今回の実例は、国代表チームの監督が、国際大会を前にしたためた一文から。
前置きは書いてる暇がないからいきなり本題に入るが、これを書いたのはサッカーのイングランド代表の監督、ガレス・サウスゲイトである。もちろんプロの文章書きや編集者が手を入れてあるはずだが(政治家であれ芸能人であれ、文章を専門としない人ならば誰が書いた文章でも、何かの媒体に掲載されるものは、たいていそうである)、そうであるにしてもこれはかなり立派な文章で、若いころの個人的な「感動」の体験を、代表チームを率いる立場にある現在、チームをさらに上のレベルに引っ張っていこうとするときに、イングランドの人々に向けて書いたメッセージの中で、ひとつの《大きな物語》へとつなげていく技量は、なかなかのものだ。
少々分量があるが、読み始めたら一気に読んでしまう力があると思う。イングランドのサッカーになじみのある人ならぐいぐい引き込まれるだろう。特に序盤で、自分の個人的な「感動」の体験から自身のフットボーラーとしてのあゆみについて述べている部分ではその単語を使わずに書かれているものを、中盤で、自分自身とは少し距離を取った一般論的な部分で初めて "pride" という単語を用い(このテクニックには引き込まれる)、さらには自分が率いるチームの若いプレイヤーたちについて述べている部分で、イタリック体で強調した形で ”pride” と示していくあたりなど、読んでるだけでモチベーションがあがりそうだ。
というわけでモチベーションあげていきましょう。記事はこちら:
実例として見るのは、記事の序盤、個人的な体験の語りを終え、広く見渡して物事を述べるようになるあたりから。
キャプチャ画像内、2番目のパラグラフ:
Every game, no matter the opposition, has the potential to create a lifelong memory for an England fan somewhere.
太字にした部分だが、ここは《no matter + 名詞》という形になっている。
これは、通例《no matter + 疑問詞で始まる文の構造》というような形で用いられる《譲歩》の意味のno matterだが、ここに見るように、後ろに名詞だけという形も、まあまあよく見かける。学校の教科書・参考書には出てこないかもしれない。
No matter what the plan is, you'll have a solution that can fit your needs.*1
→ No matter the plan, you'll have a solution that can fit your needs.
(計画がどのようなものであろうとも、あなたのニーズにあったソリューションを得られるでしょう)*2
これについては、下記のブログさんで、大学入試の過去問からいくつか抜粋してくださっているのがとてもわかりやすいので、ご参照のほど。
englishgrammarandusage.hatenablog.com
というわけで、今、実例として見ている "no matter the opposition" は、"no matter who the opposition is[are]" とか、"no matter what the opposition is[are] like" の意味と考えることができ、「対戦相手が誰であろうとも」といったように解釈される。
同じ文で、"the potential to create ~" は《to不定詞の形容詞的用法》を含んだ表現で、「~を作り出す可能性〔潜在能力〕」の意味。このフレーズも、ビジネス書などでのモチベーショナル・スピーチ(モチベーションを高めるためのスピーチ)で頻出だ。
というわけで、今回見た個所の文意は「すべての試合は、対戦相手が誰であろうとも、どこかにいるイングランドのファンにとっては一生忘れられない思い出をつくる可能性がある」。
これは、サウスゲイトが自分にとって忘れられない試合となったのは、強国(例えば西ドイツやドイツ)とイングランドの試合ではなく、ルクセンブルクという、サッカーの国際試合では決して存在感があるとは言えないチームとの、9-0というスコアの試合だったと述べている部分を受けて、話を個人的な体験からより一般性のあるものへとひきあげていく文で、この長い文はここから本題に入っていく。
といっても、いきなり高みに立って、日本語のネットスラングで言う「主語が大きい」文で語りだすのではなく、サウスゲイトはここでまたいったん個人的な体験のほうに軸足をおいて語りだす。そして、彼のようなバックグラウンドを持った人にとっての「女王と国*3」というイングランドのスローガンを持ち出して、自分と国とのつながりをしっかりと説明している。
さて、サウスゲイトのこの文章には、《no matter》がもう1か所出てくる。かなり長いこの文の結びの部分だ。
I think about all the young kids who will be watching this summer, filling out their first wall charts. No matter what happens, I just hope that their parents, teachers and club managers will turn to them and say, “Look. That’s the way to represent your country. That’s what England is about. That is what’s possible.”
"no matter what happens" は《no matter + 疑問詞》の節の形で、「何が起きようとも」の意味。これはシンプルな、教科書でも出てきそうな形である。
ここでサウスゲイトは、自分が子供のころにしていたようにイングランド代表の試合をテレビで見ては、スタッツを一覧表にして壁に貼る子供が、この夏(のEURO 2020)も出るだろうと述べ、「何が起きようとも」、つまりイングランド代表にとっての大会がどのような結果になろうとも、「その子供たちの親や学校の先生、(少年サッカーの)クラブの監督が、子供たちの顔を見て、『いいか、自分の国を代表するというのは、こうやってやるんだ。イングランドというのはこういう存在だ。こういうことができるんだ』と言ってくれることを望んでいる」と書いている。
EURO 2020という大会はまさにそういうものだったし、決勝戦はそういう内容だったと言えるだろう。
※3150字