Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

【再掲】so ~ that ... 構文, 関係代名詞のwhat, 分詞構文, など(ベルギーのレオポルド2世とコンゴ)

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このエントリは、2020年6月にアップしたものの再掲である。

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今回も前回の続きで、19世紀後半から20世紀初頭にかけてベルギー国王として君臨したレオポルド2世の像についての解説記事から。

レオポルド2世について背景解説的なことは前回書いたので、そちらをご参照のほど。

記事はこちら: 

www.bbc.com

今回実例として見るのは、前回扱った部分の続きから。

 

f:id:nofrills:20200616140647p:plain

2020年6月13日, BBC News

キャプチャ画像の最後のパラグラフより: 

Leopold II's rule in what is now Democratic Republic of Congo was so bloody it was eventually condemned by other European colonialists in 1908 

これは一読して次の朱字のような省略があると見抜ければ、読解には苦労しないだろう。

Leopold II's rule in what is now Democratic Republic of Congo was so bloody that it was eventually condemned by other European colonialists in 1908

そう。これは《so ~ that ... 構文》で、thatが省略されている形である(このthatは接続詞のthatで、省略が可能である)。

下線で示した "what is now ~" は《関係代名詞》のwhatを使った定型表現で、「現在の~」の意味。

よってこの文は、「現在のコンゴ民主共和国におけるレオポルド2世の統治は大変に血なまぐさく、最終的には、1908年にベルギー以外の欧州の植民地主義国家によって非難されたほどだった」という意味になる。

 

「現在のコンゴ民主共和国」は、ベルギー統治時代は(ベルギーで用いられるフランス語で)「コンゴ独立国」と呼ばれていたが、それよりも英語圏で批判的に、あるいは皮肉として使われた「コンゴ自由国」(この「自由」は「自由貿易」の「自由」であり、人々が自由に暮らしていたわけではない)の俗称で広く知られている。コンゴ自由国については日本語ウィキペディアでも概略はわかるだろう。

ja.wikipedia.org

この「自由国」でのレオポルド2世の悪逆非道について調査し、報告書をまとめたのは、当時まだ「グレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国」の一部だったアイルランドのダブリンに生まれたアングロ・アイリッシュ(イギリス系アイルランド人)で、イギリスの外交官だったロジャー・ケイスメントである。彼は1904年のコンゴにおける調査に続いて、1910年に南米のペルーで開発業者による原住民に対する虐待を調査した。彼の仕事は、100年後の今の時代にヒューマン・ライツ・ウォッチなどの人道機関が行なっているのととてもよく似ていて、植民地主義によるこの搾取というものは、植民地主義が過去のものとなってもまだ終わっていないのだということがよくわかる。余力のある方には、英語版ウィキペディアのケイスメントの項を読んでみていただきたい(情報量がちょっと多すぎて、まだ編集の余地のある記述だから、読むのは少々大変かもしれないが)。日本語版にも立項はされているが、情報量が山川の『世界史用語集』程度しかないので、参考にするのはちょっと厳しい。

en.wikipedia.org

ちなみにこのロジャー・ケイスメントという人は、コンゴと南米の調査で英国王から顕彰されているのだが(だから「サー・ロジャー・ケイスメント」と呼ばれている)、同時にアイルランド民族主義(英国からの独立運動)にも深く関わっていて、1913年に英国政府の仕事を辞めた(退官した)あとは完全に独立活動家となり、独立派の武装組織(後のIRA)の創設に尽力し、最後には1916年の武装蜂起(イースター蜂起)で使う武器を調達する計画の実行役となって、ドイツからアイルランドに戻ったところを国家反逆罪で逮捕され、その後、ロンドンで処刑された。この人は、本1冊余裕で書けるくらいの人物で、実際何冊も本が書かれているのだが(本人の著作もけっこうある)、アイルランドでは「人道主義の英雄、独立の闘士」で、イギリスでは「裏切者」だ。だから今もなお、北アイルランドでは扱いに注意が必要な名前である。《歴史》というのはこういうものだ。 

Luminous Traitor: The Just and Daring Life of Roger Casement, a Biographical Novel
 
The Trial of Sir Roger Casement (Classic Reprint)

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  • 作者:Casement, Roger
  • 発売日: 2012/08/01
  • メディア: ペーパーバック
 

 

閑話休題。さて今回のBBCの記事には、上記の個所の他にもまだ《so ~ that ...》構文が使われている箇所がある。

ずーっと下の方まで読んでいって、次の画像の個所だ。

f:id:nofrills:20200617062452p:plain

2016年6月13日, BBC News

By 1908, Leopold II's rule was deemed so cruel that European leaders, themselves violently exploiting Africa, condemned it and the Belgian parliament forced him to relinquish control of his fiefdom.

今度はthatの省略が行われていない、素直な形である。

下線で示した部分は《分詞構文》で、"themselves" は主語 (European leaders) を強調のため再帰的に表しているところ。「彼ら自身も、アフリカを激しく搾取していたのだが」の意味。この分詞構文が、コンマで挟まれる形で挿入されていて、that節内の述語動詞はその後の "condemned" である。

文頭の "By 1908" のbyは「~までには」の意味の前置詞。「1908年までには、レオポルド2世の統治は非常に残虐であるとみなされるようになっており、欧州諸国の指導者たちが、彼ら自身もアフリカを激しく搾取していたのだが、それ(=レオポルド2世の統治)を非難し、ベルギーの国会が国王に国王の領地の支配権を廃止させたほどだった」というのがこの文全体の文意である。

 

こうしてコンゴは、ベルギー国王の私領(私領だから他人は指図できない)からベルギー政府の管轄する土地となったのだが、それで「みんな幸せに暮らしました。めでたしめでたし」とならないのが植民地主義である。並外れて残忍な国王が去ってもなお、搾取の構造はそこに残る。

 

レオポルド2世は、1909年に没したが、その埋葬に際しては国民のブーイングが浴びせられたと、上記BBC記事キャプチャ画像の一番下の文にある。

その不人気な国王の像がなぜ、ベルギーのあちこちにあるのかということは、さらにその下に書かれている。次回はそこを見てみよう。

 

参考書: 

英文法解説

英文法解説

 

 

 

 

 

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