今回の実例は、報道記事から。
新型コロナウイルスやそれが引き起こす感染症のことを簡略化して呼ぶ場合、日本語圏では「コロナ」と言うことが定着してきたが、英語圏では "Covid" と言う/書くことが一般化している*1。例えば、日本語で「コロナの患者」と言うところは、英語では "a Covid patient" と言うことが多い。
形容詞と化したこの "Covid" は瞬く間に汎用性を獲得し、医療の現場でも症状をいうときに "Covid toes" や "Covid cases" などと表現するようになっているほか、批判や揶揄を目的とした造語である "Covidiot" (= Covid + idiot, 「新型コロナウイルス感染症のリスクを気にしない愚か者」の意味) まで作られ、使われている*2。
今回見る記事は、そのような "Covid" という新造語に関するものである。内容は日本語でも報道されているから、既に知っている方も多いだろうし、まだ知らないという場合もまず日本語の記事に目を通しておくとよいかもしれない。
ただし一点、大きな違いがあって、日本語記事では「男性」と断定されている点が、今回見る英語記事では言及されていないということだ*3。「英語は代名詞で必ずheかsheを使うことになっているので、性別への言及がないということはありえないのではないか」と思った方は鋭い。今回はまさにその点に注目して、英語記事を読んでみることにしよう。
記事はこちら:
見出しに引用符つきで「いわゆる」のニュアンスつきで表記されている 'Covid party' が、日本語では「コロナパーティー」とされている。
この「伝染病パーティー」というのは、伝染病にかかったことがわかった人のところにみんなで集まって、病気を意図的にうつしてもらい、免疫を獲得しようという行動のことで、新型コロナウイルス/COVID-19とは関係のない感染症(例えばはしかなど)でも行われることがあるが、どの病気だろうと無鉄砲な行動だ。
実例として見るのは、記事の最初のほう。
最初の文:
A 30-year-old patient died after attending a “Covid party”, believing the virus to be a hoax, a Texas medical official has said.
記事見出しにも使われているが、太字にした部分の《年齢の表し方》に関する表現は、とても基本的なものだが、実際に使えるかどうかというと微妙、ということが多いので、見たときにしっかりと確認しておきたい。
前も説明したが:
基本的な表現は下記の通り。
アダムは9歳だ。 Adam is nine years old.
アダムは9歳の男の子だ。 Adam is a nine-year-old boy.
上の例文では、nine years oldとyearが複数形になっているが、下の例文ではその複数のsが取れて、各語をハイフンでつないで結合し、形容詞として機能させている。
複数の単語をつなげてひとつの語とする《複合語》では、正式な表記ではハイフンを使って語と語を連結することになっていることが多い(略式の表記ではハイフンなしで単なる単語の羅列でよいこともある)。その点、ウィキペディア日本語版にも解説があるので、そちらを参照されたい。
下線で示した "believing" は《分詞構文》を導く現在分詞。《believe ~ to be ...》は、意味的には《believe (that) ~ is[are] ...》と同じで、「~が…であると信じる」。
一方、その前にある、青字で示した "attending" は《動名詞》だ。その前の "after" が前置詞で、ここは《前置詞+動名詞》の構造になっている。
この文は直訳すれば「30歳の患者が、ウイルスはでっちあげだと信じて『コロナパーティー』に参加した後で死亡したと、テキサス州の医療当局者が述べた」となる。
次の文がその当局者の発言そのものを文字化した部分で、引用符を使ってこう書かれている:
“Just before the patient died, they looked at their nurse and said ‘I think I made a mistake, I thought this was a hoax, but it’s not,’” said Dr Jane Appleby, the chief medical officer at Methodist hospital in San Antonio.
この文をぱっと見たときに、太字にした代名詞のthey, theirに違和感を感じなかっただろうか。
通例、theyは3人称複数の名詞を受ける。人であるか物(人以外)であるかは関係ないし、性別も関係ない。
John and Edward are brothers. They live in the city.
(ジョンとエドワードは兄弟である。彼らは町に住んでいる)
You know Mr and Mrs Jones, don't you? This is their daughter, Emma.
(ジョーンズ夫妻はご存じでしょう? こちら、娘さんのエマちゃん)
I bought some apples at the store, but left them on the bus!
(店で林檎をいくつか買ったのだが、バスの中に置き忘れてきてしまった)
ただし今回の実例のこの文には、3人称複数の名詞はどこにもない。もう一度見てみよう。
Just before the patient died, they looked at their nurse and said ‘I think I made a mistake, I thought this was a hoax, but it’s not’
先行する3人称の名詞は、"the patient" だけだ。3人称単数である。
実はこのthey, theirはこの3人称単数の名詞を受けている。
この場合、伝統的には、英語ではheまたはsheを使うことになっている。今だってもちろんそれが規範だ。しかし、そのような形で、「男か女か」というバイナリー(二者択一)の性別を示すことが果たして常に必要なことなのかという疑問が近年出てきていて、それに応じるように、「3人称単数を受け、性別を特定しない代名詞」として、元々複数を受ける代名詞であるtheyが使われることが、少しずつ行われるようになってきている。
ここでテキサス州サンアントニオのメソジスト病院の医長、ジェーン・アップルビー医師は、患者の性別を男女のどちらかに特定する必要はないと判断したのだろう。あるいは亡くなった患者自身が、自身の性別を男女のどちらかに特定されることを拒否していたのかもしれない。そのどちらかはこのテクストからはわからないし、読み手としてはそこまで詮索する必要は全然ないのでどうでもいい。重要なのは、「彼」あるいは「彼女」と特定しないで誰かを指すということが、英語でもこういうふうにできるようになりつつある、ということだ。
日本語は代名詞を使わずひたすら「〇〇さん」や「△△部長」、あるいは「店長」などと表していればいいし、代名詞の「彼」「彼女」は日常ではあまり使わなくて*4、代わりに「あの人」みたいな表現を用いることが多いので、「代名詞で性別が特定される」ということは英語のようには大きな問題にならないのだが、それゆえに、よほど注意深くアンテナを張っていないと、そういう問題があるということすら知らずに過ごしてしまうかもしれない。
今回のこの実例のようなものは、「今はそういうふうになってきている」ということを認識していないと、「元の英語が間違っている」と思い込んでしまいかねないのだが、実際に言葉は変化しつつある(変化させられつつある)。
ちなみに学術論文や法的な文書などではかねてから、"s/he" や "he or she" といった形で性別の特定をしないで3人称単数を表してきた。それが一般に広まらず、"they" が単数についても用いられるようになっているということについては、個人的にいろいろ思うところはあるが、「私が思うところ」などはどうでもいい。
重要なのは実際に言葉がどう使われているかである。
※4006文字
参考書: