Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

分断と対立の地で、若き政治家が急逝し、分断を超えて政治家たちが言葉を寄せている(お悔やみの言葉, 時制, 完了不定詞など)

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今回の実例は、Twitterから。

北アイルランドで、ある政治家がわずか39歳で急逝した。その報を受けて、私の見る画面は、北アイルランドの分断と対立を超えて、政治家たちからの、故人をしのぶ、とても人間的な言葉で埋め尽くされた。

「紛争」に関係していない世代の若い政治家だから、というのはあるだろう。けれど、というかそれでも、現にあなたがた、Brexit自治体制をめぐってガチガチに対立しているじゃないですか、ついこないだ、その対立ゆえに自治政府ぶっ壊したばかりじゃないですか、というのがあるから、画面のこちらで、私は少し混乱した。

北アイルランド紛争は、1998年に終結しているからもう知らない人のほうが多いんじゃないかと思っておいたほうがいいのだが*1、対立し武力行使しあっていた勢力のどちらが勝ったとか負けたとかいう結果にはならなかった(少なくとも短期的には)。武力で何とかしようという時代はもう終わりにしよう、次の世代は武力を知らない世代にしよう、ということで話し合いがもたれ、そのためには何をどうしたらいいのかということが個別具体的に検討されて和平合意(ベルファスト合意、別称グッドフライデー合意: GFA)となり、北アイルランドの政党・政治勢力武装組織の政治部門を含む)の代表者によって署名され、アイルランド島全体の人々の圧倒的多数が賛成した。

その和平に加わらなかったのが、DUP (the Democratic Unionist Party) だ。DUPは直接の武装部門を持ってはいなかったが、英国の治安当局が一番警戒していた超過激派の宗教家が設立した政党で、政治的なユニオニズム(北アイルランドは英国と一体であるという立場)と宗教的信念(反カトリック)が結びついた、めちゃくちゃ強硬な勢力である。20世紀に入ってからいろいろあって、そのDUPも、ざっくり言うと「GFAを支持はしないが、GFAが規定したような自治の体制は受け入れる」みたいな方針をとり、GFAとは別の新たな合意を結んで、こうしてストーモントという場所に置かれている自治議会 (Assembly) で、各政党が獲得議席数に応じて閣僚ポストが割り振られる制度(d'Hondt制と呼ばれる)のもとで組織される自治政府 (Executive) が稼働していた。

そういう政治制度だから、かつての敵同士が同僚として、北アイルランドの行政をやっていかねばならない。最初は「うげー」とか思いながら仕事してたらしいが(個々の政治家の回想録などに書いてある)、やがて、政治的な考えや信念を超えたところで、人間対人間の関係が結ばれることになってきた。これはストーモントに限らず、全体的に、アンナ・バーンズの『ミルクマン』で背景として描かれているような、「人間である前にカトリックプロテスタントか」だった社会が、互いに言葉を交わして「何者かである前に人間だ」ということを共有する社会になった。これは本当に見事な転換だった。

ちなみに北アイルランド南アフリカとは違って「和解」はしていないし、その問題は今なお火種としてくすぶっているし、「過去」はとても難しい問題で少し話題にすれば事態が紛糾してしまうレベルなのだが、「過去」ではなく「現在」や「未来」については、建設的な方向を向いている。

前置きはこのくらいにして、本題に入ろう。

急逝したのはクリストファー・スタルフォード自治議会議員。2016年から南ベルファスト選挙区で選出されて自治議会議員を務めているが、その前はベルファスト市議会議員だったので、政治歴は約17年に及ぶ。20代初めからずっと政治家だ。

www.bbc.com

www.belfasttelegraph.co.uk

北アイルランドで政治家が亡くなると、故人が属していたのとは別の側からはごく形式的なお悔やみの言葉が出るだけ、ということが多いのだが、スタルフォード議員の場合は違う。DUPの人たちはもちろん、DUPとは政治的にはあまり友好な関係にはないユニオニストの政党の人たちも、あるいはユニオニストと対立するナショナリストの政党の人たちも、それぞれ、形式的な常套句でない言葉を出している。

DUP党首のジェフリー・ドナルドソンは、自宅と思われる場所から映像で死亡告知を出している。下記ベルファストテレグラフのページで、映像は1分半ほど: 

www.belfasttelegraph.co.uk

最初の1文は、非常にフォーマルな定型表現だが、ドナルドソンの声は少し震えている: 

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https://www.belfasttelegraph.co.uk/video-news/dup-leader-pays-tribute-to-christopher-stalford-41365641.html

時制に注目すると、理屈で理解できるから、この定型表現が頭に入りやすいだろう。次の下線部に注目してほしい。

We are absolutely devastated to have received the news this morning that our dear friend, much-loved colleague Christpher Stalford had passed away. 

最初の "We are absolutely devastated" は「現在、私たちは完全に悲嘆に暮れている」(直訳)ということで、それに続く "to have received the news this morning" は《完了不定詞》で、「悲嘆に暮れている」より一つ前の時、すなわち《過去》を表す。そして、太字で示した《同格》の接続詞that(the news that ... という構造)の中は "had passed away" と《過去完了》で、これは《大過去》を表す。

つまり、それぞれの出来事が起きた順番を見ると: 

Christpher Stalford passed away 《大過去》

 → We received the news 《過去》

                   →   We are devastated 《現在》

という構造になっている。

第2文は、故人が遺していったご家族へのお悔やみの言葉で、これも定型表現だが、その次の第3文で "Christpher was first and foremost a loving husband, a father and a son" と続け、さらに第4文で「クリストファーと会話をすると、いつも家族のことを話題にしていました」と、故人が家族を大切にしていたということをたくさん語っている。

さらに第5文で「金曜日に話をしました。話題は政治的な事柄や次の選挙についてだったのですが、クリストファーは学校のことや、お子さんが大きな学校に行くようになるということも話していました」と続け、次に "He just lived for his family." とまとめている。

その次に "But he also lived for his politics" と話題を「政治家としての故人」に切り替えて、南ベルファスト選挙区の代表であることをとても大切にしていたと述べたあと、

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https://www.belfasttelegraph.co.uk/video-news/dup-leader-pays-tribute-to-christopher-stalford-41365641.html

He wanted to work for everyone. 

ああ、そうです。これが民主主義。選ばれたからには、すべての人のために仕事をする。北アイルランドのような、「あれかこれか」で分断された地でも、議員は当選したらすべての人のために仕事をする。昨年10月に刺殺されたイングランドのデイヴィッド・エイメス議員もそういう人であったと、選挙区の有権者が語っていたように。

そしてこのあと: 

We are also grateful to the many messages we've received from other political parties as well. 

「ほかの政党からいただいた数多くのメッセージにも感謝申し上げます」

最後に: 

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https://www.belfasttelegraph.co.uk/video-news/dup-leader-pays-tribute-to-christopher-stalford-41365641.html

Christpher had the capacity to reach out across the political divide, and he was someone who wasn't afraid to do the heavy lifting to push the boundaries and to try and make Northern Ireland a better place for all of us. 

《have the capacity to do ~》, 《reach out》, 《do the heavy lifting》, 《push the boundaries》, 《make ~ a better place》など、使い回せる英語表現てんこ盛りなのだが、今の私はそんなことより "for all of us" をじっくり胸の奥に落とし込みたいので、英語表現については各自で辞書を参照するなりなんなりしてください。

 

ここで4190字になっているので、本文はここまで。

 

以下は、ジェフリー・ドナルドソンも謝意を示している "the many messages we've received from other political parties" の具体例を挙げておくことにする。

まずはSDLP (the Social Democratic Labour Party)。SDLPはナショナリストの政党で、DUPとは対立関係にある。そのSDLPは訃報のあった当日に予定されていた党の大会を、スタルフォード議員の喪に服するため、延期することにした。それを告知するコルム・イーストウッド党首のツイート。イーストウッドさんは故人と同い年だ(1983年生まれ)。

イーストウッドさんも若いころから先輩政治家のもとで政治の現場にいた人だから、きっとそのころに対立する政党の若い党員同志としてよく知っていた仲なのだろう。

そのSDLP所属の政治家で(自治議会ではなく)英国会下院議員のクレア・ハンナさん。彼女はスタルフォード議員と同じく南ベルファストを選挙区とする。

「論争に際しての戦闘的スタイルで知られていたが、ユーモアのセンスにかなりのものがあり、知り合えばすぐに好感を抱いてしまう」ような人だったと。

 

ユニオニストの政党で、DUPの「ヌルさ」に耐え切れず党を飛び出して自分の新党を立ち上げた強硬派の中の強硬派、TUV (the Traditional Unionist Voice) のジム・アリスター自治議会議員。

このベテラン政治家は、かつて故人を、自分の事務所で部下としていた。まだ39歳での突然の死は、さぞかしショックだっただろう。おそらくそのショックを吸収するのは信仰だ。

 

DUPとは政治的にはかなり複雑な関係にあるシン・フェインの北部6州におけるリーダー、ミシェル・オニール自治議会議員: 

個人的な言葉を入れていない、形式的で礼儀正しい文面だ。ちなみにオニール議員は1977年生まれで、故人より少し年長にあたるが、「ポスト紛争」世代という点は共通ししている。

同じくシン・フェインのニーアル・ドナリー元ベルファスト市議会議員。ベルファストは市議会議員で各党持ち回りで任期一年の市長(名誉職)を任命するが、ドナリーさんは2011年から12年に市長を務め、その次の市長がDUPのガヴィン・ロビンソン現英下院議員だったのだが、ロビンソン市長のもとで副市長を務めていたのが故人だったというつながりがある。

「政治的にはまったくかけ離れた見地に立っていたが、ベルファスト市議会ではお互いに敬意をもって良好な関係で仕事をしてきました。切れ味の鋭い、頭の回転の速い人で、議論好きでした」。ツイートに添えられているのは、ドナリーさんが市長をしていたときのもの。真ん中の女性は副市長だ。

そしてシン・フェインのベテラン、デクラン・キアニー自治議会議員: 

この "We disagreed well." という言葉の強さよ。「メディアに出るときも、議場でも委員会でも意見が対立したが、個人間ではいつも友好的な話ができた」。最後の1行はアイルランド語で、そこらへんはさすがシン・フェインのベテランである。

 

ガチ保守のDUPとは何をどうやっても反りが合わないリベラルな政党であるアライアンス党のナオミ・ロング党首。基本的にはフォーマルな文面なのだけど、書き出しの言葉の選び方でパーソナルなタッチが加わっている。

「政治的には敵対関係にありましたが、人としては友人関係でした。つい先週、娘さんの転校の話をしたばかりでした」。ロングさんもベルファストの人だから、子供の学校の話題などは共通なのだろう。

ロングさんは、火曜日に子供のこととか選挙のこととかを話して楽しく笑っていたという。

同じアライアンス党から、現在ベルファスト市長(名誉職)を務めているケイト・ニコルさん: 

「会った人は必ず、妻や子を深く愛する家族思いな人として印象付けられた」という回想。多くの人々がそのことを書いていて、「政治的な違い」を超えるのは、こういうところなのだなと深く思う。逆に言えば、そこで理解できないような行動をとる人(例えばイスイス団がやっていたように、子供を仕込んで自爆攻撃者にする、など)とは、どうしようもない断絶があるのだろうとも。

 

そして故人と同じDUPから、エマ・リトル・ペングレー元自治議会議員。同じ南ベルファストの人で、故人より少し年長の「ポスト紛争」世代の政治家である(が、家族は紛争をど真ん中で体験している)。悲痛だ。

リトル・ペングレーさんも「常に意見が一致していたわけではない」と書いているように、党内でも議論をいとわない人だったのだろう。しかし、悲痛な言葉である。

DUPのアーリーン・フォスター元党首: 

ずっと若い部下・後輩を亡くした上司・先輩の悲痛な言葉だ。ツイート本文の最後にある "Matthew 5v4" は「聖書のここを参照しなさい」という指示で、マタイ伝の下記の一節である。

Blessed are those who mourn,    

for they will be comforted.

Matthew 5:4 NIV - Blessed are those who mourn, for they - Bible Gateway

そしてDUPの、つい先日、感情を押さえ込むようにして自治政府ファースト・ミニスター辞任表明をしたポール・ギヴァンさん。この人もほぼ同世代だ(1981年生まれ): 

「初対面は学校の討論大会がベルファストの市役所で行われたときで、この人はきっとすごい政治家になるだろうなと思いました」という個人的な回想。それ以来、よい友人関係であったという。

 

ユニオニストの政党で、DUPとは対立関係にあるUUPのダグ・ビーティ党首: 

形式的で特に個人的な言葉はないが、あまりに突然の、あまりに若い死には、こうとしか反応ができないのが正直なところかもしれない。

そのあとでUUPが出したもっと長いステートメントを、アレックス・ケインさん(かなり前に引退した元UUPスタッフ)がツイートしている: 

故人は議場で副議長として仕事をし、その采配っぷりは議員たちを楽しませていたようだ。ちなみに北アイルランド議会の討論は、しばしば、とてもおもしろい(ユーモアのセンスがみんなすごい。武力紛争が終わったら毒のあるお笑い集団だった、という感じ)。

 

ユニオニストの強硬派で、今BrexitのNorthern Ireland Protocolに反対するデモなどをやっているような人たちのことば: 

みんな本当に、「意見は一致しなかったが、友人だった」ということを言っている。しかし、ご家族がいやがらせの標的にされたのでTwitterをやめてしまっていたというのは、悲しいね。

 

ナショナリストのスポーツ」であるGAA(ゲーリック・フットボール)の会場に、ユニオニストの政治家が足を運ぶという政治的なイベントが行われるようになったときに、アーリーン・フォスターDUP党首と一緒にGAAファイナル(リーグ王座決定戦)を観戦していたのが、故人であるという。GAAのお偉いさんであるスティーヴン・マックギーハンさん: 

「お会いするたびに、進歩的で、家族思いの優しい人だと印象付けられました」。こういう人がいたから、あの時期、事態が停滞しながら少しずつでも開けてきていたのかもしれないね。

 

SKY Newsのデイヴィッド・ブレヴィンズ記者は、つい昨日、ちょっと話をしたばかりなのにとショックを隠さない: 

「政治的な見解についてはいろいろな意見があろうが、クリストファー・スタルフォードは議場に立つために生まれてきたような人だった」と、「天性の政治家(弁論家)」であったことを述べている。

ユニオニスト側の新聞「ニューズレター」から、大手「ベルファストテレグラフ」に移籍したばかりの敏腕ジャーナリスト、サム・マクブライドさん。DUPに関しては容赦ない調査報道を行っている: 

「最初に知ったのは、彼が北アイルランド自治議会議員を務めるようになったころのことで、DUPの党広報担当として粘り強い仕事っぷりを見せていました。若いころから政治活動に深くかかわってきた人で、DUPの議員としては最も弁が立つ政治家のひとりでした」。

ベテラン記者(つまり紛争時代から活動している記者)のスザンヌ・ブリーンさん: 

最近、DUPっていろいろあったじゃないですか。アーリーン・フォスターおろしに始まり、エドウィン・プーツ党首の短命政権とかいろいろ……それもネタにして笑ってったのかなあ……DUPの人なのに。

ベテラン記者のブライアン・ロウアンさんは、ベルファスト市議会のジョン・カイルさんのツイートを受けて: 

39歳の政治家にとって、ロウアンさんのような人は、「自分が学ぶべき歴史を生きてきた証人」ですよね。お互いに、すれ違ったら必ず話をしたいという関係だったのでしょう。

BBC News NIのマーク・シンプソン記者: 

インタビューを申し込んだら、「今は子供たちを連れて公園に来ているから」と言われ、「じゃあ午後になってからでお願いできませんか」と言ったら「午後もまだ公園にいると思う」と言われたので、結局ジャーナリストが公園に行ってインタビューしたという。子煩悩なパパの姿が浮かび上がる。

そんな写真をこっそり撮っていた人がいる。

オフィスで、小さなお子さんを膝にのせて、子供用のテレビ番組を見ている。壁にはイアン・ペイズリーの肖像。

北アイルランド政治系のグループ・ブログでとても重要な言論・検討の場となってきたSlugger O'Tooleのミック・フィールティさん: 

「政治的な立場の違いを超えて、広く知られ、広く好感を持たれた人でした」としたうえで、故人が何であったかを、定義するようにして述べている。

画家で諷刺家のブライアン・ジョン・スペンサーさん。南ベルファストに住んでいたことがあり、故人とはよく顔を合わせていたそうだ: 

7月12日に描いたんだろうね。オレンジオーダーのサッシュを持ったクリストファー・スタルフォード議員と、サッシュを首にかけた息子さんの肖像。

彼らが「文化」と呼ぶもの。

最後に、ジャーナリストのレオナ・オニールさんの言葉。彼女は、「ポスト紛争」の時代の北アイルランドで、いろんな暴力の現場の最前線で取材してきた人である: 

オニールさんがこう言う背景: 

悲しいね。こういうことを少しずつ少しずつ過去のものにしてきたのが北アイルランドの20余年だったと思うのだけれど、まだ完全に過去にはなっていない。

亡くなったのがナショナリストの政治家だったら、ここにツイートを挙げた人の中には、こんなに暖かい言葉を書いていないだろうという人も、現にいるわけで。

だってさ、1月30日のデリーの「血の日曜日」事件50周年のイベントには、ユニオニストの政党は誰も送ってこなかったのだから。

 

 

 

*1:ただ、紛争が続いていた当時だって、漠然としか知らない人のほうが多かった。「アイルランドは紛争があって危険」「アイルランドがらみで何か陰惨なことが起きたらそれは全部IRAのしわざ」みたいな間違った思い込みは、本当にありふれていた。

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