今回は、前回の続きで、イングランドのサッカー女子代表が保守党党首最終候補に宛てて送ったオープンレターについて。なお、昨年来、「オープンレター」というと感情的に反応する人々が日本語圏で目立つようになっているが、日本語にすればただの「公開書簡」であり、一般的な(そう、一般的なものなのである)言論の方法のひとつでしかなく、「卑劣な恫喝手段」のようなものでは全然ない。
ともあれ、欧州選手権(EURO)で初めて優勝を飾った代表チームが、その歓喜の熱も冷めぬうちに、政府によって冷や水を浴びせられて抗議の声を上げている、というのが回から見ているトピックである。
「冷や水」とは何かというと、女子ももれなくサッカーというスポーツに接する機会を得られるようにしようという方針を撤回した、ということだ。それについて、前回から見ているフィード元のメディア、女性誌のStylist Magazine*1は、次のように説明している。
At the moment, just 63% of girls have access to the game during PE lessons – and the team believes that following their success at Wembley, more will want to play. By not offering it at school, those girls risk being turned away. pic.twitter.com/LnVSyuhgI4
— Stylist Magazine (@StylistMagazine) 2022年8月3日
すなわち、「現状、体育(PE)の授業でサッカーに触れる機会がある女子は全体の63%に過ぎない」。やってみる機会すらなければ、自分がそれをやりたいかどうか、自分がそれに向いているかどうかを判断することすらできない。本当は眠っている才能があったかもしれない若い女性が、それを自分で知る機会もないままになるかもしれないし、プレイしたこともないスポーツとはその後も疎遠なままになってしまうかもしれない。
優勝した女子代表チームの人々は、実際、自分たちが子供のころにサッカーをやりたいと言っても相手にされなかったという経験を有しており、今の子供たちにもそれが継承されてしまうことを深く憂慮している。彼女たちの言い分を一言でまとめると「学校での必修化」なのだが、学校でサッカーが取り入れられたときに全員が関心を持つとは限らないにせよ、少なくとも選択は、全員ができるようにしたほうがよい、というのが彼女たちの考えである。(「選択的夫婦別姓制度」に対する「別姓の強制はやめろ」的な的外れな反応にさらされてしまったので、日本語圏ではこの「選択」というものが通じないだろうと思いながら、私はこれを書いている。もしこの文が何かぼんやりした印象を与えるとしたら、そのせいである。)
実際、今回の優勝メンバーのひとりであるエレン・ホワイト(マンチェスター・シティ)は、小学生のときにアーセナルにスカウトされているのだが、学校には女子チームがなく、少年リーグでプレイすることはできなかったという経験を有している。ウィキペディアからリンクされているそれについての地元紙の記事は、1998年のもの。映画Bend It Like Beckhamの前のことである。
Ellen White’s battle to play football went viral on Twitter, having been banned from her local youth team. Legend Rachel Yankey has openly spoken on Jill Scott’s podcast about shaving her hair and going by the name Ray to pass as a boy in order to play football as a child. pic.twitter.com/DNx07iUybN
— Stylist Magazine (@StylistMagazine) 2022年8月3日
このツイートでもうひとり言及されているレイチェル・ヤンキーはホワイトより10歳くらい年長で元アーセナル所属。子供のころ、女子にはプレイできるチームがなかったので、頭を丸刈りにして「レイ」という名前で男子に成りすましてプレイしていたという。1990年くらいの話である。ちなみに「女性解放」「ウーマンリブ」云々が1970年代の話だ。
このツイートにも、《完了分詞構文》や《in order to do ~》、《前置詞+動名詞》(これは1つ上で見たツイートにも入っている)など文法的な見どころがあるが、すでに2000字を超過しているので、その説明は割愛する。
というところで本題。その彼女たちが、今回、英国首相あてにオープンレターを出すことにしたのだが、その首相(ボリス・ジョンソン)は夏休みが終わったら退陣することになっているので、あて先は首相ではなく、次に首相になる可能性のある人物2人(つまり保守党の党首選で最終候補になっているリズ・トラスとリシ・スナク: "the two remaining Tory leadership candidates" とStylist Magazineは説明的に述べている)である。そのオープンレターの文面
The Lionesses have penned an open letter to the two remaining Tory leadership candidates, demanding that girls be given equal access to football at school. pic.twitter.com/8BFqForG4v
— Stylist Magazine (@StylistMagazine) 2022年8月3日
ツイート本文には、《分詞構文》があるが、その説明も割愛する。あと、「~を書く」の動詞でpenを使うということも覚えておくといいだろう。自分で使う機会はなかなかないが、誰かが書いた文章で使われているのを見たら注目しておくとよい。日本語でいうと「したためる」のような語感のある動詞である。
こういうときのレターはあまり長々と書くものではない。長くとも紙一枚、いわゆる「ペライチ」にまとめるのが鉄則だ(でなければ読まれない)。彼女たちのオープンレターはそのお約束に従って短くまとめられている。書式は中央ぞろえで、これは日本語圏では目慣れない書式だが、英語ではまあまあよく見られる。
一番最初に宛名の "Dear ...," があり、末尾に "Regards," を置いて差出人を記し、この場合は団体なので、各構成員の肉筆署名を添えてある。
第2パラグラフの第1文:
Throughout the Euros, we as a team spoke about our legacy and goal to inspire a nation.
ちょっと読みづらく感じるかもしれないが、"as a team" をカッコに入れるとスッキリするだろう。この "as" は前置詞で「~として」の意味。「チームとして」。
Throughout the Euros, we (as a team) spoke about our legacy and goal to inspire a nation.
"inspire a nation" の "a" について考えていたら(なぜtheではないのか)冠詞沼にはまって楽しくなってきてしまったので、ちょっとそこはスルーさせていただきたい。意味としては「国全体」なのだが、イングランドの場合は「国」と言えるかどうかも微妙なので、これは翻訳するとしたら「イングランド全体をインスパイアする」といったようにしなければならないだろう。(もちろん「インスパイアする」などというカタカナは本気で翻訳するときは使わない。この場合、スポーツの文脈での定型表現、決まり文句だから、日本語では「勇気を与える」みたいな常套句から探すのが一番よいだろう。)
文意は「EUROの大会を通じて、私たちはチームとして、何を残せるか、またイングランド全体をインスパイアするという目標について、語ってきました」。
ここで4000字に達したが、第2文と第3文(引用部分の太字は原文ママ):
Many will think that this has already been achieved, but we see this as only the beginning. We are looking to the future.
《現在完了の受動態》などがあるが、文法的には特に難しいところはない。look to ~は「~を見る」と言えばそうなのだけど、何か対象そのものを見つめるときの表現 look at ~ (例: He looked at the picture on the wall. 「彼は壁にかかっている絵を見た」) とは違って、「~を展望する」といった意味合いを持っている。この場合は、「(きっと今より状況はよくなるという期待を持って)未来を見据えている〔見つめている〕」といった意味になる。
文意は「多くの人々は、これはすでに達成されたとお考えになるでしょうが、私たちはこれはまだほんの始まりにすぎないと考えます。(つまり)私たちは未来を見据えているのです」。第2文と第3文の論理的なつながりは、「つまり」を補って考えるとわかりやすいだろう。「今はまだ始まりにすぎない」=「この先がある」という論理展開である。
つまり、今回のEUROでのイングランド代表の快進撃と優勝は、多くの人々の関心を引き付け、多くの人に、それこそ「勇気を与えた」状態になったが、それで彼女たちの目標が達成されたわけではない、まだこの先がある、というのである。
それが具体的にどういうことかというのが、第4文:
We want to create real change in this country and we are asking you, if you were to become Prime Minister on 5 September, to help us achieve that change.
さらに、ここで漠然と訴えていることをより具体的に述べているのが、わずか1文で構成されている第3パラグラフである。
We want every young girl in the nation to be able to play football at school.
この流れ、「generalなことからspecificなことへ」という流れを、覚えておいてほしい。英語で説得力のある文章を書くときには、このルールに従うことが鉄則となる(「文章を書く」ときだけでなく「口頭で話をする」ときも同じである)。
では、それぞれの文を丁寧に読んでみよう。
すでに4900字に達しそうなので、手早く行きたいところではあるが、手早く片付けるのがちょっと難しい実例である。
We want to create real change in this country and we are asking you, if you were to become Prime Minister on 5 September, to help us achieve that change.
太字にした部分、《if ~ were to do ...》は、《be + to不定詞》の《仮定法過去》の形で、未来について起こりそうにもないことを想定して言う場合に用いる形であるという説明がよくなされる。例えば杉山忠一『英文法詳解』ではp. 299にそのような説明があるし、安藤貞雄『現代英文法講義』ではもっとがっつりした「可能性が少ない」という解説になっているし(p. 671)、江川泰一郎『英文法解説』でも、解説はあっさりした味つけになっているが、例文はかなりコテコテの「起こりそうにないこと」だ(p. 257)。また現在ウェブで自由に閲覧できる英語圏での一般的な解説を見てみても、例えばこちらのオンライン英語講座でも "to place emphasis on the improbability of the condition", "to emphasise that the conditional form is highly unlikely or unthinkable" という説明になっている。調べようと思えばもっと調べることはできるが、同じことを繰り返して単に長くなるだけに違いないから、ここではとっとと切り上げよう。
だが、イングランド女子代表のこの記述は、そこまでガチガチに「ありそうにもないこと」を言っているわけではない。ボリス・ジョンソンが辞したあとの保守党党首(すなわち英国の首相)になるのは、この書簡の宛て先であるリズ・トラスかリシ・スナクのどちらになるかはわからないにせよ、どちらかであることは決まっているのだから。
そこで少し「文法書」とか「規範文法」といったものから距離を取るべく、とりあえずウェブ検索してみると、英語圏のQ&Aサイト、Stack Exchange内にある「英語学習」板で、「If you were to doと、If you didの違いを教えてください」というスレッドが見つかった。これがすごい。正直、上記の文法書を踏まえると、「私が聞いてる話と全然違う」とびっくりするのではないかと思う。実際、文法的にはどうなのという内容なのだが、日々の生活の中で英語を使っている人たちはこういうふうなのだろう。
回答は3件ついているが、解説としてあてになりそうなのは一番上に来ているもの。ポイントは、「あなたがキャンセルするなら、私が代わりに行こう」というのは、未来のことについて仮定して述べているという点であり、英語にはぶっちゃけ未来時制というものがない*2ということが根本にある、ということだ。この回答から引用すると:
1: If you cancel, I will go instead
2: If you cancelled, I would go instead
3: If you were to cancel, I would go instead
4: If you are cancelling, I will go instead
5: If you will cancel, I will go instead
6: If you would cancel, I would go instead
etc., etc.
All the above are pretty much equivalent, except that using the modal will/would in #5/#6 is more evocative of volition (i.e. - If you are willing to cancel...), so it's more likely to be used when making a request, rather than a simple statement (about a hypothetical action/reaction).
つまり、《意志》を表すwill[would]を含む5と6の例文は少しニュアンスが異なるかもしれないが、1(直説法・単なる条件の文)も、2(仮定法過去)も、3(仮定法でwere to)も、4(これも直説法で、《未来》をbe -ingで表している)も、だいたい同じ意味になる、という。
つまり、イングランド代表のオープンレターの文面にある
if you were to become Prime Minister on 5 September
は、仮定法過去で
if you became Prime Minister on 5 September
としても、あるいは直説法で単なる条件の文として
if you become Prime Minister on 5 September
としても、別に意味は変わらないんじゃないか、ということだ。
私は日本で文法をがっつりやったクチだから、「これは仮定法ではない(単なる条件だ)」と考えて、"if you become ..." と書くと思うんだけど、このレターがだれか1人に宛てたものならそれで違和感はないにせよ、2人に宛てていて、2人のうちどちらか1人しか首相にならないときに、"if you become ..." って言っちゃうと2人ともが首相になるって言ってるような気がして頭の中がどこかもぞもぞしてしまう。
そこで "if you were to become..." とすると、なるほど、その微妙な違和感はない。
……ような気がする。
と、この実例からわかるのは、重要なのは、まず、規範的な文法で見られる《if ~ were to ...》とは意味・ニュアンスが異なる文例を見たときに、「ネイティヴも意外と間違えるんだよな」という方向で流さないこと(そうそうやたらと「間違い」と断じることはできない)。
それから、こういった「習っていたのとちょっと違う」という例について英語学習者が疑問に思って調べている場合、それを「どうでもいいところにこだわる」と冷笑してかからないこと。
最後に、こういうことに「こだわっている」者は「どうでもいい文法にばかりこだわっていて、実用の英語が使えない」のだと決めつけないこと。
と、思い切り長々と書いてしまっているが、この文を再度見ると、
We want to create real change in this country and we are asking you, ( if you were to become Prime Minister on 5 September, ) to help us achieve that change.
if ~ were to do ... を含む部分は、コンマとコンマにはさまれて《挿入》されている部分で、文の骨格からは外れる(副詞節なんだから、仮に《挿入》されてなくてもそうだが)。ここで文の骨格となるのは、《ask + 〈人〉+ to do ~》で、文意は「私たちはイングランド(この国)で真の変化を作り出したいのです。そして、私たちは(あなたがもし9月5日に首相になられたら)あなたに、私たちがその変化を実現するのを後押しするよう、ここでお願いしているのです」。
と、ここで8000字を突破しているのだが、最後。
このように漠然と訴えたことをより具体的に述べた第3パラグラフの文:
We want every young girl in the nation to be able to play football at school.
《want ~ to do ...》「~に…してもらいたい」の構文で、to do ... のところが "to be able to play..." になっている。「この国のすべての若い少女(子供と言える年齢の女子たち)に、学校でサッカーをプレイできるようになってもらいたいのです」という意味。
前文で "this country" と述べていたものが、ここでは "the nation" になっているあたりなど、人文系・社会科学系の英語使いとしてはめちゃくちゃ頭が痛いところだが、「ネイティブの語法」はこういうものである(専門家は除く)。というか、countryとnationが相互に入れ替え可能 interchangeable なものであるという実例としてこれを押さえておいてもよいだろう。
今回はものすごく長くなった。既定の倍の分量である。
※8500字