今回も、英文法の実例解説はお休み。
前回のエントリに「 『ANTIFAの成りすまし』と主張した人信じた人は英語圏で生まれ育った米国人。ギャップを生んでいるのは英語力では無い。それは英語力が無くても分かること。そして英語力があっても分からないこと」というブコメをいただいた。この記述自体はおっしゃる通りと思うし、実際に賛成するのだが(というか、「英語力があればでたらめを信じることはない」などということは、私は言っていない。「英語で情報を入れることができるのは最低限必要なことだ」ということを言っている。結局のところ、「信者」が何かを信じてしまうことはどうしようもないと思う)、こちらにはこちらの文脈があるので、そこを外さずに読んでいただければと思う。「こちらの文脈」というのは、例えば下記のように明示してあるのだが:
にもかかわらず、ブコメでは、「実際のところ、極端に多様な典型的なおもしろアメリカ人のひとり、でしかないんじゃないの」とか、「どっちかというと、『ぶっちゃけノリで来たんで』か『このビッグウェーブに』程度の意識の人じゃないの?w」といった発言も見られる。
1月6日のワシントンDCでの暴動について、少しでもまじめに英語で情報を入れていたら、こんな言葉が出てくるはずがない。リアルタイムでどういう情報が流れてきていたかは、当日(日本時間では7日早朝)の私のログをご参照のほど(流れてくるツイートで意味がありそうなものはかたっぱしからリツイートしているような状態なので件数がとても多いが)。
真剣に信じている「信者」というより、軽いノリで「そーゆーのもありなんじゃないの、自分は関係ないけど」と、多くの場合おもしろがって傍観している人が、「事実」と「ガセネタ」を同列で示されたときに、「どっちもありうるでしょ。自分にはよくわからんけど」という態度で「ガセネタ」を否定しない/肯定してしまうこと*1が問題だと思っていて、その対処法のひとつとして、日ごろから接する情報量を増やしておくことが有効だ、ということを私は言いたい。そして、アメリカなど英語圏で起きていることに関する情報量を増やすには、日本語になっているものだけを読むのではなく、英語でも情報を入れることが重要だ、というのが私の主張である。極端な言説という原液を、大量の情報という水で薄める、というイメージ。
そういうことをするためには、英語を読むことについて「量をこなす」という能力が必要になってくるのだが、その点皮肉にも、「4技能」と大騒ぎした挙句に「読み」だけに偏ってしまった大学入試共通テストのリーディングの問題が役立つかもしれない。私見だが、読むのが苦痛というレベルを超えて、読むと脳細胞が死ぬ感覚を味わえるほどに退屈極まりなく、言葉としての魅力がまったくないうえに、英語として不自然な文章で、ほぼ何の手本にもならないであろうというクオリティの文章の連打だったが、あの分量の英文をあの時間内に読んであれだけの設問に答えるというのは、「読むスピード」という点である程度の目安になるだろう。時間内に終えることができて、なおかつ9割以上正答できていたら、「量をこなす」という点での準備はできていると言えるのではないか。そこらへんをクリアできていたら、次は興味のある分野の本を1冊、読んでみるといいと思う。例えばグナならボスの本とか。
英語を/英語で何かを読むということがまったくできない人に、いきなり「英語で情報を入れろ」と言っても無理だし、そういう難易度の高すぎることをしようとするとついつい既存の「日本では報じられないニュース」と銘打った陰謀論サイトなどに頼ることになってしまうこともあるわけで、やはり自分で英語を読む力は必要だ。翻訳家の光岡三ツ子さんのご意見には深く同意する。
今回の選挙から始まった陰謀論の日本語圏での加熱ぶりを見てきましたが、日本人が英語を解さないことが、過去これほど利用されたことがあっただろうかと感じています。
— 光岡三ツ子 (@mitsumitz) 2021年1月12日
もちろん英語圏の人でも、この陰謀論にくみしている人は大勢います。しかしそんな人たち以上に、情報の足りなさゆえにたやすく他人の話を信じてしまう人たちが非英語圏に多いことは確かだと思います。
— 光岡三ツ子 (@mitsumitz) 2021年1月12日
信頼できるかもわからない情報ソースをやみくもに信じている時、あなたの人生の主導権は他人に奪われているも同然です。Amazonや食べログの口コミを頭から信じて失敗するようなものです。現代ではこれを避けるため私たちは自分の判断力を最大限に使わねばなりません。
— 光岡三ツ子 (@mitsumitz) 2021年1月12日
この判断のために取得しなければいけないスキルが色々とあって、本当に厄介な時代です。
— 光岡三ツ子 (@mitsumitz) 2021年1月12日
英語はそのスキルのなかでも欠くべからざるものではと考えています。得意不得意はあるでしょうが、最も身近な言語であり、やる気があれば習得は比較的容易と思います。
サバイヴしていきましょう。
何らかの情報ソースについて、それが信頼できるかどうかを判断するのも、実は大変な作業で、疑いだすときりがない。いわゆる「陰謀論」にはまってしまう人はこの「疑い」にはまってしまうのだが、そこは実際のところ、自分との闘いである。何かを信頼してみるということは、何かを鵜呑みにすることとは違う。Post-truthの時代において重要なのは、その勇気、何かを信頼してみる勇気(そのうえで、自分で判断する勇気、信頼しているものを批判的に見る勇気)を持てるかどうかである。
一般的には、広く信頼されている報道機関やそこで書いている記者を「信頼できる情報源」として扱うことが出発点で、あとはそれぞれの関心に応じてその分野の専門家(大学の先生とか、NGOの人とか)も付け加えていくという形で、自分なりの「情報ソースのリスト」を作るとよい。逆に「メジャーだけど信頼できない情報源」のリストも作っておくと、「一般の新聞をフォローしているつもりで、ガセネタばかりのタブロイドをフォローしてしまった」ということもある程度は防げる。
「タブロイド」は日本で言うと「スポーツ新聞」や「芸能ゴシップばかりの週刊誌」のようなもので、それについては以前、書いた記事があるのでそちらをご参照いただきたい。
hoarding-examples.hatenablog.jp
また、Twitterで、英語圏のメディアと、非英語圏の英語メディアを中心にした「ニュース」のリストを作ってある。現時点で750件以上のアカウントを登録してある。お役立ていただければと思う。
【以下、追記】「英語圏のことは英語で」ということが必要なのは、間に介在する翻訳によって、元の英語とはイメージ(印象)が変わってしまうことが多いからである。それも、報道の翻訳では、文学的な翻訳における違いとは別次元のこと、言ってしまえばより単純なことが起きる。一人称と役割語だ。
例えばドナルド・トランプの一人称は、日本でのニュース報道では、大人の男性が仕事で使う一人称代名詞としてのプロトコルにのっとって「わたし(私)」が採用され、「です・ます」が用いられている。「わたしは~だと思います」の文体だ。これは、翻訳のお約束としては無味乾燥になるはずなのだが、無味乾燥ということはニュートラルで、つまり普通の大人の口のきき方にしかならず、ドナルド・トランプのしゃべり方とはかけ離れている。私に言わせれば、あの人は一人称は「オレぁ」か「オラぁ」で、「です・ます」はめったに使わないタイプだ。「オレぁ~と思うね」っていう感じ。ひょっとしたら「思う」という動詞も使わないんじゃないか。「オレぁ~と」で言い終えてしまうタイプ。そして気が散って勝手に次の話題に行ってしまうので、何を言っているかよくわからない。逆に言えば、ああいう「個性」が好きな人には、友達とくっちゃべっているような感覚を覚えさせるのだが。
同様に、女性の芸能人のインタビューやSNSでの発言なども、日本語圏に入ってくるとおかしくなることが多い。最近、『コスモポリタン』や『ヴォーグ』のような女性誌や、オンラインメディアでも女性が読者に多そうなところは、女性のインタビューも普通にニュートラルに「光栄に思います」くらいの文体で訳されていることがほとんどになってきたが、それでもスポーツ新聞などでは「光栄だわ」的な、翻訳における過剰な「だわ・のよ」化が続けられている。先日、Yahoo! Japanでちらっと読んだ誰かのインタビューでは、翻訳者がそれに抵抗したのか、全部体言止めになってて、「これはすごい」と思った。
ヘレン・ミレンのような人がインタビューで自分のことを語るときの口調が「だわ・のよ」だったら、それは人格描写だろう。だがビリー・アイリッシュが「だわ・のよ」というのは違和感が出る。テイラー・スウィフトはひょっとしたら「だわ・のよ」系の人かもしれないが、自身の楽曲の権利についてシリアスな話をSNSに投稿しているときに「だわ・のよ」を連発するはずもなく、ビヨンセだってBLM支持のメッセージは「だわ・のよ」では語らないだろう。女性について一律に「だわ・のよ」を使うというやり方は、そういったことを無視して「女はみんな同じ」という扱いをすることである。
(同じことは男性についてもいえる場合もあるが、何らかの文脈があったり人格描写を意図していたりすることが多く、それが男性の発言だからという理由だけで一律「だぜ・のさ」調で訳されることはまずない。女性は一律で「だわ・のよ」訳がなされる。サラ・ペイリンが演説で「ジュリアン・アサンジはテロリストよ」と言わされてしまうのだ。「です」」だろう、普通。演説なんだから。)