今回の実例は、報道記事から。
全豪オープン出場のためにオーストラリア入りしたノヴァク・ジョコヴィッチ選手が、新型コロナウイルス対策を同国の決まり通りにやっていなかったことで入国拒否となった件、ジョコヴィッチ側の異議申し立てがあったりして、英語圏で "saga" と呼ばれる事態になっていたが、最終的にはやはり入国拒否という結論になり、ジョコヴィッチは国外退去*1で、飛行機に乗せられてオーストラリアを離れた。
この過程で、いったんはジョコヴィッチの異議申し立てが法廷で通り、入国拒否は取り消しとなったにもかかわらず、最後には大臣の判断で入国拒否の取り消しが取り消される、というオーストラリアのシステムが、特に難民申請の処理を宙ぶらりんのままにされて何年も劣悪な環境の入管施設に入れられたままになっている難民の人々やその問題に取り組んでいる人々によって「問題」としてクローズアップもされたが、政治家たちからそれについての発言があった様子もなく、その問題が解決されそうな感じは伝わってきていない。オーストラリアは今年、総選挙が行われることになっており、今回こうした混乱した状況を招いてしまったこと、そしてそれが国際的に報じられたことで「さらされた」状態になったばかりでなく、この顛末でジョコヴィッチの母国であるセルビアの政治家たち――彼らもまた、「ポピュリズム」と無縁ではない――が激怒を隠さず、事態はいわゆる「国際問題」になりかけているという、手際の悪さが注目されるような事態になっていることは、ただの「騒動」で終わらず、「政局」化していきかねない。オーストラリアはつい最近、フランスを激怒させたばかりだ(潜水艦の件)。
だから、この件はジョコヴィッチが出国したらそれで終わりになるわけではないが、ニュースの方は、ジョコ抜きで始まった大会に関心の中心が移るだろう。そして難民申請者たちはあの状態のまま放置され、短期間とはいえ同じ目にあわされたジョコヴィッチは、自分で蒔いた種ではあるが大きな野心が達成不可能となった傷心を癒やし、次の試合のためのコンディション作りを開始しても、きっと難民申請者たちのことなど気に掛けない。いや、掛けてほしいし、発言もしてほしいんだけど、実際に、彼はきっとそんなことについての発言はしないだろう。
と、非常に複雑な、もやもやした気持ちで読んだ、ジョコヴィッチ出国のニュース:
今回はこの記事を読んでみよう。あんまり言いたくはないが、どっかのテスト問題みたいな作り物の「リアリティ」の上に構築された砂上の楼閣みたいな変な英文もどきではなく、本当の「リアリティ」の中にあるいわゆる「生きた英語」の好例だと思う。
記事の見出しと書き出しから。
このキャプチャ画面のすぐ下、広告を挟んだところ。
これらの見出しと5パラグラフの中で、ノヴァク・ジョコヴィッチ選手への言及は何度あっただろうか。
と問われたときに、「ジョコヴィッチ」と名前が書かれている箇所と、代名詞のhe/his/himだけを数えたのでは答えにならない。
これは、先日も少しだけ触れたが、英語での報道記事の流儀で、同じ名詞(固有名詞)を何度も繰り返さないで、別の表現で言いかえる、ということがなされているからである。例えば、映画『パラサイト』のポン・ジュノ監督についてなら、「ポン・ジュノ」と「彼(代名詞)」のほかに、「その韓国人映画作家」「そのオスカー受賞者」「その52歳の人」といったように言い換えられるし、日本企業の「任天堂」だったら「京都に拠点のある企業」「スーパーマリオを出した会社」など、多様に言い換えられる。この言い換えがたどれないと、報道記事を読むのは難しいままになるだろう。
詳しくは(さほど詳しくもないかもしれないが)、1か月ほど前の下記エントリに書いてあるので、そちらを参照されたい。実際、このエントリに対するブクマコメントで、サッカーに関する記事で、パラグラフごとに選手の呼び方が違う(名前、〇〇代表、「そのミッドフィールダー」、「躍動する日本人選手」などなど)という例が挙げられているのだが、スポーツの記事もそうだし、音楽や映画などの記事でもそうだし、言い換えの程度はやや低いかもしれないが政治の記事でもそうだ。テロリズムに関する調査報道などでも「その英国生まれの20代の青年」とか「元サッカー狂」とかいうふうにくるくると言い換えられながら情報が次々と提示(提示というより「確認」か)されることについていけないと、読めない。読めなければ訳せない。(だからこういうのは、機械翻訳では扱いきれない。)
hoarding-examples.hatenablog.jp
さて、というところで答え合わせをしてみよう。
下図で緑色のマーカーをつけた部分が「ノヴァク・ジョコヴィッチ」を表す部分、緑色の枠で囲った部分が代名詞の「彼」で、この5段落の間に前者は6か所(見出しを入れれば7か所)、後者は5か所で、合わせて11か所(見出しを入れれば12か所)になる。めっちゃ多いな。
つまり、
Novak Djokovic
= the unvaccinated tennis star
= Djokovic
= the Serb
= the 34-year-old
で、ジョコヴィッチが34歳のセルビア人で、ワクチン接種を受けていない、テニスのスタープレイヤーであるという情報は、単独の文ではなく、このような言い換えによって、読者に提示される(読者と共有される)わけである。
キャプチャ画像の一番上、見出しで注目すべきは、《コロン》の使い方だ。これはTwitterで個人がたわいもないことを書くようなときにも使われる、まさに「生きた英語」のポイントで、なおかつ学校ではあまり教わらないことだから、見かけたときにチェックしておくのが効率がよいだろう。
Novak Djokovic: Tennis star deported after losing Australia visa battle
見づらいから色を付けて示したが、このコロンは、報道記事の見出しにおいて、何の話題かを示すという役割のコロン。つまり、
話題: 内容
という形だ。これを踏まえておくことは、
Tonga volcano eruption: internet services down
(トンガの火山噴火: インターネット接続途絶)
Tonga volcano eruption: no injuries reported yet
(トンガの火山噴火: 現時点で負傷者の報告なし)
というように、同じトピックのニュースを一覧するときに便利だ。
なお、パンクチュエーションについて、「受験英語」を超えたところでもっと知りたいという関心がある方には、「翻訳フォーラム」の深井裕美子さんの解説を強くお勧めしたい。
最後に文法的なことを少し解説しておこう。キャプチャ画像の最後のパラグラフ:
Djokovic's supporters fell silent outside the courtroom as the decision was announced on the eve of what would have been his opening match in the tournament. One fan told the BBC her summer would be "empty" without the 34-year-old playing at the Open.
下線で示した部分は《関係代名詞のwhat》の節が、前置詞ofの目的語になる名詞節を作っている箇所。この部分は「~になっていたであろうものの前夜」の意味で、太字で示した "would have been" は《仮定法》である(仮定法過去完了)。実現しなかったことを言うのだから、直説法ではなく仮定法なのだ。
一方で、その次の文にある "would" は、こちらは仮定法ではなく直説法。主節の "One fan told the BBC ..." の時制に合わせて、《未来》を表す助動詞のwillが過去形のwouldになっているもので、文意は「ひとりのファンはBBCに対し、その34歳の人物が*2オープンでプレイしない状態では、彼女(その人)の夏は『空っぽ』になるだろうと語った」。
ここにある "without the 34-year-old playing" は、付帯状況のwithがwithoutになった形だが、変に説明すると余計難しく感じられることが多いので、さっくり直訳だけ示しておく(というか示しておいた)。
そろそろ字数上限になるので、この辺で。
※3850字
【補足】同じ記事から、ほかの文法ポイント
https://t.co/dT7IPLSNkJ 今日のブログで見たこの記事、形式で読んでるつもりで、途中から内容に気を取られて形式見えてなかった。なので今更#英語 #実例 #to不定詞が主語の文 (副詞節ですがハッシュタグ上「文」としておきます)
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年1月17日
"to deport the star also risked fanning anti-vaccine sentiment" pic.twitter.com/G9ahTiX80t
Ibid. ここもsoてんこもりthat英語教材作成者注目。#英語 #実例
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年1月17日
there is ~構文の現在完了, angerという抽象名詞(単数受け、muchによる修飾), without -ing,受動態の動名詞 (being vaccinated), saidの目的語のthat節が2つある場合、2つ目のthatは省略されない。ほか、コロケーションや句動詞各種 pic.twitter.com/7hC9i8ngjj