Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

#InternationalComingOutDay #国際カミングアウトデー に、come outという表現について、および「カミングアウトする」というカタカナ語の途方もない軽さについて

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今回の実例は、Twitterから。

英語では普通に動詞なのに、日本語で外来語として定着したときには「~イングする」と謎に動名詞形になっているものに「する」をつけることになっていた、という表現はありふれている。例えば歯を白くすると言うときに使う英語のwhitenは「ホワイトニングする」となる("How to whiten your teeth" →「歯をホワイトニングする方法」)。「カミングアウトする」もそういう表現のひとつで、英語ではcome outという。

しかしこの「カミングアウトする」という日本語の問題は、謎に動名詞形になっていることだけではない。意味が著しくゆがめられてしまっているのだ。

「カミングアウトする」という日本語がいつから一般化していたのか、私にははっきりとした記憶はない。少なくとも2000年にはあったと思う。何かのきっかけで流行った表現だろうが、そのきっかけが何だったのかを私は思い出すことができない。

その前の流行り言葉に「~好き」を意味する「~フェチ」という表現があった(例: 「ぬいぐるみフェチ」、「チョコレートフェチ」)。この「フェチ」という表現も非常に気持ちの悪い表現で、自分では強要されない限りは使ったことがないのだが、気軽に「フェチ」「フェチ」言ってる人たちは、「フェティシズム」という文脈を踏まえていないどころか、その存在を知りもしないようだった。

「カミングアウトする」(およびその名詞形の「カミングアウト」)という表現についても同じで、文脈というものがまるで踏まえられていない。私は自分では使わない。

come outは文字通り「出てくる」の意味で、「~から出てくる」と言うにはcome out of ~という形を使う。

  He came out of the kitchen with a cup of coffee. 

  (彼は、一杯のコーヒーを手に、台所から出てきた) 

かつて、同性を愛するということが、公には存在してはならないものとされていたとき、同性を愛する人々は閉ざされた空間の中でだけ、「本当の自分」の姿になれていた。ハリー・スタイルズの最新の映画がその時代のホモセクシュアルの警官を描くものだから、見る機会があったら見てみるといいと思う(私も予告編をTwitterで見ただけで、本編はまだ見てないし、日本で公開されるのかどうかも知らない。ひょっとしたらNetflixやAmazonPrimeかもしれない)。

その閉ざされた空間から出てきて、他人の前で、あるいは公開された場で、「本当の自分」の姿を見せることが、come out of the closetと表現される。ここ数日、「辞書にはこう書いてあります」ということを示すのが怖くてしょうがないのだが(いうまでもなく沖縄の「座り込み」をめぐる、とんでもなく軽薄で無責任な挑発の文言のため)、Cambridge辞書には次のようにある

to tell your family, friends, or the public that you are gay, after previously keeping this secret

COME OUT OF THE CLOSET | meaning, definition in Cambridge English Dictionary

これの語源的なことなどもできれば説明すべきと思うのだが、今はその時間も文字数もないので(もう1400字だ)、そこは割愛する。

この表現の "of the closet" のない形が、「カミングアウトする」として日本語に入ってきたcome outという英語の表現で、その意味は、「自分がゲイだということを、ずっと秘密にしてきたが、家族や友人に打ち明け、あるいは公にすること」である。

重要なのは「自分がゲイだということを」である(ただしこの「ゲイ」は今ではもっと拡大されていて、「ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、ノンバイナリなどであることを」という意味になっている。詳細後述)。

例えば下記で紹介されているのは、米ニューヨークでの、1960年代から70年代、ひょっとしたら80年代のポスターやリーフレット、マガジンの表紙といったものだと思われるが、「クローゼットから出て、ストリートに出よう」は自分たちを自分たちの本来の姿のまま見える存在にしようということで、その「本来の姿」は「同性愛者である自分」である。

come outという表現には、このような歴史的な文脈がある。

しかしながら、日本語のカタカナ語での「カミングアウトする」との表現は、「それまで知られていなかったことを打ち明ける」ということで*1、極めて軽く用いられるものとなってしまっている。例えば「きのこ派たけのこ派かの論争で、私がきのこ派であることをカミングアウトしてしまった」というようにだ。

そういった、はっきり言えば粗雑な言葉遣いは、いちいち気にしていたら神経が参ってしまうので基本的にはスルーするようにしているのだが、今日、10月11日が「国際カミングアウトデー」だということで(そんな日があることを私は今まで知らなかった)、非常に軽々しく、このフレーズの成り立ちやそこに至った経緯、そこでの人々の実際の苦しみや悲しみ、葛藤や怒りといったものを全部まるっと矮小化してしまうことがしれっと行われているのを見たら、ここ数日の沖縄をめぐる軽々しい発言を見た影響か、神経のどこかでピキっという音がしてしまった。

https://nofrills.seesaa.net/article/279178509.html

その顛末は、拙ブログのもう1本の記事にまとめてあるのだが、正直、拍子抜けしてしまうほどあっさりと判断が覆された。そしてそのあと、「NAVERまとめ」の編集部は、何もなかったかのようにしれっと「ゲイ」というか「LGBT」についての「まとめ」をクリック数稼ぎのためにサイトのよい場所に掲示するなどし始めた。

私が「まーいいや、広告が表示されないだけで、閲覧はできるんだから」と言って運営に文句をつけなかったらどうなっていただろう。

NAVERまとめはもうこの世から消されてしまっていて、その内容も今はもうどこにも存在しないのだが(私は自分の作成したページのバックアップは持っているが完全に同じ形では復元できない)、アンダーソン・クーパー自身、come outにあたっては、大変な葛藤と決断を経験していた。

come outという表現は、そういう、個々人の葛藤と決断を要する言葉である。

どうでもいいことについて、軽々しく、「カミングアウト」と言ってはばからない方々には、そのことを、知るだけでも知ってほしいと思う。

さて、50年から60年前の、同性愛が非合法でさえあったような時代の「カムアウト」は、現代のそれとはかなり違う。では現代の「カムアウト」とはどういうものか、それを示しているツイートを、ハッシュタグのInternational Coming Out Dayから: 

既に当ブログ規定の4000字に達しつつあるが、英文解説。第2文: 

Remember if you are still in the closet, you are still valid, still part of the community and come out only when YOU are ready

太字にした "if" は名詞節ではなく副詞節を導くifで、しかもeven if ~の意味だ(evenが省略されていると考えられる*2)。「たとえあなたがまだクローゼットの中にいても」。

全部大文字の "YOU" は《強調》。「ほかならぬあなたが、自分で」の意味。

つまり、文意は「本当の自分をまだ隠している人でも、それでもあなたは意味のある存在だし、このコミュニティの一員です。自分で準備ができたと思うときがきたら、カムアウトしてくださいね」。

話が前後するが、文頭のRememberは「(このあとに続く文・節の内容を)覚えておいてください」の意味で、親切な呼びかけなどによく使う。

  Always remember that you are not alone. 

  (あなたは独りではないということを、常に忘れずにいてください)

ツイートについているマンガの文言: 

You are part of a loving vibrant community. 
So if you're out, or in the closet, or somewhere in between, there is a place for you here, and you are loved. 

何もひねりを入れずにそのまま直訳しておくが、「あなたは愛情にあふれ、活気にあふれたコミュニティの一員です。なので、アウトしていても(あなたがゲイやバイ、トランス、ノンバイナリなどであることを周囲に明かしていても)、クローゼットの中にいても(そういったことを明かしていなくても)、あるいはその間にある地点のどこかにいても、あなたのための場所はここにはあり、あなたは愛される存在です」。

どうよ、この、「トランスでなければシス」みたいな阿呆な二元論の決めつけから遠く離れた世界のありようは。男でない人間(女)を見たらまず「ターフかどうか」を判定するところから話を始めがちな決めつけ野郎は、このコミュニティには属していない。それは「アライ」などではない。分断のないところに分断を作りに来ているだけである。Clear?

もうひとつ: 

画像は、第二次大戦中の英国での戦意高揚スローガン "Keep Calm and Carry On" (「何があっても動じず粛々と」)のパロディ。英国もドイツからの激しい空爆にさらされ、物資・食料は窮乏して戦時下の人々は非常につらい生活を送っていたのだが、日本が「欲しがりません、勝つまでは」と言って戦意高揚していたときに、「パニクるな」で戦意高揚していた。とはいえ、実際にはこのスローガンのポスターは作られはしたもののほぼお蔵入りしていて、20世紀が終わるころにどこやらの駅の倉庫か何かで発見され、その時期の英国人の気分にマッチしてリバイバルヒットしたのだが。

で、画像の文言: 

Keep calm and be proud of who you are

後半は「自分が誰であるかに誇りを持て」と直訳される。意訳しようとすれば「本来の自分に自信を持ちましょう」とか「胸を張って、常に自分らしく」とか「大丈夫、あなたはあなたのままでいい」とか、いろいろ思い浮かぶ。まあ、意味さえしっかりとれていれば、お役所のスローガンっぽく解釈したって、アイドルグループの歌う応援ソングの歌詞のようにとらえたって、あいだみつをの詩のように読んだってかまわない。自分の読みたいように読めばいい。意味さえしっかりとれていれば。

 

で、上の方に引用した辞書の定義ではcome outという表現が慣用句化した時代の用法を基に「ゲイであることを」と位置付けられているのが、今では「ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、ノンバイナリなどであることを」となっているということについてだが、下記の画像がわかりやすいだろう*3

これはInternational Coming Out Dayのハッシュタグで見かけたある投稿で知ったのだが、その投稿主が投稿を削除してしまったので、エンベッドせず画像だけを切り出した。この画像は、Google画像検索すると確認できるが、大学や支援団体、企業の法務部などのサイトで広く使われているので、フリー素材と思われる。

上で見たマンガに明らかに描かれていた「多様性」を表すレインボーカラーの中央に書かれているのは「平等 equality」である。

その反対にある概念を表す語がdiscriminationだ。

多くの人は、自分の性的指向や性別をわざわざ言葉にして明らかにすることはあまりないだろう(「〇〇フェチ」などの方面での嗜好の表明は別かもしれないが)。そういった人々の間で他人の性的指向や性別を取りざたすることもほとんどないだろう。一方で、「性的マイノリティ」に位置づけられる人々は、それらのメインストリームの人々から常に、その性的指向や性別を話題にされている。私より年かさの男性たちが、別の男性のことをうわさして「だってさ、あの人、コッチでしょ」と、頬に手を寄せて外側に手のひらを向けるポーズをとる、という光景を、私は一体何度見せられてきたことか。

そういった点について、ゲイやバイセクシュアル、トランスといった「性的マイノリティ(少数者)」の人々だけが「カミングアウト」しなければならない状態は、「平等」ではない。

マジョリティの人々が「異性が気になる」ことをいちいち特別なものとして言わない、つまり意識などしていないときに、性的少数者のみが、あたかも食物アレルギーを申告するかのように、何か特別なこととしてカミングアウトしなければならないような世界は、まだまだ「平等」とはいえない。

10年前に、男性をパートナーにしているという事実を、自分の意図とは関係のないところでばらされそうになった有名キャスターのアンダーソン・クーパーは、「本当はこんなことはいちいち公開しなくてもよい世の中が望ましいのだが」と前置きして、「私はゲイです」とはっきり述べた。

10年が経過してもまだ、その状況は変わっていない。10年程度では変わらないことなのだろう。

クーパー以前にも、そういうことを言って自身のセクシュアリティの明示を拒んだ著名人は珍しくなかったので、「10年程度」というスパンでは語れないことなのだが、なぜいまだに、マイノリティはいちいちカムアウトすることを期待されるのか。

当人が自分のことを伝えるべき家族や友人などに言いやすい環境を社会全体が作ることは必要だと思う。けれどもそれは「カムアウトしやすい社会を作る」という言葉で言い表してはいけないと思う。「カムアウトしやすい社会」は、「本当はカムアウトすべきなのに、なぜかカムアウトしようとしない人たち」を作り出す。逆説的だが。

 

今日、多くツイートされていたのが、キース・ヘリングの下記の絵だ。

キース・ヘリングは「ユニクロのTシャツの柄を描いた人」ではない。絵を描く活動家だった。

 

【追記】

花王の「メリット」のアカウントからは謝罪が出た。

「誤解を招き」云々と言っていない点が高く評価されているようだが、当たり前のことをして褒められててコウペンちゃんかと思った。問題のツイートは、私が確認したときにはまだ削除されずに残っていた。社員の方には、広報という仕事をするのなら、言葉というものにもっと過敏で鋭敏であっていただきたいと思う。

あと、自衛隊の大阪地方協力本部もやらかしてた。

今日は 「カミングアウトデー」 ありのままの自分を #カミングアウト するきっかけの日なんや! というわけで、まもるもカミングアウトするで~ 「実はな… #ほふく前進 得意やねん!」……

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/osaka_pco/status/1579592611966291969

「ありのままの自分」が、社会の規範や同調圧力や世間の目などによって、ありのままの自分でいることを許されない人々の使う婉曲表現だということがわかっていないと、こういうことになる。実際、日本語圏で「カミングアウト」「カミングアウト」と気軽に口にしてる人たちのほとんどは、「ありのままの自分」という表現が何を意味するのか、考えたこともないだろう。下手すれば「ありのままの私は全裸」云々と言ってガハハと笑っていかねないくらいに。

言葉の表面しか見ないから。

自衛隊大阪地方協力本部はこの問題のツイートを削除し、「誤解を招き」云々の文面で詫びを入れてた。

この度の件、「国際カミングアウトデー」の意味をよく理解せず、誤解をまねくような投稿をしてしまい申し訳ありませんでした。 以後再発防止に努めます。 投稿文については削除しました。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/osaka_pco/status/1580119960440819714

「誤解」してたのはあなた方であって、あなた方の雑な発言を読んだ側ではない。

 

あと、花王のほかに「銀のさら」もやってたとか。知らん会社だけど(→調べた。寿司のデリバリーなんだね。寿司嫌いだから接点がない)。

b.hatena.ne.jp

 

この件、「日本語ではカミングアウトは秘密を打ち明けるという意味だから花王などは別におかしなことはやっていない」という感情的な弁護・擁護が見られるが、#国際カミングアウトデーの文字列に燦然と輝いている「国際」の二文字が読めないんすかね。というか、読めてても意味が取れてないんですかね。そこでは、come outという言葉は、日本語の基準・ルールとは別の基準・ルールで用いられてるわけで、それを指摘されると顔真っ赤にして「これだからLGBTは」みたいに感情的に反発するとか、中学生なのかな。「それは知らなかった。これを機会に覚え、これから気をつけます」とすら言うことができないのかと。

「英語ができる日本人」云々言ってる文科省は、これどう思うんだろ。その文科省の中でcome outという語の国際的な意味が通じないかもしれないけど。

 


ブコメから】

id:tekitou-manga:

evenが略されてる意味がわからない。……

https://b.hatena.ne.jp/entry/4726522281551434659/comment/tekitou-manga

画像の方がわかりやすく示せるから画像で返事しますけど: 

当ブログ、もうずいぶん長くやってるんで、過去に書いてるんです、そういう基本的なことは。よろしくお願いします。

ていうか自分で江川『英文法解説』を買って読んだ方が生産的ですよ。あの本は本当におすすめ。英語という不思議な言語に関して、何についての「なぜ」をどこまで追求すべきかがよくわかります。例文が時代がかってしまっているのが残念ですが。

 

 

 

*1:その場合、英語ではcome outとはまず言わない。discloseとかrevealとか、あるいはopen upを使ったり、はたまた単純にtellを使ったりする。

*2:なぜ省略するのかは考えちゃだめだw

*3:これも少し古いのだと思うが、non-binary, gender fluidやqueerといった概念は入っていない。あと、こっち方面のスローガンなどを見るといつも疑問に思うのだけど、reproductive rightsはどうしてここに入らないのだろう。男性同士のカップルが「自分たちの子供」を持つことが医学の力と代理母になる女性たちおかげで可能になっていて、そこに(他人の)reproductive rightsは組み込まれてるはずなのに、それが見えないことにされている。

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