今回の実例は、世界中で大きなニュースのひとつになっているローマ・カトリック教会のフランシスコ(フランチェスコ)教皇の発言から。
まず最初にお断り申し上げておくと、私はキリスト教の信仰は持っていない。もっといえば、英語圏で「信仰 faith」とされているものを持っていない。聞かれれば「仏教徒だ」と答えるが、non-practicing Buddhist, つまりいわゆる「葬式仏教徒」であり、日常生活の中で儀式・儀礼としてやっている行動のなかには仏教由来のものがあるかもしれないが、深く考えて、あるいは深く信じてやっているわけではない。だから私が悪気なく書くものは個人的に信じていることに基づいているのではなく、深い理解に基づいているわけでもなく、それゆえに人によっては不快に感じられるかもしれない。そのようなことがあっても、私には悪意・害意はなく、私は私の限られた能力・リソースの中でベストを尽くしているということをご理解いただければと思う。
さて、フランシスコ(フランチェスコ)教皇だが、そのお名前は英語ではPope Francisとなる。「フランチェスコ」はイタリアの男性名で、ローマ・カトリック教会は地理的にはイタリアの中にあるのでイタリア語の読み方をするのが通例だが、教皇はアルゼンチンの方で母語がスペイン語なので、この名前のスペイン語形である「フランシスコ」も使われる。一方、同じ名前が英語では「フランシス Francis」となるので、英語報道記事では Pope Francis という綴りが使われる。
このように、1つの名前に言語ごとの読み方があるというのはヨーロッパあるあるで、世界史に出てくる「カテリン」が実は「カトリーヌ」で「キャサリン」であり、「ヘンリー」は「アンリ」で、「ヴィルヘルム」は「ウイリアム」といったことで混乱したことがある人は少なくないだろう。英語圏の人と大航海時代の話をしているときに、"Prince Henry" というのが出てきたら、それは「エンリケ航海王子」のことなのだからややこしい。
聞くところによると、カトリックの洗礼名の場合は1つの名前をそれぞれの言語圏に応じた名前で読むという。だから洗礼名が「フランチェスコ」というイタリア人は、スペインでは「フランシスコ」と呼ばれ、英国では「フランシス」、フランスでは「フランソワ」、ドイツでは「フランツ」と呼ばれることになる。「フランソワーズ」というフランス人はイタリアに行けば「フランチェスカ」だ。
そのフランシスコ(フランチェスコ)教皇のドキュメンタリーが、10月21日(水)にローマでプレミア上映され、その中にあった教皇の発言が世界的なニュースになっている。今回見るのはその発言の英語での文面。多くの報道記事にそのまま引用されているが、ここではアイリッシュ・タイムズの記事を参照する。記事はこちら:
本題に入る前に述べておくが、教皇が支持した "civil union*1" は「婚姻関係」ではない。日本では、西洋諸国で最初にcivil partnership[union]が導入された際に「事実上の同性婚」と説明され、それが「同性婚」として一人歩きしたという経緯があるが*2、その簡略化が許容されるのはキリスト教の「神」とは関係のないcivilな領域の話をする場面だけで、「神」が関わるときはしっかり別のものとして区別する必要がある。なぜか。
現代の日本では、「結婚」というと「籍を入れる」という戸籍制度の話で宗教の話ではないが、キリスト教圏では「結婚」は(おおむね)宗教的なものだからだ*3。結婚は、基本的に、キリスト教では「サクラメント」(宗派により「秘蹟」または「秘跡」、「礼典」などいくつもの訳語がある)、つまり「キリストの奇跡を目に見える形で現在化する特別な儀礼」(ウィキペディア)である。
キリスト教には、神が人間を創造したときに男(アダム)の肋骨から女(イヴ)を作り男の伴侶としたという神話がある。これはつまり、元々1つのものであったある男とある女が、この世に生まれたときには2つに分かたれていても、やがて1つになるということで、人はひとりひとり神が創造するという前提に立てば(←ここ重要)、「結婚」とは、神がつくった男と、神がそこから分けてつくった女の間のことである*4。それは、人がこの世での便宜のためにすることではないし、この世の制度によってすることではない――大雑把にいえば、これがキリスト教での結婚についての考え方である。
そして英語では、この世の制度によってすること、宗教と対置されるものをcivilという形容詞を使って言う。例えばメリアム・ウェブスター辞書の定義文に次のようなものがある(下線部は引用者による):
civil
4. of, relating to, or involving the general public, their activities, needs, or ways, or civic affairs as distinguished from special (such as military or religious) affairs
got married in a civil ceremony
こういったことを見れば、教皇という宗教者(宗教指導者)が "civil union" という言葉で語っているときに、それを勝手に「結婚」と言い換えてはならないということの理由がわかるだろう。
というところで本題。
キャプチャ画像内の3番目と4番目のパラグラフの引用符の中が、フランシス教皇の発言である。まず第3パラグラフ:
“Homosexual people have a right to be in a family. They are children of God and have a right to a family. Nobody should be thrown out or be made miserable over it,” he said.
"a right to" が2度出てくるが、前者(黒太字)と後者(青太字)とは同じものではない。前者は《a right + to不定詞》で、後者は《a right to + 名詞》(このtoは前置詞)である。rightはそれ自体が多義語なのでよけいにややこしく感じられるかもしれないが、これは(幸いなことに)どちらも「権利」の意味。というか、整理しておくと、「~の〔~する〕権利」の意味のrightは次の3通りの形が可能である。
《a right + to不定詞》「~する権利」:
a right to vote 「投票する権利、投票権」
《a right to + 名詞》「~の権利、~への権利」:
a right to freedom of speech 「言論の自由を享受する権利」
《a right of + 名詞・動名詞》「~の権利、~する権利」:
a right to privacy*5 「プライバシー権」
a right of access to personal data*6 「個人情報へのアクセス権」
a right of making mistakes*7 「間違いをおかす権利」
ここでは教皇は、《a right + to不定詞》の形を使って、「同性愛者は家族の中にいる(家族の1人となる)権利を有する (Homosexual people have a right to be in a family)」と述べ、その直後で《a right to + 名詞》を使って「彼らは神の子供たちであり、家族を持つ権利がある」と述べている。ほぼ言い換えのような形だが、元が英語での発言でこの通りに語っておられるのか、それともこれはイタリア語(教皇が普段お使いになる言葉)から英語への翻訳なのか、探しても映像で確認できるものが見当たらなかったのでわからなかった。
と、ここで4000字になってしまったので、続きはまた次回に。
資料集:
件のドキュメンタリー映画の予告編:
Francesco Documentary 2020 Trailer
映画公式サイト。イタリアおよび北米でのオンライン上映の日程など。日本から視聴が可能かどうかは確認していない。
映画について告知するヴァチカンニュース:
IMDB:
アイルランド、RTEのニュース:
参考書:
*1:civil partnershipとも。
*2:そのため、例えばエルトン・ジョンのような著名人が英国での制度開始直後にcivil partnershipを結んだことが「同性婚」と表現され、さらにその後、英国でsame-sex marriageが認められて結婚したときも「同性婚」と表現される、というかなり混乱した状況が生じている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Marriage#Christianity および
https://en.wikipedia.org/wiki/Christian_views_on_marriage
*4:この直前に書いた「前提」を読み飛ばし、この部分の記述だけを見て、この記述の筆者である私に絡んできたりしないでくださいね。そういう絡まれ方をよくするんですけどね……ああ、考えるだけで疲れた。
*5:出典:
https://en.wikipedia.org/wiki/Right_to_privacy
*6:出典:
https://en.wikipedia.org/wiki/Right_of_access_to_personal_data
*7:出典: