している。
このNHSという英国の宝を守らねばならないということを選挙の争点にしている労働党のジェレミー・コービンは、ジョンソンの安請け合いを否定する証拠を入手してそれを公開している。
そういう社会的なコンテクストのなかで、ジョン・メイジャー元首相――彼も彼の前任者のマーガレット・サッチャーも、苛烈な新自由主義の推進者であったが、NHSには手を出さなかった――が行った発言が、今回の実例だ。上記ツイートに埋め込まれている映像(TVスタジオでのコメント)にある一言:
The NHS is about as safe with them as a pet hamster would be with a hungry python.
"them" は「現在の保守党」のこと。asの前のaboutは「だいたい」「約」の意味なので、読解のときはこれは外しても構わない(「ぴったり同じ」と言っているわけではないのでaboutを添えていると思われる)。
ここで用いられている《as ~ as ...》は、当ブログで何度か取り上げている《否定》の意味合いの同等比較の表現である。
過去記事は:
hoarding-examples.hatenablog.jp
hoarding-examples.hatenablog.jp
実例の文をもう一度みてみよう(aboutは外してみた):
The NHS is as safe with them as a pet hamster would be with a hungry python.
この文は、頭から読むと、「NHSは彼らに任せておいて安全である」と読めるが、2番目のasの後の部分が「ペットのハムスターを、腹をすかせた大蛇と一緒にいさせておいたときに安全なのと同じくらい」という意味なので、要は「きわめて危険だ」ということを言っている。
英語のこのロジックはなかなかわかりづらいようで、時にはこの表現を「文学的」だの「衒学的」だのとレッテルを貼り、「ネイティブはこんな表現はしない」みたいなことを言う人すらいるが、全然普通に使われるロジックである。
ロジックを説明しておこう。例えば、"Tom is as tall as Jim." という文は、「トムはジムと同じくらいの背の高さがある」という意味なのだが、「トムはジムと同じくらい背が高い」と日本語にしてしまうと、「トムは背が高い」「ジムは背が高い」とい思い込みが生じてしまうわけだ。実際には、トムとジムの背の高さが190センチでも、150センチでもありうるわけで、必ずしも「背が高い」とは言えない。tallは「背が高い」ではなく「背の高さがある」という意味だということを確認しておかないと、読解を誤ってしまう可能性がある。"Tom is tall." は「トムは背が高い(長身だ)」と述べているが、"Tom is as tall as Jim." になると、「背が高い」とも「背が高くない」とも述べていない。
ここで実例の文に戻るが、"The NHS is safe with them." なら「NHSは彼らに任せておけば安全だ」の意味である一方、"The NHS is as safe with them as ..." となると「安全だ」とは必ずしも言っていないということを判断しなければならない。そして、この2番目のasの後を見ると:
a pet hamster would be (safe) with a hungry python
かわいい愛玩動物のハムスターが、腹をすかせた大蛇と一緒にいて「安全」であるはずがない。この場合、「安全」度はゼロか、あるいはマイナスである。
NHSを彼ら(ジョンソンの保守党)に任せるのは、それと同程度に「安全」である、とメイジャー元首相は述べているわけだ。つまり、「安全」度はゼロか、あるいはマイナスである、と。
これで、文のどこにも否定語(notなど)がないのに、意味合いは否定的というロジックは、おわかりいただけたと思う。
練習問題として、次の文を考えてみよう。
Mr Suga is as trustable as Mr Abe.
この場合、「スガ氏もアベ氏もどちらも信用に足る人物である」か、「スガ氏もアベ氏もどちらも信用など到底できない人物である」かは、この文だけではわからない。それを判断するためには文脈が必要である。英文は単独では訳せないというのは、こういうことである。
ちなみに日本語の場合は、ここでsafeという語を持ち出さずに、「~みたいなもの」などで済ませるだろう。「彼らにNHSを任せるなんて、かわいいペットのハムスターを腹をすかせた大蛇に任せるみたいなものだ」というように。
メイジャーは1997年の総選挙で、文句なくフレッシュでカリスマ性のある政治家だった労働党のトニー・ブレアに敗れて保守党党首から退き、しばらく平議員をしたあと、次の2001年の選挙に出馬せず、引退した。英国では議員を長く務めた人などは一代貴族に任ぜられることが多いのだが、メイジャーはそれは固辞しており、「サー」の称号は受けているものの、上院議員(貴族)ではない。メイジャーの引退後の発言機会は講演会かメディアに限られるのだが、Brexit以降、以前よりずっと発言を目にすることが多くなった(というより、Brexit前は忘れ去られていたと言ったほうがよいのかもしれない)。統一通貨ユーロに関する態度など、興味を持って調べればおもしろいところがいろいろある政治家ではある。個人的には、北アイルランドに関してこの人の功績は決して見過ごせないと思う。
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