前回ざっと説明したように、19世紀から20世紀にかけての「欧米列強によるアフリカ分割」の時期に、コンゴ一帯を私領として苛烈な統治をおこない、現地の人々におびただしい犠牲を強いたベルギー国王レオポルド2世の子孫である現在のフィリップ国王が、コンゴ民主共和国(DRC)大統領の招きに応じて同国を訪問し、ベルギーによる過去の植民地支配について、「遺憾の意を表明」した。
記事にあるが、ベルギー国王によるこの「遺憾の意の表明」は初めてではない。
In 2020, he wrote to President Tshisekedi on the 60th anniversary of the country's independence expressing his "deepest regrets" for the colonial abuses committed under his ancestors.
つまり、現在のDRC(この国は国の名前が何度も変わっていて、独立時はDRCという名ではなかったのだが)がベルギーから独立して60年となった2020年に、フィリップ国王はチセケディ大統領に、先祖のもとでの植民地統治時代の虐待について、「衷心から遺憾の意」を表明する書簡を送っている、という。
だから、その書簡から2年後の今年、国王が直接DRCに足を運んだときに、「遺憾の意の表明」の次のステップである「謝罪」にまで行く可能性も、事前にはきっとあったのだろうと思う。
フィリップ国王にとってこれは初めてのDRC訪問で、DRCの国会議事堂の敷地内で次のように述べたとBBC Newsは伝えている。
"On the occasion of my first trip to Congo, here, in front of the Congolese people and those who still suffer from it today, I wish to reaffirm my deepest regrets for these wounds of the past," the 62-year-old monarch said.
単に「遺憾の意を表明 (express my regrets)」するのではなく、「衷心からの遺憾の意を重ねて確認 (reaffirm my deepest regrets)」している。
ここまで言葉にするのなら、「謝罪 (apologies)」をしてしまえばいいのに、とも思うのだが、そこまで行くには、なかなか大変なステップを要する。まだしばらく時間がかかるのだろう。
という流れを確認しながら、記事の次の部分を読んでみよう。
すでに上の方に書いた部分も含まれているが:
この部分、文章の組み立てとしては次のようになっている。ピンク色でべったりマーカーを塗ってある最初のパラグラフが《トピック文》で、ピンク色の枠で囲んである2番目のパラグラフが《サポート文》である。トピック文で「水曜日の遺憾の意の表明は、フィリップ国王からの最初のオリーヴの枝(古代ギリシャでオリーヴの枝が「平和の象徴」だった、つまり戦い・争いを終えるときに掲げられたものだったことにちなんだ地中海沿岸地方の慣習に基づいた慣用表現)だったわけではない」と漠然としたことを述べておいて、続くサポート文でその内容を具体的に説明している。
そしてその最初の《トピック文》→《サポート文》のコンビネーションのあとに、"But" という論理マーカーが来て、さらに話が展開している。「起承転結」の「転」がここにあるというスタイルだ。
そしてこの部分も、パラグラフ(というか文)の中で、《トピック文》→《サポート文》の構造になっている。コロンの前まで(上記キャプチャ画像でピンク色のマーカーで塗ってある部分)が《トピック文》で、そのあと、引用符でエスメラルダ王女(フィリップ国王のおば)の発言を具体的に紹介しているところが《サポート文》だ。
But Princess Esmerelda said more was needed: "I feel that probably the apologies should be coming soon, formal apologies for the past and for the colonial atrocities that were committed".
英語では、少なくとも何かを論理的に伝えようとする文では、このように、《トピック文》→《サポート文》→論理マーカー→《トピック文》→《サポート文》……という構造をとることが、非常に多い。
そのことを確認するようにして、もう一度読み返してみてもらいたい。前は見えていなかったものが見るようになっているはずだ。
ちなみに、エスメラルダ王女の発言の内容は、「もうすぐ謝罪が、過去についての、また我が国が為した植民地での非道・悲惨についての正式な謝罪がなされるのではないかという気がいたします」といった内容である。
なお、エスメラルダ王女とフィリップ国王は、家系図で確認すると、おばと甥という続柄であるにもかかわらず、4歳しか離れていない。ちょっとびっくりした。
あと、フィリップ国王のこのDRC訪問は、植民地主義時代に現地から略奪してベルギーの博物館に飾っていた大きな仮面をDRCの地に持ち帰るという大きなことの機会にもなっている。ただし完全返還ではなく無期限ローンという形だそうだが、BBC Newsがそのことをかなり詳しく書いているのは、英国自身が同じ問題(略奪した文化財の返還、という問題)を抱えているからだろう。現在、大英博物館にあるギリシャの一群の大理石像(「エルギン・マーブル」または「パルテノン・マーブル」)の返還がどうなるかが、また、注目されているので。
※2500字