今回の実例も、前回と同じ記事から。
前回はこの記事の中の方から見たが、今回は書き出しの方を見てみよう。この記事、書き出し部分がなかなか文学的で読むのが大変かもしれないが(短い記述に情報量がてんこ盛りになっている)、「わからない」と思ってもそこで立ち止まらずに先に読み進んでみてほしい。先に進んだところで話がふっとわかるようになることも、英語圏の新聞記事にはよくあることだ。
記事はこちら:
キャプチャ画像の3パラグラフ目:
Going out for dinner, let alone voting in a national election, would have seemed almost inconceivable weeks earlier when the coronavirus threatened to exact the same relentless toll on South Koreans as it has in the US and parts of Europe.
やや長い文だが、どれが主語でどれが動詞か、わかっただろうか。
それぞれを太字にして示すと次のようになる。
Going out for dinner, let alone voting in a national election, would have seemed almost inconceivable weeks earlier when the coronavirus threatened to exact the same relentless toll on South Koreans as it has in the US and parts of Europe
より具体的にいうと、文頭のGoingからwould haveの前までが主語(主語になっている名詞句)である。
文頭の "going" は《動名詞》で、この部分の意味は「食事をしに出掛けること」。
そのあと、下線で示した《let alone ~》は「~は言うまでもなく」「ましてや~など(ない)」という意味。これは20年ほど前に日本で起きた「受験英語に対する攻撃」の中で「実際にネイティヴが使わないのに日本では高校生が丸暗記を強いられている」みたいなことを言われてやり玉に挙げられた表現の筆頭格だが、ここで見た実例のように、実際に使われている。使われているのだが、学校などで習う機会はないし、問題集でも接していないし、辞書を参照してもわかりづらくて、実例を見たら戸惑ってしまうということもあるかと思う。そういう場合も、実例を見るたびに「こういうふうに使う」ということを自分で蓄積していけば、しばらくたてば戸惑わなくなるだろう。
というわけで、"Going out for dinner, let alone voting in a national election," は「食事をしに出掛けることは、そして、ましてや国政選挙で投票するなどということは」という意味になる。
次、動詞の部分。"would have seemed" は《仮定法過去完了》だ。この文は《if節のない仮定法》の文である。その消えているif節の意味合いは、少し後の方にある "weeks earlier" に込められている。「数週間前ならば」。
seemという動詞は、seem to do ~の形でよく見ると思うが、この実例のように《seem + C》という形も頻繁に用いられる。「Cのように見える」の意味だ。
The cat seems very pleased after dinner.
(猫は食事をして、とても満足そうな様子だ)
"almost" は「ほとんど~」の意味だが、これがなかなかわかりづらいようで苦戦する人が多い。「ほとんど~」とは、要するに、「ぎりぎりで~ではない」ことを言う。
His plan sounded almost impossible to carry out.
(彼の案は、ほとんど実行不可能なように聞こえた)
これは「ひょっとしたら可能かもしれないが、まず無理じゃないか」くらいの意味だ。
"inconceivable" はconceivableに否定の意味の接頭辞、in-をつけた対義語である。conceivableは、動詞のconceiveから派生した形容詞で、conceiveは(多くの大学受験生は山のように出てくる「con-なんとか」という単語のひとつとしてうーんうーんとうなるのではないかと思うが)「想像する、考える」といった意味。つまりconceivableは「想像できる、考えられる」という形容詞で、inconceivableはその否定形、つまり「想像できない、考えられない」だ。
というわけで、"almost inconceivable" は「ほとんど想像できない」。
ここまで、"Going out for dinner, let alone voting in a national election, would have seemed almost inconceivable weeks earlier" は、「食事をしに出掛けることは、そして、ましてや国政選挙で投票するなどということは、数週間前ならば、ほとんど想像できないように見えていただろう」という意味になる。
このあとにwhenで始まる節が続いているので、この文は長くなっているのだが、このwhenは "weeks earlier" を先行詞とする《関係副詞》だ。
... when the coronavirus threatened to exact the same relentless toll on South Koreans as it has in the US and parts of Europe
この記述がまた文学的で読みづらいかと思う。ガーディアンは英国の新聞で、英語圏と欧州の英語話者の間で多くの読者を持っているが、読者が知っていることと、遠く離れた東アジアの異国のことを結び付けて語り、読者の関心を呼ぼうとしているので、このような、うちら東アジアの者にとってはやや唐突な、「それ、いらんやろ」という情報が入ってくるわけだ。
この部分の意味は、「新型コロナウイルスが、現在米国や欧州の一部で見せているのと同じような情け容赦のない死者数を、韓国人の上にももたらそうとしていたとき」ということになる。
だが実際にはそうならなかった(韓国は感染拡大の封じ込めに成功した)ことで、その方法と体験がこうして英語圏で広くシェアされ、広く参照されているわけだ。
韓国が「韓国特殊論」に走らなかったことは、高く評価されるだろう。
参考書: