今回の実例は、歴史的事実を丹念に調べ、それまで当てられていなかった光を当てるということを地道に続けてきたジャーナリストのブログから。
今日は8月6日、広島市に原爆が投下された日である。戦後平和公園として整備されたかつての市街地では、広島市民や被爆者の方々、市長や県知事といった行政のトップに、日本政府の総理をはじめ閣僚、そして外国の大使などが参列しての平和記念式典が行われ、午前8時15分の投下時刻に黙禱が捧げられ、市長による「平和宣言」が読み上げられる。
そしてこの日、Twitter上の英語圏でも "hiroshima" は数多く言及されるし、多くの祈りが捧げられ、核廃絶(核兵器廃絶)への願い・誓いが言葉にされる。被爆の実相をまざまざと示す写真もツイートされる。その一方で、「広島に原爆投下」と聞くとまるで判で押したかのように「あれは正しいことだった」と言い募る人々が、まさに「湧いて出る」としか言いようのない感じで出てくる。その論拠は、「なるほど、確かに広島への原爆投下は悲惨な結果をもたらした。しかし、そうしたからこそ戦争を終わらせることができ、それ以上の流血を防ぐことができたのだ」というものである。ここで彼ら・彼女らが言う、防ぐことのできた「流血」とは、連合軍側、つまり自分たちの側の流血であり、日本人、特に日本の民間人のことなどは、それらの判で押したような言葉の主たちの視界にも入っていない。
https://t.co/J2FMBgi563 英語での "hiroshima" の検索結果。ちょっと踏み込むと、原爆投下によって生じた被害を具体的に書いている歴史学者のツイートに対する「なるほど、日本の市民の犠牲は残念だった。しかしこれによって連合国側で100万人の犠牲が未然に防がれた」云々のリプに遭遇するが。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2021年8月6日
その「原爆投下は正しかった」論は、戦後、アメリカ合衆国が自分たちの非を認めることができないという状況下で定着した「公式見解」みたいなものだが、事実とはかなり違っている。そのことを、資料の掘り起こしなどの地道な作業を通じて実証してきた人々のひとりが、アメリカ人ジャーナリストのグレッグ・ミッチェル氏である。第二次大戦終結の2年後にあたる1947年に生まれ、1980年代から核問題の分野で大きな仕事をしてきたベテランで、特に広島と長崎の原爆被害の実相を米国政府がいかにして隠蔽してきたかについての調査報道で知られる。
ミッチェル氏は所属媒体とは別に個人ブログやTwitterでの発言も活発で、最近は、毎年8月6日が近くなると、米トルーマン大統領の原爆投下の決断についてなど、米国での動きが記録された史料を丹念に掘り起こしてわかったことを読みやすい分量でまとめた過去(2013年)のブログ記事をフィードしている。その内容は、米国で広く信じられている公式の〈物語〉、すなわち「日本への原爆投下はいたしかたかなかった。投下していなかったら戦争は終わらず、欧州戦線はとっくに決着がついていたにもかかわらず、連合国側で大量の死者が出ただろう」という原爆投下正当化の言説に、大きな疑問符をつきつけるものである。
今年の3日以降のフィードは下記:
My Countdown to Hiroshima for today: 3 days before bombing Truman and Sec. of State Byrnes well aware of Japan's surrender overtures. Joint Chiefs chairman Leahy feels "barbarous weapon" not needed. https://t.co/W7Zfv6EnQU pic.twitter.com/T3h6MmCVVa
— Greg Mitchell (@GregMitch) 2021年8月3日
My Countdown to Hiroshima for today with two days to go: Bomb readied, Truman heading home, center of Hiroshima #1 target, but Gen. MacArthur still does not believe use of bomb necessary. https://t.co/ThHru34u0v pic.twitter.com/X5IxBJJjt6
— Greg Mitchell (@GregMitch) 2021年8月4日
My Countdown to Hiroshima, re: the eve of the bombing in 1945, the final fateful moments (and certainty that a 2nd bomb will be deployed). https://t.co/Ujv6GAEwVa pic.twitter.com/MXibMMlFTc
— Greg Mitchell (@GregMitch) 2021年8月5日
どれも一読に値する内容だが、今回は、2番目のツイートでフィードされているブログ記事から、英文法の実例を見てみよう。
gregmitchellwriter.blogspot.com
原爆投下の2日前の米国政府および米軍内の動きを、端的に箇条書きでまとめたこのブログ記事の3パラグラフ目:
私たちにとっては第一義的に「GHQを率いた軍人」であるダグラス・マッカーサー大将*1は、当時、南西太平洋方面最高司令官だったが、「新型爆弾」つまり原子爆弾については、使用計画はもちろん、存在すら知らされていなかった。
その下の部分から少ししっかり読んでみよう:
Norman Cousins, the famed author and magazine editor, who was an aide to MacArthur, would later reveal: "MacArthur's views about the decision to drop the atomic bomb on Hiroshima and Nagasaki were starkly different from what the general public supposed....When I asked General MacArthur about the decision to drop the bomb, I was surprised to learn he had not even been consulted.
下線で示した個所は、意味のまとまりが2つあるが、どちらも "Norman Cousins" という人物についての説明で、"the famed author and magazine editor"は《同格》の挿入句、"who was an aide to MacArthur" は《関係代名詞の非制限用法》で、どちらも《コンマ》を正確に読む必要がある。
この "Norman Cousins" という主語に対する述語動詞は "would ... reveal" で、そのあと、《コロン (:) 》で区切られたあとに、彼の発言内容が《引用符》を使って記されている。"would" は助動詞のwillが過去形になったもの。
というわけでここまでの文意は「高名な文筆家で雑誌編集者であり、当時はマッカーサーの補佐役であったノーマン・カズンズは、のちに次のように明かすことになる(明かしている)」。
カズンズが後に明かしている内容を記した部分:
"MacArthur's views about the decision to drop the atomic bomb on Hiroshima and Nagasaki were starkly different from what the general public supposed....When I asked General MacArthur about the decision to drop the bomb, I was surprised to learn he had not even been consulted.
このセクションの最初の文は、やや長くはあるが、頭から順番に読み下していけば意味は取れるだろう(これの意味が取れない場合は、基礎力が足りていない)。文法的な注意点は "what the general public supposed" での《関係代名詞のwhat》くらいだ。あと、《be different from ~》が入っているが、これは全然難しくないだろう。文意は「広島と長崎に原爆を投下するという決定に関するマッカーサーの見解は、世間一般の人びとが思っていたのとはまったくかけ離れたものであった」ということになる。
ここで「世間一般の人びとが思っていたの」がどういうものなのかは、アメリカ人ならば常識として知っているのかもしれないが、私たちには今一つはっきりしない。でもここで止まらずに、先に読んでいこう。
"what the general public supposed...." の末尾にあるピリオド3つ(文末のピリオドもあるので全部で5つになっているが)は、抜粋・引用に際して途中を略していることを示している。日本語の「……」(三点リーダー)と同じだ*2。
その次:
When I asked General MacArthur about the decision to drop the bomb, I was surprised to learn he had not even been consulted.
これもほぼほぼ中学英語の知識で読めるだろう。唯一、高校英語の範囲に入るのが、《過去完了》( "he had not even been consulted" の部分)だが、これは単純な《大過去》なので難しくはない。"I was surprised" という《過去》の一点よりも前の時点で、"he had not even been consulted" なのである。
文意は「マッカーサー大将に、その爆弾(原爆)を投下するという決定について私が尋ねたとき、彼が相談すらされていなかったと知って私は驚いた」と直訳される。
"I was surprised to learn ..." の部分で《感情の原因・理由を表すto不定詞》が使われていることにも注目しておくとよいだろう。
というところで、4,000字を上限としているはずの当ブログだが、今回既に5,700字を超えている。続きはまた次回に。
※5750字
*1:肩書については、see: 元帥 (アメリカ合衆国) - Wikipedia
*2:三点リーダーは、「吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕て煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。」を「吾輩はここで始めて人間というものを見た。……ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。」とするようにして使う。英語でも同じで、"In the centre of the room, clamped to an upright easel, stood the full-length portrait of a young man of extraordinary personal beauty, and in front of it, some little distance away, was sitting the artist himself, Basil Hallward, whose sudden disappearance some years ago caused, at the time, such public excitement and gave rise to so many strange conjectures." を "In the centre of the room..., was sitting the artist himself, Basil Hallward, whose sudden disappearance some years ago caused, at the time, such public excitement and gave rise to so many strange conjectures." とする。