Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

性別を特定しないとき、また、特定する必要のないときに用いられる3人称単数の代名詞they(事故報道)

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簡単にささっとメモだけ。

6月26日の午後、BBC Newsのトップページをチェックしたら、次のような見出しとリード文があった。リード文に注目してほしい。

"The unnamed airport employee died after they were "ingested"into an engine, ..." 

太字にした《代名詞のthey》とそれに対応するbe動詞のwereは、教科書通りに言えば、3人称複数を受ける代名詞である。この代名詞が何を受けているかは、先行する3人称複数の名詞を探して判断すればよい。

では、ここでは3人称複数の名詞があるかというと、ない。先行しているのは "The unnamed airport employee" という3人称単数の名詞である。

タイプミスで複数形のsが落ちているのではないかと考える人もいるだろうが、ここではそうではない、ということも、今見たキャプチャ画像だけで判断できる。どこを見るかというと見出しだ。

US worker dies ... 

主語が "worker" と単数で、動詞が "dies" と3単現の形になっている。つまり、リード文の "The unnamed airport employee" は、タイプミスで複数形のsが落ちているのでははい。

というところでおわかりだろう。

このリード文の 'after they were "ingested"into an engine' の 'they' は、最近とみによく目にするようになってきた《性別を特定しない3人称単数代名詞》である。

このtheyは、多くの場合、雑に「LGBTQの文脈で用いられる」と認識されている*1。実際、ノンバイナリ―、ジェンダーフルイドといった性自認ジェンダーアイデンティティ)の人々が、「自分について3人称の代名詞を使うときは、heやsheではなくtheyを使ってほしい」と言っているのが一番目立つのだが*2、実はそうとは限らない。それを示しているのが、今回見ているBBC Newsの記事見出しとリード文である。

このニュースは、非常に残念で悲惨なニュースなのだが、米国の空港で、従業員が、作業中にエンジンに吸い込まれて亡くなってしまった、というニュースである。

その従業員について男女の別を特定する必然性も必要性もないので、報道機関は性別を明示しない3人称単数の代名詞としてtheyを使っているのである。

日本語はその点便利で、元々、同じ名詞を繰り返して使うことが不自然でなく、したがって代名詞は使わなくてもいい(むしろ使わない方が日本語らしい)。このケースなら「アメリカの空港で、従業員が飛行機のエンジンに吸い込まれて亡くなるという事故が発生しました。従業員はエンジンの清掃作業をおこなっていたということです」というように、代名詞を使わず「従業員」と言うのが自然な文体になるはずである。

あるいは、亡くなった方のお名前が公開されている場合は(このケースではお名前は公開されていないようだ)、「アメリカの空港で、従業員が飛行機のエンジンに吸い込まれて亡くなるという事故が発生しました。亡くなったのは〇〇空港に勤務する△△さんです。事故当時、△△さんはエンジンの清掃作業をおこなっていたということです」というように、単に名前を繰り返して言うのが自然だ。

だが英語では、このように同じ語句を立て続けに繰り返すのは不自然である。だから代名詞を使うのだし、特に報道の文体ではこの「繰り返しを避ける」ということについてはほぼ職人技のようなことがおこなわれ、本ブログで何度か取り上げているように、その人の属性で言及するなど、工夫を凝らして同じ語句の繰り返しを避けるのである(例えば「リオネル・メッシ」だったらば、最初は名前を言い、次は「そのアルゼンチン人」「その36歳の人物」「バロンドール7回受賞者」、7月以降ならば「PSGを辞めたばかりのプロ・フットボーラー」「米国リーグの新人」などと次々と言い換えられるのが常である)。

名前が公開されていれば、英語でも、報道ではその名前に応じた代名詞が使われるのが常で、例えばJohnさんなら "he" だし、Maryさんなら "she" といったようになるだろう。本人が「自分の代名詞はこうしてほしい」と言っていたならば、その代名詞が使われるだろうが、著名人のニュース*3は別として、一般的な事件・事故で3人称単数のtheyが用いられるのは、この記事のように、当人の名前も明かされていなくて性別を特定する鍵が何もない場合、日本の報道なら実名が出されず「従業員」「整備工」「空港内の車両運転手」といったような呼び方がされているような場合に限られるだろう。今後、変わっていくかもしれないが……。

実際に、さきほどキャプチャ画像で見出しとリード文だけを見た記事そのものを見てみよう。

www.bbc.com

冒頭から3パラグラフ(というかBBCは1センテンスごとに改行するというスタイルなので3センテンス): 

An airport employee has died after being sucked into a passenger plane engine in Texas.

The worker was "ingested" into the engine of a Delta plane that was taxiing towards its gate with one engine turned on, officials said.  

The worker's employers say an initial investigation shows the incident was unrelated to safety procedures, but it is not yet clear how it happened. 

...

教科書通りの不定冠詞と定冠詞が確認できるが、英語としてはかなりぎこちなく見える。最初に "An airport employee" と不定冠詞で提示したものを、次には "The worker" と定冠詞で表すのは通常のことだが、その直後にまた "The worker" が繰り返されているのがぎこちない。

亡くなった空港従業員の名前が公開されていれば、この2つ目の "The worker" にはその名前が入っているはずだ(この書き方の流儀は、英語の報道記事の読み方の初歩として訓練するポイントのひとつである)。それならば「自然な英文」と感じられるのだが、ここではそうではない。

この時点で予測されるように、もう少し下に行くと、亡くなった従業員の名前が公開されていないことが記述されている。

Officials have not yet named the employee of Unifi Aviation, which Delta Air Lines contracts for ground crew operations,

亡くなったのは、定冠詞つきで書かれている "the employee of Unifi Aviation" だが、その人の名前はこの時点では公表されていない。

名前がわかっていれば、現代の英語ではほぼ自動的にheかsheが用いられるところ、それがわかっていないので、theのついた普通名詞 (worker, employee) で表しているのである。

その《theのついた普通名詞 (worker, employee) 》を、トップページに置くリード文という限られたスペース内で、代名詞で表さなければならないときに、《性別を特定しない3人称単数代名詞のthey》が用いられるのである。

 

余談だが、かつて英語では、このように「性別がわからない、または性別を特定する必要のない3人称単数」を代名詞で表さねばならないときは、問答無用で "he" が用いられていた。一般に「人」を言う名詞はmanであったし、それを受ける代名詞がheであることに不自然なところはなかった。

だが、それに疑問を覚えた人はいっぱいいただろう。

私も高校生のときに、問題集に載っていた古典的テクストでそういう代名詞の用法に接して「変なの」と思っていた。

同級生や教師で男という性別を持っていた人たちは、「そんな変なところに疑問を抱いている暇があったら、僕なら単語の一つでも覚える(覚えなさい)」と、こちらをバカにしたように言っていた。

そう言う同級生よりかは私は英語はできた。しかし、そう言う同級生はとっとと学校推薦で進学先が決まって、私は2月まで受験勉強していた。そして私は、そのことに疑問を抱いていなかった。英語で「人」はmanを使い、その代名詞にはheを使うということには疑問を抱いていたのに*4。文句を言っている暇があるのなら、自分の将来がかかった試験で1点でも多くとるために勉強しなければならないというのは、自己啓発のモチベーショナルなフレーズではなく、単なる現実だった。それしか見えないくらい、目の前にどーんと置かれている現実だった。

格差というのは、そういうことである。構造的格差というのは、見える人にしか見えない。

そしてその構造的格差を見る人は「余計なことを見ている暇人」とバカにされる。誰によって?

 

「からかう」者の責任回避効果を強化するために使用されるもう一つの手段が、発言内容の匿名化である。「誰もがそう言っている」「皆そう思っている」など、他の人もそう思っているということを強調すれば、悪口を言っているのが自分だけではないと脱個人化できる。  

たとえば、一般に「皆、自分自身の利益のために生きている」と信じられているので、「世のため他人のために献身している」強調する政治家や社会運動参加者を「からかう」には、誰もが持っているはずの自己利益を優先する動機を彼らにあてはめるのが、もっともよくとられる方法となる。「貧困をなくそう」としている政治家の本心は、「次期選挙での当選」にあるというわけだ。「真面目に」一生懸命何かに打ち込んでいる人は、「冷やかし」の対象になりやすいのだ。

フェミニストはなぜ「からかわれる」のか? 「からかい」という行為のズルい構造(江原 由美子) | 現代ビジネス | 講談社(4/7)

 

なお、ノンバイナリ―、ジェンダーフルイドといった性自認ジェンダーアイデンティティ)の人々が使う、因習的な「男・女」の区別によらない3人称単数の代名詞はtheyのほかにもある。大手メディアなどではtheyを採用することにしているようだが、それ以外の、neopronounと呼ばれる代名詞についても、これからの英語世界を見てその世界に生きる人なら、一通り頭に入れておいて損はないと思う。

en.wikipedia.org

 

※本文部分は約5000字

*1:「雑に」というのは、「LGBTQ」の中で「男か女か」の因習的二項対立に違和感を感じている人々は限られているときに、「LGBTQ」という文字列をひとつのまとまりとして扱うことに違和感を感じない、ということについて。

*2:だからこの、3人称単数のtheyについては「wokeである」という声高な非難が英語圏ではよくみられる。実際には、14世紀から使われている用法で、現代でも誰もが無意識のうちに使ってきているというのだから、新たな意識変革によって創造された新しい用語法ではなく、したがって "woke" ではなかろう。

*3:最近では、俳優のエズラ・ミラーのニュースで3人称単数のtheyをよく見た。例えばこちらのNYT記事、普通に実用レベルで英語を読める人にはわかるように、「映画製作陣」を受ける3人称複数のtheyや、「世間一般の人々」を言う3人称複数のtheyと一緒に、ミラー個人を受ける代名詞の3人称単数のtheyが出てきている。例えば、 "They first made headlines in March 2022 when they were arrested and charged with disorderly conduct and harassment during a visit to Hilo, Hawaii. They were accused of yelling obscenities and behaving erratically toward patrons at a karaoke bar. And it turned out that was the latest episode in a pattern: The assistant police chief noted that Miller had been the subject of 10 complaints in the previous month.  A few weeks later, they were charged with second-degree assault, accused of hurling a chair and injuring a woman after being asked to leave a home in Hawaii." のくだりで太字にした部分は全部、ミラーを表す代名詞または名詞である。

*4:変な人に絡まれるのを予防するために書いておくが、これは1980年代の話であり、そういう疑問を抱いた私は図書館でボーボワールの『第二の性』の文庫本を借り、etc etcしたのである。あと、当時「historyはhis storyである」という、「誰がうまいこと言えと……」的な箴言が流行っていて、それを真に受けるほど私は素直ではなかったが、その言葉で、今でいう「解像度」が変わったことは確かである。

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