このエントリは、2021年3月にアップしたものの再掲である。
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今回の実例は、話題の本から。
これ。
英語版も日本語版(を含む各国語版)も同じ日、3月2日に発売となったこの作品、英語版は言うまでもなく日本語版も紙の書籍と同時に電子書籍も出ていて、各ネット書店・電子書籍配信販売元で最初の方が試し読みできるようになっている。
その試し読みを両方読んで、私はこれは先に英語で全部読んでから日本語訳を読もうと思ったので、まずは英語版を購入して少しずつ読み進めている。日本語版は紙でも電子でも2,750円するが、英語版の電子書籍なら1,000円台だ。
全編を通じて "I" が語っている一人称小説だが、この "I", すなわちKlaraがとてもかっちりした英語を使うので、受験英語をしっかりやっている人ならほぼ難なく読み進められるだろう。ところどころ、Klara以外の誰かの発言としてカギカッコでくくられている中で、口語的に崩れた表現が出てきたりもするが、それもさほど読みにくくはない。物語の書き方としてもあまり小難しい感じではなく、なんというか、素直な英文だから、新学期が始まるまでの間に何か読んでおきたいな、というようなケースにはぴったりだろう。
で、この本の英語版は、紙の本も電子書籍も、英国版と米国版が出ている。英国版はFaber & Faberという出版社で、米国版はKnopfという出版社だ。表紙が違うので見分けがつくが、中身は、試し読みできる電子書籍の見本部分で確認した限り、どちらも同じである。通例、英国の作家が書いた作品は英国式の綴りや単語が使われているので、米国版はそこを米国式に微修正するのだが(例えばcolourはcolorと差し替えられ、realiseはrealizeに置き換えられる。もっと大きな修正例では、英国では Harry Potter and the Sorcerer's Stone だった作品が、米国では Harry Potter and the Philosopher's Stone にされ、ニュアンスが抜け落ちてしまったことがある*1)、Klara and the Sunでは英国版でもcolorという綴りが使われている。これはおそらく、作家によるKlaraというキャラクターの造形の一部だ――Klaraはアメリカ英語を使う。Klaraは20世紀後半以降、アメリカで発展してきた「計算機科学の子」だからだ。この作品は、Klaraが見聞きしたこと、"感じた" こと、"考えた" ことや "推測した" こと、つまりKlaraのmindがどう動いたかを、Klara自身が言葉にして、"I" の主語で書き綴っているという体裁の物語であり、"color" という綴りを使っているのは、作者のカズオ・イシグロではなくKlaraなのだと私は読みとっている。(そう読んでいるのは私だけではないと思うが、作品を読み終えるまでは書評・評論は意図的には見ないようにしているので、未確認。)
ともあれ、作品について立ち入るのは当ブログの仕事ではない。Amazonでも英国版、米国版両方の電子書籍があるが、このようなわけで、どちらを買っても同じである。「colorじゃなくてcolourって書いてないと読みづらいんだよね」という英国式綴りに最適化されている目の持ち主には若干つらいかもしれないが、選択の余地はない。
ではどちらを買うかというと、今のところ、価格が違うからそれで決めればいいと思う。Amazon Kindleでは私がチェックしたときは英国版が1,500円くらいだったが、今は1,100円しない程度になっている。
Klara and the Sun: 'A masterpiece.' Sunday Times (English Edition)
- 作者:Ishiguro, Kazuo
- 発売日: 2021/03/02
- メディア: Kindle版
私が買ったときは楽天KOBOの方が安かったのでKOBOで購入したが(余談だがKOBOは元々カナダの会社なので、英語の書籍が充実している)、今ならKindleの方が安い。専用端末でなく、スマホやPCのアプリで読むなら、どちらを買っても同じだ(ただしスマホ・PCのアプリは、Kindleの方が、同期やメモの使い勝手がKOBOアプリよりも数倍よい。というかKOBOのアプリはかなりタコで、イマイチ便利さに欠ける)。
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米国版はこちら。米国版は、現時点で、KindleとKOBOでは300円以上の価格差がある。
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というわけで、今のところでは一番安いのはKindleの英国版、次がKOBOの英国版だ。
自分に読みこなせるかどうか不安だという場合は、Kindleのサンプルを見てみるとよい。サンプルでもかなりたくさん読めるようになっているから――私のスマホの画面で450ページ分――、自分の英語力で読めるかどうかを確認するくらいは余裕でできるだろう。
今回の実例はこのサンプル部分から。小説の文面をばーんと貼るのは抵抗があるので、実例の出てこないパラグラフはマスクしてある。文中、Rosaとあるのは語り手のKlaraの友達である。
キャプチャ画像内でハイライトしてある部分の前半では、《倒置》が起きている。《強調》のためにonlyのついたwhenの副詞節が前に出たことで、主語と述語が逆転して、「S+助動詞+動詞の原形」の語順ではなく、「助動詞+S+動詞の原形」の語順になっている。
Only when I pointed out something to her would she turn her head
これを倒置でない(つまり通常の)語順にすれば、 "she would turn her head only when I pointed out something to her" となる。文意は、「だ・である」調で直訳すれば、「私が彼女に何かを示したときにだけ、彼女は頭の向きを変えた」。
ハイライト部分の後半から:
but then she'd lose interest and go back to looking at the sidewalk outside and the sign.
太字にした "she'd" は、ここでは "she would" の省略である。このwouldは、文章を書いている時点から過去を振り返って「~したものだった」と述べるときに使うwouldである。
下線で示した "and" は何と何をつないでいるだろうか。直後が "go" という動詞の原形だから、この "and" はその前にある動詞の原形と "go" をつないでいると考えられる。つまり、 "she'd lose ... and go ..." という構造だ。というわけで、文意は「しかしそうすると、彼女は関心を失い、外の歩道と標識を見つめることに戻ったものだった」(直訳)。
こんな感じの英文だ。読めそうだなと思った人は、まずはサンプルだけでも読んでみてほしい。
Klara and the Sun: 'A masterpiece.' Sunday Times (English Edition)
- 作者:Ishiguro, Kazuo
- 発売日: 2021/03/02
- メディア: Kindle版
*1:ちなみに、この作品の英→米での修正例は、英語版ウィキペディアで米国版について記載するセクションで、一覧表でいくつか具体例が整理されている。表になっているのは、英国のjumperが米国ではsweaterにされるなど一般的な修正が多い。