このエントリは、2019年11月にアップしたものの再掲である。
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今回の実例は、基本的に「キャラ」としてしか発言しないあるコメディー俳優が、素でおこなったスピーチについての報道記事から。
サシャ(サーシャ)・バロン・コーエンという名前は、日本でも少しは知られているかもしれない。ロンドン出身のコメディー俳優だが、彼の笑いは「悪趣味」とか「露悪」といった方向性の強烈なもので、見ている人が笑いながら「これを笑っている自分って……?」と考え出すような性質の笑いだ。
彼の「キャラ」には、彼をスターダムに押し上げた「アリ・G」(ブラックカルチャーにかぶれたいい家の子が、西ロンドンのギャングの喋り方や服装を真似て自分もその一員だと思い込んでいる、という設定で、そのキャラのまま、ばかげた偏狭な偏見なども隠そうともせず、各界の名士にインタビューする)、「ブルーノ」(オーストリアのファッション・ジャーナリストでゲイ、という設定で、「ゲイ」のステレオタイプを踏まえたうえでの「お騒がせ」を次々と起こす)、「ボラット」(カザフスタンの記者、という設定で、あちこちで人の神経を逆なでして回る姿が「ドキュメンタリーのモック」、つまり「モッキュメンタリー」の形式で綴られる)といったものがある。詳しくはウィキペディアの彼の項からそれぞれの作品(映画)にリンクがはられているので、そこからご参照されたい。
どのキャラも「悪趣味」としか言いようがなく、私も最初に「アリ・G」を知ったときは「ついていけない」と思ったし(何本かクリップを見ているうちに笑えるようになったが)、「ボラット」や「ブルーノ」も特に好きではない。
サシャ・バロン・コーエンは、どのキャラでも共通して、「信じがたいような偏見を恥ずかしげもなくさらけ出してみせ、それによる相手の反応をみる」という手法を取っている。その偏見の内容には女性差別やLGBTQ差別もあるが、最も強烈なのはユダヤ人差別(反ユダヤ主義)だろう。彼自身、名前を見ればわかると思うが(「コーエン」はユダヤ人の間で非常に一般的な苗字)ユダヤ人で、ホロコースト(ショア)を生き延びた人を祖父に持つ。その彼が反ユダヤ主義をそのようにネタにすることは、相手の本音を引き出すための手段であるという。
"Borat essentially works as a tool. By himself being anti-Semitic, he lets people lower their guard and expose their own prejudice", Baron Cohen explains.
https://en.wikipedia.org/wiki/Sacha_Baron_Cohen#Controversies_and_criticism
また、ホロコーストを「語られない何か」にしてしまうことは人々の無関心を呼び、その無関心は将来においてまた同じようなことを引き起こすだろうという危機感を彼は強く抱いている(第二次世界大戦でのホロコーストを可能にしたのは、元々はドイツ国民が人種主義を熱烈に支持したからではなく、「人種主義云々はどうでもいい、とにかく景気をよくしてくれ」みたいな態度だったから、と彼は考えている)。
と、そのように中身は至極真面目なのだが、いかんせんコメディー俳優で、常に何かの「キャラ」をかぶって発言している人だ。そういう人が、素で何かを語ることには、本人的には非常に困難を伴う(と、メディアによるプライバシー侵害に関する重要な国会での調査で証言したスティーヴ・クーガンも言っていた)。今回、実例としてみる記事が取り上げているスピーチも、導入部でバロン・コーエンはそう前置きしてから、非常にヘヴィーな話を始めている。
スピーチは11月21日、米ニューヨークのADL (the Anti Defamation League) のイベントで行われた。このスピーチは、現在のデマやヘイトの流布をFacebookやTwitter, Google (YouTube) といった巨大プラットフォームが促進しているとはっきり指摘している点で日本語圏でも多少は注目されているが(大手新聞などが取り上げているかどうかは知らない)、それ以上の内容がある。関心がある方は下記にフルの映像とスクリプトがある。25分くらいなので、時間を取って聞いてみてもよいだろう(この人の英語は、多少ロンドン訛りが強く出るところもあるし、ときどき「キャラ」の喋り方をしているところもあるが、基本的に非常に聞き取りやすいので、リスニングの練習にもなる)。
スクリプトはこちら:
https://www.theguardian.com/technology/2019/nov/22/sacha-baron-cohen-facebook-propaganda
せっかくのスピーチだし、音声で聞いてみたいが、全部で25分近くあるので全部を聞くのはハードルが高いと思う人もいるかもしれない。その場合、特に注目される部分を切り出して3分半ほどに編集したガーディアンのビデオがあるので、そちらを見ていただければと思う。今回実例として見ている部分は、2分45秒くらいのところから始まっている。
というわけで、前置きが長くなったが、今回実例として見る記事はこちら(上記スピーチについて紹介する報道記事):
Sacha Baron Cohen: Facebook would have let Hitler buy ads for 'final solution' https://t.co/U8SJbQdVi1
— Guardian Film (@guardianfilm) 2019年11月22日
※記事アップ時、ここに入れてあった参照先記事へのリンクがうまく表示されないようなので、ガーディアンによるTwitterフィードに差し替えました。(27日19時ごろ)
この記事は2度に分けてみていくが、今回はまず見出しのところ。
この見出しは、コロンを使って誰かの発言を記すという形式で、コロンの前が発言者、コロンの後が発言内容である。コロンは見えづらいので例文では大きく表示してあるが、次のような形である。
Pope Francis: world without nuclear weapons possible and necessary
(教皇フランシス「核兵器のない世界は可能であり、必要である」と発言)
ある報道記事の見出しがこの形式で書かれているときは、必ず、本文の中により具体的な発言が引用符の中で引用されている箇所があるはずなので、留意して記事を読もう。
さて、今回の記事の見出しだが:
Sacha Baron Cohen: Facebook would have let Hitler buy ads for 'final solution'
太字にした部分は、if節はないが《仮定法過去完了》だ。 「フェイスブックは、いわゆる『最終解決』のための広告をヒトラーに買わせていただろう」。フェイスブックがヒトラーの時代に存在しなかったことは自明のことなので、ここではif節がなくても《仮定法》(事実ではないこと、反実仮想)だということはすぐにわかるだろう。
では、この見出しに取られている発言の全体を、記事本文から探してみてみよう。
見出しになっているのは、下記の発言をパラフレーズ(言い換え)たものである。
if Facebook were around in the 1930s, it would have allowed Hitler to post 30-second ads on his ‘solution’ to the ‘Jewish problem’.”
「もしフェイスブックが1930年代に存在したら、ヒトラーが、『ユダヤ人問題』に対する彼なりの『解決』についての30秒の広告(動画)を投稿することを、許していただろう」。
前半のif節が《仮定法過去》で、主節が《仮定法過去完了》というアンバランスなことになっているが、これはFacebookが今の企業であることに釣られただけで、本来はif Facebook had been around in the 1930sとすべきところだろう。このようなバランスの崩れた英文は、文法書やスタイルガイドの外の実際の英語ではときどき見るのだが、編集者がうるさい人なら新聞や雑誌では修正されるだろうという文である。この例はスピーチなのでそのまま出てきたのだろう。いずれにせよ目くじらを立てるようなものではない。
さて、ここで見出しと本文を並べてみよう。
Facebook would have let Hitler buy ads for 'final solution'
it would have allowed Hitler to post 30-second ads on his ‘solution’ to the ‘Jewish problem’.”
下線で示したのは同じもの。ナチスの最も恐ろしい政策である「最終解決(最終的解決)」 は、「『ユダヤ人問題』へのヒトラー流の『解決』」で、より具体的にいえばホロコーストのことである。
サシャ・バロン・コーエンのこの発言は、もしヒトラーの時代にFBがあったなら、ヒトラーはそれをプロモートする広告枠を買って30秒の動画をアップしていただろう(現に、FBはそういう性質のものもチェックなしに通している)という指摘だが、ここで「ヒトラーの望むままに~させる」という表現が、見出しでは《let + O + 動詞の原形》で、本文(バロン・コーエンの元の発言)では《allow + O + to不定詞》で表されていることも注目しておこう。両者は書き換え可能なのである。
They let me use the computer.
They allowed me to use the computer.
(彼らは私にそのコンピューターを使わせてくれた)
それから、上記バロン・コーエンの発言に "the 1930s" 「1930年代」が含まれているが、大学受験生でこの表現を知らない人が案外多い。「~年代」というときは、theを置いて最後にsをつけるが、ここで変なアポストロフィを入れてしまったり、theを抜かしたりする人が多い。細かいことだが、減点されなくてよいところで減点されるはめにならないよう、細部こそしっかり押さえておくようにしたい。読み方は、the 1930sなら "the nineteen-thirties" となる。
Tom was born in 1979 and lived in Canada in the 1980s before moving to New York.
(トムは1979年に生まれ、ニューヨークに移る前、1980年代はカナダで暮らしていた)
なお、2枚目のキャプチャの最初の文:
If you pay them, Facebook will run any ‘political’ ad you want, even if it’s a lie
このif節の文は仮定法ではなく直説法で《条件》を表すif節の文。つまり「事実と反すること(反実仮想)」を表したのではなく、単に「もし~なら」と述べている文で、「お金を払えば、Facebookはいかなる『政治的』な広告でも出す」と言っている。
文末の《even if ~》は「たとえ~であろうとも」なので、それを合わせると、「お金を払えば、Facebookはいかなる『政治的』な広告でも出す。それがたとえ嘘であろうとも」という文意になる。
この部分、runという動詞の用法も興味深いところだが、その説明を書いている時間的余裕がない。各自辞書で確認されたい。
参考書:
ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)
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