Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

手記を読む(ボリス・ジョンソンが首相官邸で違法にパーティーをしていたころ、英国の人々はどんな生活を強いられていたか)

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今回の実例は、前回の続きで、さらにTwitterから。

前回述べたように、いわゆる「パーティーゲイト #Partygate」*1ボリス・ジョンソン首相とその妻キャリー・ジョンソン、財務大臣のリシ・スナクという政権トップとナンバー2がそろって罰金刑を食らった。

これは、ジョンソンが「憎めないキャラ」扱いされている日本ではきっと「ジョンソン、やっちまったな(笑)」程度、下手すると「罰金なんて、お茶目www」的に流されているのではないかと思うが、事態はとても深刻で、疑惑が発覚した当初「パーティーなんかやってません」と国会で述べていたジョンソンは、国会に対して嘘をついていたということだから、明文化されている閣僚の倫理的な規範に反しているため辞任すべきである、というレベルの事態である。つまり、自分が作った法律(新型コロナウイルス感染拡大抑止のための行動制限)に違反したうえで、それについて国会で嘘をついたという規範違反という、二重の違反だ。

実際、世論調査では6割超の人々が「ジョンソンは辞任すべき」と回答している。

また、弁護士で上院議員でもあるウォルフソン卿は、ジョンソンのこの違反行為に耐えられなくなって、司法省の要職(ミニスター職)を辞した。辞意を伝える書状がまた、すさまじい。

ジョンソン派というか、ジョンソンの腰ぎんちゃくみたいな保守党の政治家たちは、総出で、日本語でいうところの「エクストリーム擁護」をテレビなどで展開しているが、中には「首相官邸でのパーティーは仕事が終わったあとの軽い飲み会です。学校の先生だって、病院の医療従事者だって、みんな、仕事終わりには事務室で軽く飲むでしょ」みたいなことを言い出す者がいて、人々は余計に腹を立てている。ジョンソンがウェ~イしてたころ、学校は休校だったが「エッセンシャル・ワーカー」と位置付けられる人々の子供たちのためにやっていた学校がいくつかあって(そういう学校にケンブリッジ公夫妻がオンラインで「訪問」して子供たちとおしゃべりしたりもしていた)、そういう学校では教職員は子供の安全を最優先し、神経をすり減らしながら仕事をしていた。医療従事者に至っては、仕事をするための装備を身に着けるだけでも一苦労で、マスクをつけっぱなしで顔に青あざを作り、家族とも会えない状況で、身も心も粉々にしていたのだ。ましてや、ジョンソンは野放図な行動をして、案の定感染して、医療によって生命を救われた人物だ。下記はジョンソンの腰ぎんちゃくによるエクストリーム擁護に対する医療従事者の発言。「帰宅したら玄関で着替えて、シャワーを浴びるまでは子供をハグすることもしなかった。一日コロナ患者のICUで仕事を終えた後、職場でワインなんていう気分じゃなかったし、意味がわからないんだけど」

デイリー・メイルなどは「パーティーゲイトなんか些細なことです。ウクライナで戦争をやってるときに、そんなどうでもいいことで首相を交替させるんですか」みたいなことを言っているが、人々の反応は冷ややかだ(メイルのコメント欄がこんなに「保守党批判」で埋まることはまずない)。実際、英国では戦争中に首相が変わった例は結構あるわけで。

と、このように、人々の怒りは、ジョンソンのでたらめさに慣れてはいても「ついに堪忍袋の緒が切れた」ような状態だから、簡単にはおさまらないだろう。ジョンソンがこのまま首相の座に居座るとしても、ずっとこの冷たい目線にさらされることになる。

だってこれは、自分の生活から遠く離れた政治の中枢で起きたことではなく、自分ともかかわっているのだから――いったい、何人の人々が、COVIDでの行動制限のために大切な家族と会うこともできず、感染してしまった身内を孤独のうちに送ってきたことか。

今回は、そういう体験をした人の連ツイを読んでみよう。

ツイート主の@Poppyjuiceさんは、ツイートからわかるが、医療従事者である。

1行目。これから書くことのテーマを提示して、《コロン》を置いている。コロンのこういう使い方は覚えておくといい。例えば次のような箇条書きにも使う。

  Books to read

   -Timothy Snyder, On Tyranny

   -George Orwell, 1984

   -Peter Geoghegan, Democracy for Sale

第2文、"I was sat in a respirator." のinは「~を着用して」 。"respirator" は医療現場で医療従事者が着用しているようなごついマスク。ここで筆者が医療従事者であることがわかる。

文意は「私はレスピレーターを装着して座っていた。これを装着していると大変につらい。鼻水は流れ出るし、マスクのひものせいで顎関節に圧力がかかり、片耳が聞こえなくなる」。

その次、"dog tired" は慣用句で「ぐったり疲れて」。

「私は疲れていた。完全にくたくたで、ぐったり疲れていた。50代の男性を診察したところだった」

筆者は患者をreviewする立場、つまり医師だ。

次のツイート: 

"comorbidity" は医学用語で難しい語。受験生レベルでは覚えなくてよい。試験に出たら語注がつくレベルだ。意味は「共存症」。

医師が見ているこの患者は人工呼吸器をつけており、うつぶせに寝かされている。酸素飽和度の数値はひどく、肺は木のように降下している。地域のECMOセンターもできることはないという。この医師にも、できることはない。患者は死に向かっている。

そういう厳しい状況だ。

次のツイート: 

第1文の "next of kin" は覚えておくと便利な表現で「近親者」。同居家族や、親兄弟姉妹のことを言う。

医師はマスクを装着した状態で座って、この、手の施しようのなくなった50歳の男性患者の近親者に電話をかけている。

"It's hard enough to have an end of life conversation face to face. " は《形式主語》の構文。ぱっと見、enough to do ~の構文に見えるかもしれないが、そうではない。「もうこれでおしまいですという話をするのは、面と向かってでも、十分につらい」という意味。

その次、 let alone ~は、漢文調にいえば「いわんや~をや」。「ましてや、電話でするのはつらい。さらに、プラスチックのヘルメット越しに電話で、まともに聞くことも話すこともできない状態でがなりたてるように話すのは」

こうして、装備を付けたまま腰かけて、男性患者の家族に最期を迎えると告げるためかけた電話には、男性患者の姉(か妹)が出た。

次のツイート: 

書き出しは、1つ前のの続きで "I'm sorry, but it's not good news". 「よいお知らせではありません。弟さん’(お兄さん)は最期が近いです。私どもにはそれを止めることができません。あなたのご訪問を手配したいのですが」

"Can we organise for you to visit?" の疑問文は、相手に頼むときの表現。to不定詞の意味上の主語とto不定詞の構文になっていることにも注意しよう。

医師からのこの電話に、電話口の女性はただ嗚咽を漏らすばかりだった。この女性も救急医療に従事する人で、パンデミックの間中ずっと仕事をしていた。その前の朝、お母さんがコロナで亡くなったばかりだった。そして……

次のツイート: 

書き出しは "Her Dad was dying at home. Unable to come to hospital because there wasn't room for the dying." 「お父さんは自宅で最期を迎えようとしていた。手の施しようのない人のための場所は病院にはないので、入院できなかったのだ。彼女は、自宅の居間で、父親が死ぬのを見ていなければならない立場だった。母親が亡くなったばかりで。そして、今は弟までも」

彼女は弟を看取るために病院に来ることはできないという。

そこで医師は約束する。「弟さんは、ケアする手が触れることなくひとりぼっちでなくなるということにはなりませんから」

そう言って、医師は電話を切る。

次のツイート: 

そして、また次の、手の施しようのない患者の診察に移る。「それが起きることを止められない」。医師がどうすることもできないのだ。

それを医師は、 "It was unrelenting." という言葉で描写する。unrelentingは「過酷な、容赦のない」で、あまり半端なことには使わない。

シフトが明けた医師は帰宅する。「友人たちと会いたい。パブでたわいもない話をしながら飲んで、大変なことは何も考えずに。そうすることで救われるのに」

「しかしそれはできない。だからそうしなかった」

できないのは、コロナ禍の行動制限で、同居家族以外と対面することが禁止されていたからである。そういう規則を策定し、署名したのは、ボリス・ジョンソンだ。

こうして医師は、つらさを発散することもできずに就寝し、そしてまたシフトに出て同じことを繰り返す。

次のツイート: 

「私たちはそうするようにと言われた。

本当に、めちゃくちゃひどかった。

けどそうしたんだ。だれもがみな同じ思いをしていると思って。

(ジョンソンの誕生会と違い)ケーキなんかなかった。

パーティーなんてなかった。

(話をして)お互いに慰めあうこともなかった。

パーティー用のおどけた帽子も、余興のクイズも、チーズとワインもなかった。

ただ頭を垂れ、動きを止めなかった。公益のために」(意訳)

次のツイート: 

「何という裏切りか。

何と腐りきった、上から目線の、特権階級の傲慢さであることか。

すべての動物は平等である。しかし、ある動物たちは自分たちだけの特別な飼い葉桶、私たち平凡な豚には手に入らない特別な飼い葉桶を前に笑っているのだ」

この「動物」云々の記述は、ジョージ・オーウェルの『動物農場』を踏まえたものだ。

 

次のツイート: 

ここでは筆者はひたすら、怒りをぶちまけている。「頭の芯から怒りで煮えたぎっている状態なので、どこから話していいかもわからない」と。

次のツイート: 

《deserve to do ~》は「~するに値する」。ここでは《to do ~》の部分が、 "to even stand" という《分割不定詞》の形になっている。「あの連中は、あの連中のルールに従った私たちと肩を並べて立つことすらすべきではない。ましてや、私たちの指導者であるなどと」

ジョージ・オーウェルも墓の中で共感しているだろう。

筆者の@Poppyjuiceさんはここで、政治リーダーの交替を強く求めている。

「速やかに、遠慮せず徹底的に、私たちをだまして従わせてきた腐敗しきった連中を一掃すべきときがきているのだ」

"tossing their crumbs" はこれだけ見ても唐突で意味がわからないだろう。そういうのはだいたい慣用表現なのだが、これも例外ではない。toss a few crumbs でシソーラスに載っている

@Poppyjuiceさんの連ツイはこれで終わっている。

こういう体験談は少なくないし、こういう怒りを表明している人は少なくない。というか私の見る範囲ではみな同じことを違う表現で言っている。例えば: 

「政治の話はしないようにしているのだが、『あいつら』がダウニング・ストリートでパーティーをやっていたときに、私の素敵なママが、マスクも着用していたしワクチンも接種していたし気を付けてもいたのに、コロナで死んでしまったことに、今も私は激怒している」。

文中の "HT" はhead teacherの略語で、「私は学校の校長で、姉妹たちは医療従事者だったり学校職員だったり小売店従業員だったりしている。私たちはパーティーなどしなかった。ただ自分の仕事をして、そして母親を失った」

つらい。

こういった体験談は、新聞への投書でももちろんある。

twitterにだって、いっぱいある。

そして、こういう声が寄せられて、「そんなこと言ったって、死んだ者が生き返るわけではない」「2年前のことを今更」「プーチンが笑っている」などと述べているのは、ジョンソンをかばう、保守党の元閣僚(1990年代の政治家)である。

これでもまだ、「かりんとう食ってて憎めないキャラ」とほめたたえることができるだろうか。

「すごい英語を使うインテリ」と扱うことができるだろうか。

 

コロナ禍の初期、英国では毎週木曜日の晩に、医療従事者に感謝の意を示して、ステイホーム中の人々がそれぞれ自宅の玄関の前で拍手をするというイベントが、自発的に組織されて行われるようになった。ジョンソンもそれに乗っかって、ダウニング・ストリート10番地の前に立って拍手をしていた。

それを皮肉った、次のツイートで、本稿を〆よう。

 

※9400字。破格だね。

https://twitter.com/Poppyjuice/status/1513957117488685071

 

*1:いうまでもなく、この「-ゲイト -gate」という接尾辞は米国のウォーターゲイト事件にちなむものである。

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