Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

休載します/鴻巣友季子さんによる記事が必読である件。

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サッカーのイングランド代表の件などで書くことはいくらでもあるのですが、体調不良の上に過去記事の再掲もストックを使い切ってしまっているので休載します。夜までに何とか、机の前に座って物が書けるくらいまで回復しないかと粘っていたのですが、到底、辞書を引いたり文法書をひっくり返したりできる気がしないから、諦めました。

で、今日ブログが書けたら言及するつもりだったのが、翻訳家・文芸評論家の鴻巣友季子さんによる下記記事。特に「残念だ」という日本語は、最近、というか関西の吉本の芸人がデカいツラをしている「トーク」と称する番組で、あの人たちの独特の言葉遣いが一般化されたあと、受け取り方・受け取られ方が大きく変化していて、自分の中では「使いたくても使えない日本語」の第一位になってます。以前は「残念」の第一義は、クイズで答えを外した回答者に司会者が発するあの「残念!」という間投詞めいたものなどに由来すると思われる「ダメだった」系の意味ではなかったはずで。でも今の「バッハ叩き」のマスコミがやっていることは言葉を丁寧に扱うことではなく、読者を煽動することですからね。

news.yahoo.co.jp

今の日本語圏、特にマスコミが「とりあえずバッハ発言を炎上させとけばOK」というモードに入っていて、「日本人をバカにしている」という《大きな物語》を、(「日本人」がどうたらということでは響かない界隈には「差別」という切り口を通じて)大歓迎と大歓声の中で延々と展開するというモードに入っていると私は思っています。そして、そのビッグウェーブに乗らずに、当該発言を単に言語的に検討すればどういうことかということを書くと、「バッハ(あるいは文脈によっては差別者、差別主義者)をかばうのか」と、「かばう」「擁護する」という言葉を使って非難される、ということになってます。現に、当ブログがバッハ発言のひとつ("make a sacrifice" 発言)について書いたとき、かなり乱暴な批判がありました。鴻巣さんのYahoo個人の記事も、ずいぶんたくさんはてブを集めているようですが、その中身を見る気にはなれないですね。たぶん、私は "I'm traumatised." と明確に言語化して、すべてを整理し直すべき状態にあるのでしょう。

この「バッハ叩き」の狂熱は、小菅信子さんが2011年の東日本大震災のあとにまとめられたご著書などで指摘しておられた「傾き」という問題そのもので、実はそのことについても先日の「バッハ発言」についてのエントリへの反応を受けて書いてあるんだけど、公開する勇気がないから、たぶん非公開のままにすると思います。「バッハ叩き」は小菅さんが指摘されていたものよりもっとストレートな形で「ナショナリズム」の問題ですが、生じている「傾き」は同種のものと思います。 

 

英語的に言えば、ある特定の範囲の人々が集まる場(国際的な競技団体の総会)にゲストとして登壇したおえらいさんが語る "we" の指す範囲など、つまり「一般人称」かどうかなど、本来議論するまでもないでしょう。あれを「一般人称」と解釈するのは、「読者による勝手な思い込み」なのです。つうか、あれを「一般人称」と言えてしまう人は、エリザベス女王に「本物のweをお見せしますよ」と呼びつけられるべきである、というレベルで雑な読みをしていると思いますよ。

日本語のお作法とは違うお作法で書かれた英語の文章を、自分がある方向で読んだときに、その方向で読んだ根拠を自分で検証できるかどうかということは、極めて重要であるはずです(そのことは私は大学の「講読」の授業で教わったのだったと思います)。でも、そのためには少し時間が必要です。少なくとも数分、場合によっては数日という時間が。しかし、Twitterのような、その場での反応を即座に言葉にして全世界に放流できてしまうプラットフォームでは、そういう、いわば一呼吸おいた検証はとても難しい。私も失敗したことは何度でもあり、その都度そこから学ぼうとはしているのですが、学びなど終わるものでもなく、失敗は何度でも繰り返される。そういう失敗がどのくらい許容されるかという点で、Twitterのような場は難しいとしか言いようがないのですが、今はそのTwitterのような場が、マスコミが世間の空気を読みに来るような「言論形成の場」になっている――「世間」というか、商業メディアにとっては「自分たちの潜在顧客」ですけどね。「あの人たちが読みたいものを、私たちは提供する」という感じの構造なのだから。

具合が悪いんならこんなこと書いてないで寝ろと思うので、寝ます。

と、ここまで来てわかった。「書けない」のではなく「文法書をひっくり返せない」、つまり参考資料を参照するという普段のルーティーンがこなせない。物理的に文法書を取り出すまでもない、頭の中の参照機能もそういう感じで、英文を見て「ああこれは〇〇構文が使われている」と思うんだけど、その先に行けない感じ。

というわけで一家に一冊、江川。 

古びてしまっている例文がけっこうあることが「残念」な名著*1

 

*1:さて、これを英語にするとしたらどうしますかね。私なら、 It would be great if they could update the example sentences. というように仮定法を使って「~だったらいいのになあ」と文章化して表します。