2020年になって最初の投稿*1は、オーストラリアですさまじい規模で広がり続けていて収束の気配すら見えてない様子の原野火災について、巻き込まれている人々(日本語ではおそらく「被災者」と呼ばれる人々)の様子を報告する特集記事から。
私はふだん、テレビを見ません。「テレビ」というメディアには関心を失ってしまっていて、うちにはTV受像機がなく、ワンセグ的なものがあったこともないので、テレビのニュースを見るという習慣はおろか、その環境すらありません(ネットでニュースクリップを見る程度のことはある)。だから、BBCやガーディアンなどを毎日ウェブで見ていて、国際的というか世界的に重大な出来事が報道されていても「これはどうせ日本ではろくに報道されてないんだろうな」と思うことはよくあります。
けれど、オーストラリアの原野・森林火災については、「ろくに報道されてない」ことはあっても「ほとんどor全然報道されてない」ということはないだろうと思ってたんですね。2019年秋にあれだけラグビーラグビーと騒いだ後だし、環太平洋でいろいろつながってるし、畜産・農産物輸入でのつながりも強いし、オーストラリアに留学している日本人も多いし、人の行き来もかなりある国です。
しかし実際には、大晦日から数日間、TVのある環境にいて、そしてその期間、ほぼずっとどこかでTVがついてて――とはいえドラマの一挙再放送とか駅伝とかサッカーとかにチャンネルが合ってることがほとんどだったし、イランのスレイマニ暗殺があったので、同じ部屋にいても私はずっとイヤフォンでBBC Newsを聞いてるみたいなことが多かったんだけど――、それでいて「オーストラリア」という単語をほぼ耳にしなかったのには、さすがに驚きました。ニュースは短いのを1日に1度くらいしか見てなかったとはいえ……。
一方で、オーストラリアが英語圏ということも影響しているに違いないのだけど、英語圏ではオーストラリアの未曽有の規模の火災は、この1か月ほど、連日トップニュースに入っているような大ニュースです。とはいえ「遠いどこかの国」の話でしかないという人も多いわけで、その規模の深刻さを示すために、いろいろな伝え方が工夫されてもいます。
For those in the UK & Ireland, this is the equivalent of how big the #AustralianFires are
— The Guardian (@guardian) 2020年1月2日
From our interactive #ausfires map https://t.co/RFs8ydz7Yw#bushfirecrisis #AustraliaBurns #AustralianBushfires #BushfireEmergency #bushfiresAustralia #AustraliaBurning #AustraliaFires pic.twitter.com/6Rn6tRMrCI
ガーディアンがフィードしているこの画像では、ブリテン島とアイルランドに燃えている区域の面積を重ねて「ウェールズが丸ごと燃えてしまっている」といった情報を感覚的に伝えています。ここから私が日本に情報を引っ張ってくるとすれば、アイルランド島がだいたい北海道くらいの面積なので、北海道が半分以上燃えてしまっている、ということになります。欧州大陸ではさらに別の伝え方がされています(「ベルギーが全土焼失」のように)。
オーストラリアは人が住んでいない地域がものすごく広く、毎年この時期には原野・森林火災が発生しているというものの、今回がいつもと様子が異なるのは、人が住んでいる地域にまで火が広がっていること。今回みる記事は、そのような事情で家を追われた人に話を聞いて書かれた記事です。記事はこちら:
まず記事の見出しですが、「エデン (Eden)」という町に火が迫り、住民たちが脱出していることを伝えるために、「失われた楽園 (Paradise lost)」というキャッチフレーズをつけています。これは言うまでもなく、世界史の授業にも出てくるジョン・ミルトンの叙事詩、『失楽園 (Paradise Lost)』が物語っている旧約聖書の挿話を参照しているのですが、「エデン」という町での出来事を伝えるうえで、人々になじみ深い(人々が容易に連想できる)から使われているキャッチフレーズであって、宗教的な意味合いを持たせているわけではありません。
実例として見るのは、記事の最初の部分から。
最初の文:
Shelley Caban just wants it to be over.
《want ~ to do ...》で「~に…してもらいたいと思っている」。ここではdoの部分がbe overになっているが、これは「終わっている」の意味。
The election was over.
(選挙は終わっていた)
When the music is over, turn out the lights. *2
(音楽が終わったときには、明かりを消してください)
実例の文は、「シェリー・キャバン(ケイバン)は、ただ単に、それが終わってほしいと思っている」という意味。彼女が終わってほしいと思っている「それ (it)」とは何か、ということは、この後の部分でたっぷり語られる。記事の冒頭の「つかみ」の部分でいきなり代名詞で示したことを、そのあとでゆっくり説明するというのは、このような「体験記」的な記事ではよくとられるスタイルである。
次の文:
“Sometimes I think, ‘Fuck it, just burn it all, the house and everything,’” she says.
これはシェリー・キャバンさんの発言をそのまま、引用符にくくって示している部分。日本語の新聞の流儀では、カギカッコにくくってあっても、発言は元の発言そのままではなく、記事を書いた人が勝手に言い換えたり要約したりしてあることが普通だが、実はそれは国際的には著しいルール違反で、英語圏では引用符でくくって示されているのは(言い淀んでいる「ええっと」みたいな語句は取り除いたうえで)元発言と一字一句違わないという了解がある。記事を書く人が要約したり言い換えをしたりしながら、元発言を部分的に引用したい場合は、次のように、地の文に混ぜ込んで示すという約束がある。
She says that sometimes she thinks the fire would "just burn it all".
誰かの発言そのものを文字にして記事にするのは、政治家のような立場にある人の発言ならば「公的な発言の正確な記録」という意味だが、このような「体験談」的な記事えは、生々しさを伝えることが主要な目的である。そして、ここではシェリーさんの発言として、いわゆる「Fワード」がそのまま出ている。これは、ガーディアンという媒体が「Fワードは何が何でも印刷する文面に出さない」というルールを採用していないためで、もしそういう表記基準がある媒体であれば、"F*** it" など伏字にして表記されていただろう。意味は「もうどうでもいいから、全部燃やしてしまえ、家も何もかも」ということ。
シェリーさんがなぜこのような破れかぶれな気持ちになっているのかは、この強烈なつかみの文に続く部分で語られていくことになる。
というわけで、次回に続く……。
参考書:
*1:1日から昨日までは過去記事の再掲でした。
*2:英文出典: https://www.azlyrics.com/lyrics/doors/whenthemusicsover.html