今回は、英文法の実例というより、もっと基本的なことを。
先日、「カミングアウト(する)」という日本語と、そのもととなった英語のcome outの違いを知らず、日本語の語義のつもりで「国際カミングアウトデー」のハッシュタグに投稿して、「土足で踏み込む」形になって、当然のように強い批判を受けることになった間の抜けた大企業公式アカウントがあったので、英語のcome outの語義について、英英辞典(ケンブリッジ辞書)の語義記述や歴史的な流れも見ながら書いた。
hoarding-examples.hatenablog.jp
そのあとで気付いたのだが、どうやら日本語圏には「カムアウト」と「カミングアウト」の《意味》が違う(のではないか)という珍説を信じている人もいなくはないようだ。中学校で英文法をやっていなくて、英語なんか特に好きでもなくて、試験は教科書を暗記したりヤマカンで乗り切ったりしてきた人ならば、十分にありうることだ(中学校で文法を教えていた時代なら、どんなに授業に身を入れていなくても「動名詞っていう文法用語くらいは聞いたことあるでしょ」「はい、あります」というふうになったのだが)。
というわけで、「カムアウト」と「カミングアウト」は何がどう違うのかということについて、たまたま昨日出ていた記事を参照しながら解説のようなものを書いておこうと思う。
ここまで基本的なことは、本来、当ブログの扱う範囲ではない。またここまで基本的なことを教えられる必要がある人が、当ブログのような無名の「英語学習系ブログ」をチェックしているとは思えない。だが、何もしないよりはしたほうがましだろう。
というわけで、記事はこちら:
北アイルランドのユーチューバーで、BBCの子供向け番組「ブルー・ピーター」の司会をしていたことでもおなじみのアダム・Bさんが、自身の「カムアウト(カミングアウト)」が若い人々にどのように受け止められているかを語っている、という記事である。
まず、記事タイトルに注目してほしい。
Adam B: 'My coming out has helped other young people'
いつもならここで《コロン》とか《引用符》についていきなり長々と解説するところだが、今回はそこは飛ばす。ここでのコロンと引用符の使い方は、《発言主: '発言内容'》という形式を作るものである。
太字にした "coming" は、動詞のcomeに-ingがくっついたもの。《-ing形》という言い方が一般になされる。
動詞が《-ing形》になったところで、【意味】そのものは変わらない。変わるのはいわば【機能】である。
日本語でも同じことが起きるから、日本語で考えてみよう。
例えば「公園で走る」の「走る」は《動詞》である。「公園での走り」とか「公園で走ること」の「走り」や「走ること」は《名詞》である。【意味】は変わっていないが、【機能】が変わっている。「走る」は、例えば主語になることはできない。主語にしたいときは「走り」「走ること」という形にする。
私は毎朝、公園で走る。
→毎朝、公園で走ることは、健康によい。
前者、《動詞》の「走る」が、英語ではrunである。
後者、それを《名詞》にした「走ること」(「走り」)が、-ing形のrunningである。これは《動詞》を《名詞》化したものなので、《動名詞》と呼ぶ。
I run in the park every morning.
→ Running in the park every morning is good for health.
この場合、runもrunningも【意味】は変わっていない。【機能】だけが違う(【機能】が違うから日本語への「訳され方」も違ってくるのは言うまでもない)。
ここまでよいだろうか。
で、一般的な日本語では、runという語を「ラン」や「ランする」ではなく「ランニングする」と表すことが多い。こないだはこれを「歯を白くする」の意味のwhitenが日本語では「ホワイトニングする」となるという例で簡単に述べたが*1、他にも、「ブーイングする boo」など、なぜかはよくわからないが謎に-ing形になって「~イング(する)」という形のカタカナ語として日本語に入っている英語の動詞はたくさんある。むしろ、英語の形のままでカタカナ化している動詞の方が珍しいかもしれない(ないわけではない。driveは「ドライヴする」であって「ドライヴィングする」とは言わないし)。
つまり、英語のcome outは《動詞》で、coming outは《-ing形》だ*2。そして、日本語ではなぜかcome outという《動詞》を「カミングアウトする」と表すことになっている(私は日本語のその軽い語調がいやで、個人的に書くものでは「カムアウトする」と表記している)。それは、一般的に「公園でランする」と言わず「公園でランニングする」と言うのと同じような現象である。
ここまで、いいだろうか。
次。英語の《-ing形》には、実は2つの【機能】がある。ひとつは上で述べた《名詞》になる形、もうひとつが《現在分詞》である。《名詞》と《現在分詞》は全然違う機能を持つ。
《名詞》は上で見たように、「~すること」の意味。一方の《現在分詞》は、be動詞と一緒に使って「~している」という《動詞》として用いられたり(《進行形》、名詞を修飾(説明)する語句として機能したりする。
進行形: I am running in the park.
(私は今、公園で走っている/ランニングしている)
修飾語句: The boy running over there is my brother.
(あそこを走っている男の子は、私の弟です)
現在分詞は、今回見る記事には出てこないのだが、基本的なことだけ説明するとこのようになる。
ここまで、いいだろうか。まとめると:
動詞: ~する (run = 走る)
動名詞: ~すること (running = 走ること、走り)
現在分詞: ~している ([be] running = 走っている)
ではここで練習問題だ。
「彼はゲイであるとカムアウトした」を英語にすると、
He came out as a gay.
である。
では、「ゲイであるとカムアウトすることは、簡単ではなかった」を、-ing形(動名詞)を使って英語にするとどうなるだろう。
そう。「カムアウトすること」の部分を-ing形にすればいいので、
Coming out as a gay was not[wasn't] easy.
となる。
ここまで、いいだろうか。
次に、この動名詞の「カムアウトすること」に《意味上の主語》をつけてみよう。
《意味上の主語》とは、「誰が動名詞の示す行為をするか」ということである。漠然と「公園で走ること」ならrunningでよいが、特に「他の誰でもなく、アンナが公園で走ること」と言いたい場合は、その「アンナが」を明示しなければならない。
ではどうやるか、というと、とても簡単で、動名詞のすぐ前に、その《意味上の主語》を、所有格の形で置いてやればよい(そのままの形で置いてもよいのだが、話が長くなるので、ここでは所有格だけを扱う。詳細を知りたい人は文法書を参照されたい)。
「所有格」というのは、I - my - me - mineでいえばmy, 「~の」と《所有》を表す形だ。代名詞でなく一般名詞や固有名詞であれば、《アポストロフィ+s》をつけることになる。
Anna → Anna's
(アンナ → アンナの)
というわけで、「アンナが公園を走ること」は、
Anna's running in the park
となる。
同様に、「彼がゲイであるとカムアウトすること」は、
his coming out as a gay
となる。His coming out as a gay was not easy. という文は、一般論として述べているのではなく、彼の場合について述べている文で、「(ほかの人はさほど難しくはなかったかもしれないが/昨今、カムアウトの心理的なハードルは低くなっているが/彼は長くゲイではないかと口さがないうわさの的になってきたが/など)彼がゲイであるとカムアウトすることは、簡単ではなかった」という意味になる。
ここまで、いいだろうか。
では、今回の記事の見出しをもう一度見てみよう。
My coming out has helped other young people
この文、下線部が主語で、そのあとの "has helped" が述語動詞である。
最初の "my" は、すぐ後ろの "coming out" の意味上の主語で、「ぼくがカムアウトしたこと」。
それが、"other young people" を "has helped" した、という構造の文だ。
文意は「ぼくがカムアウトしたことは、他の若者たちを、助けてきた」と直訳できる。この日本語では読みにくいので、もう少しこなれた文にすると「ぼくがカムアウトしたことは、他の若者たちにとって支援となってきた」といったふうになるだろう。(ガチの翻訳ならもっと別の表現を使うかもしれないが、ここで私がやっていることは教材用の対訳である。)
アダム・Bさんのこの発言の内容を詳しく書いてあるのがこの記事なので、詳細を知りたければ記事本文を読んでいただきたいのだが、そのときに便利なのが、記事の書き出しの文。
これは報道記事においては「リード文」と呼ばれるが、記事の最初に要点だけを簡単にまとめて書くという習慣がある。日本語の報道でもそうなっているから、意識してみるようにしてみてほしい。例えば先日のKADOKAWAの社長逮捕を伝える記事では、書き出しは次のようになっていて:
東京オリンピック・パラリンピックを巡る汚職事件で東京地検特捜部は14日、大会のスポンサー選定で便宜を図ってもらう見返りに大会組織委員会元理事の高橋治之容疑者(78)=受託収賄容疑で再逮捕=に計約6900万円の賄賂を渡したとして、出版大手「KADOKAWA」(東京都千代田区)会長の角川歴彦(つぐひこ)容疑者(79)を贈賄容疑で逮捕した。
このあとに、すでに同社から逮捕されている2人の容疑者についてとか、角川容疑者の逮捕容疑となった賄賂の受け渡しの詳細や、書き出しの文で言及されている高橋元理事と角川容疑者の経緯についてなどが書かれた段落がいくつか続いている。
気象情報などでもそういう形式になっている。「台風〇号がどこそこに接近しています」と言ってから、その台風の大きさや強さなど詳細を述べ、どこで、いつ、どのような被害が予想されるか、どの程度の対策をすればよいかが説明される。
こういう「形式」のことを意識しておくのとおかないのとでは、同じ記事を読むのでも見え方が違ってくる。日本語の報道記事でも英語の報道記事でも同じだ。
話がずれたが、この「リード文」は、BBC Newsでは書き出しの1文で、太字で表示されるというルールがある。それが:
YouTube star Adam B has said he has been contacted by young people inspired by his decision to come out as gay earlier this year.
見出しに名前のあるAdam Bとはどういう人かの説明があり(YouTube star)、見出しで "My coming out has helped other young people" とある彼の発言内容が、この文で具体的に示されている。
当ブログは1エントリにつき4000字を目安にしているのだが、ここですでに5000字を上回っているため、この文についての文法解説は割愛する。
文意は「YouTubeで有名なアダム・Bは、今年、ゲイであるとカムアウトするという決断をしたが、それによって触発された若者たちから連絡をもらっていると述べた」。
"his decision to come out as gay" の部分、"to come out" は《to不定詞の形容詞的用法》で、直前の "his decision" を説明している。「カムアウトするという決意」。ここで-ing形ではなく、動詞のままのcome outが使われていることが、今回のエントリの眼目である(基本中の基本だが、to不定詞は「to + 動詞の原形」の形なので、-ing形は使われない)。
以上、なんだか「いまさら聞けない英語の基本」みたいになっているが、「カムアウト come out」と「カミングアウト coming out」って意味が違うんじゃないの、みたいに思ってた人は、こういう基本中の基本を十分に確認してみてほしい。書店やネットには「中学レベルの英語で日常会話はOK」という見出しや書名があふれているが、日常会話で使えるような「中学レベルの英語」とは、こういう基本が完璧に押さえられていることが前提となる。
※5600字
【関連】BBC News - Adam B: 'My coming out has helped other young people'https://t.co/6Po1MUYFy3 どうも日本語圏、基本的な英文法を知らなさすぎて、come outとcoming outが意味的には同じということがピンときていなさそうな人も見受けられるが、この記事の見出しはいい例だよね。動名詞。 pic.twitter.com/8iWbl66Mtg
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年10月13日
画像は同じ記事から。中学でまともに文法やってないとこういうのが「何となく、フィーリングで」しかわからない。大学受験で文法やる機会がなければそのまま。それでもテレビで芸能人が「実は目玉焼きにソースをかける」と「カミングアウト」してはしゃいでるのは見る。その場合-ingはどう認識される? pic.twitter.com/05TfFYUilW
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年10月13日
今回のエントリを書くのに参照した文法書は下記の3冊:
もっと易しいもの。高校レベルの文法書と中学レベルのおさらいドリル: