今回の実例は、テニス・プレイヤーのアンディ・マリー(マレー)の文章から。3月8日(日)の国際女性デーを前に、7日(土)のガーディアンに掲載された寄稿の文章だ。
マリーは2013年に、英国人プレイヤーとしては実に77年ぶりにウィンブルドン(全英オープン)男子シングルスで優勝したが、その翌年に当時のコーチ、イヴァン・レンドルとの契約を終了し、新たにアメリ・モレスモをコーチとした。モレスモは以降、2016年4月から5月にかけて行われたマドリード・オープンまでマリーのコーチを務めることになるが、マリーのこの選択がメディアの関心を集めた理由は、「マリーとレンドル、師弟間の確執」みたいなこともあったかもしれないが、それ以上に、モレスモが女性だったことにある。モレスモとの契約が終わった後、2016年にマリーは再度レンドルをコーチとして、ウィンブルドンで2度目の優勝を飾った。マリーのコーチ一覧はこちらにある。
女性でありながら男性のトップ・プレイヤーのコーチを務めたアメリ・モレスモは、フランスのテニス・プレイヤーで、2006年の全豪オープンとウィンブルドンで優勝した経歴を持つ名選手だった。
このことについて、スポーツメディアのVictoryで、内田暁さんが次のように書いている。
マレーの“男女同権意識”が最も強く表れたのが、2014年に、女子元世界1位のアメリー・モーレスモをコーチに雇ったことである。当時のマレーは、既に2つのグランドスラムタイトルを誇る世界の5位(それもケガにより一時的にランキングを落としていた時期)。そのような男子トッププレーヤーが、女性をコーチに雇うのは初めてのことだった。
その件につき多くの質問を受けたマレーは、「僕は男女関係なく、純粋に優れた人材をコーチにしただけ。何がそんなに不思議なんだ?」と、周囲の好奇の目をいぶかしがる。また、自身の結果が振るわずモーレスモに批判が集まった際には、「彼女を攻撃するのはフェアではない。勝てないのは僕の責任だ」とコーチを庇い続けた。そして2015年1月、全豪オープンで決勝に勝ち進んだマレーは、コート上で勝利インタビューのマイクを向けられると、こう切り出した。
「僕がアメリー(モーレスモ)をコーチにした時、多くの人が批判的な意見を述べた。でもこの大会で僕らは、女性でも素晴らしいコーチになれることを証明できたと思う。それが嬉しい」。
今回見るマリーの文章は、この件に関してのものだ。記事はこちら:
タイトルの後半は、「日本はすばらしい」云々ではなく、2020年という年になってスポーツ界での女性の位置づけ、というか「女には無理」という思い込みが徐々に変化してきているから、今年のオリンピック・パラリンピックを機に一気に変われるんじゃないかという期待を込めてのものだ。(医学部入試で女子があらかじめ減点されているとかいった日本の現状は、マリーが正確なところを知ったら唖然とするのではないかと思うが……。)
実例として見るのは、記事を少し読み進めたあたりから。
この記事で、マリーは、子供の頃、兄のジェイミーとともに、母親(テニスのコーチ)から手ほどきを受けていたし、女性をコーチにすることは何とも思っていなかったが、プロ入りしたら周りの男子プレイヤーがみんな男性をコーチにしていたことに気づいた、と回想している。そして2014年にアメリ・モレスモをコーチとしたときのことについて書いている部分:
キャプチャ画像の上の方の文:
The reason they were questioning her was purely based on her sex; it was not because of her ability or what she’d done in her career.
見えづらいので文字を大きくして色もつけたが、ここで《セミコロン (;)》が使われている。セミコロンのここでの役割は、2つの文を並べることだ。わかりづらければピリオドと似たものとして考えてよい。ピリオドがかっきり白黒つける感じで区切るものである一方で、セミコロンだともう少し曖昧な、2つの文が相互につながっているような感じになる。
太字で示した《because of ~》は《原因・理由》を表す表現のひとつ。ofは前置詞なので、《~》の部分は当然名詞だが、ここでは "her ability" という単純な名詞句ともうひとつ、接続詞のorでつながれて、"what she'd done in her career" という《疑問詞節》がofの目的語になっている。「彼女の能力、または彼女が現役生活で何を成し遂げたかを理由とするものではない」というのがこの文の意味である。
次の文:
I did well with Amélie and reached grand slam finals, but a lot of people saw the period when we worked together as a failure because I didn’t win a grand slam title.
下線で示した《see A as B》は「AをBとして見る(考えた)」。このasは前置詞のasで「~として」の意味。
太字で示したwhenは《時》を表す《関係副詞》で、直前のthe periodが先行詞である。「多くの人々が、僕たちが一緒に仕事をした時期を失敗と見た」というのがこの部分の意味。
次の文:
People blamed her for that, but that wasn’t the case with my other coaches – it was always me who was the problem, and I would get the criticism when I lost.
太字で示した "that" は、直前にある "I didn’t win a grand slam title" のこと。つまり「グランドスラムのタイトルを1つも獲得しなかった」ことの責任はコーチであるアメリ・モレスモにあると言う人々が多かった、ということだ。
「しかし」とマリーは書く。ここで使われている《be the case with ~》(下線部)は「~に(も)当てはまる」という意味の成句。ここではnotの否定文だから「~には当てはまらない」で、「グランドスラムのタイトルが取れなかったのはコーチのせいだなどということは、他のコーチたちについては言われたことがない」ということを、マリーは述べているのである。
そして、ここで《ダッシュ ( – )》を使って補足している。その文:
it was always me who was the problem, and I would get the criticism when I lost.
《it is ~ that[who]...》の《強調構文》。ここでは《~》の部分が "me" と《人》なので、thatではなくwhoが用いられている。「問題なのは常に(コーチではなく)僕だった」という意味だ。
"and" でつながれたあとの文にある "would" (下線部)は「~したものだった」と《過去の習慣》を述べるwouldだろう。「僕が負ければ僕が批判を受けていたものだった」。
マレーの歴代コーチは、モレスモ以外はみな男性である。つまり、コーチが男なら、タイトルを獲得できなければ「選手がふがいない」と言われ、コーチが女なら「コーチが悪い」と言われてきたわけだ。
さて、その次の文。やや長い文だが、一読して文構造は把握できただろうか。
With Amélie, the questions I would get asked a lot of the time after losing matches would be about our relationship.
カッコやスラッシュを入れてみよう。
With Amélie, the questions [ I would get asked / a lot of the time / after losing matches ] would be about our relationship.
afterはここでは《前置詞》なので、直後は動名詞。「試合に負けたあと」の意味。
「アメリに関しては、試合に負けたあと、僕が何度も聞かれた質問は、僕たちの関係に関するものだった」。
動詞がいちいちwouldがついていて、どう考えたらいいのかと詰まってしまうかもしれないが、このwouldは先ほどのと同じく《過去の習慣》を表すものと考えられ、特にがんばって日本語にしようとしなくてもよいだろう。重要なのは、このwouldが表しているのは《過去》ということが把握できているかどうかである。
そしてこのパラグラフの最後の文:
I’ve never had that at any other time in my career.
《現在完了》の文だ。「自分のキャリアにおいて、そのようなことはこのほかには一度も経験していない」という意味。「そのようなこと (that)」とは「試合に負けたらコーチが悪いと批判されること」である。
先ほど参照したVictoryの記事にもある通り、アンディ・マリーはスポーツの世界での現実的な男女平等を追求している人だが、彼のこの態度を決定づけたのが、モレスモへの不当な批判だった。2015年6月、彼はフランスのメディア『レキップ』のコラムで次のように書いている。
He finishes by writing: "Have I become a feminist? Well, if being a feminist is about fighting so that a woman is treated like a man then yes, I suppose I have."
今年2020年の国際女性デーは、Twitterでは日本語圏は本当に残念な光景が広がっていた。バブル期、男女雇用機会均等法以来の30年をずっと冬眠でもしていたのだろうか、という様相だった。あるいは「雇用機会均等法があるんだからもう平等だろ!」という思考かもしれないが(そんなものは「思考」ですらない)。
いやもうほんと、30年以上前からずーっと、フェミニズムはそれも含めた性規範・ジェンダーステレオタイプを「問題」としてきたのですが。30年以上前から。 https://t.co/hPpfRPYy8p
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年3月8日
日本語ハッシュタグの #国際女性デー で息の詰まるような、頭の痛い思いをしている女性のみなさん、英語圏を見るんだ。別世界が広がっているぞ。 #InternationalWomensDay https://t.co/nNc2CAG3Rt
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年3月8日
「セクシーさで売っている」歌手が「自分のやっていることは正しいのか、服の分量が少なすぎないか…
…そんなのどうだっていいじゃん、いやよくない、と堂々巡りで考えてくたびれるということを何年もしてきたが、私は自分の選択を肯定し、今ここにいるために払った代償を肯定するため、今の自分になるために一生懸命がんばってきた。社会の中の女性たちと同様に。全ての女性と私はともに立つ」という…
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) March 8, 2020
……メッセージを投稿していて、 https://t.co/7bBaNQyJ6i それに対する共感の声がたっぷり集まっているのを見ることができたりする。
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) March 8, 2020
Why shouldn't women coach men? Tokyo Olympics are ideal driver for equality | Andy Murray https://t.co/Igm7KFHDm1 東京オリンピックのホスト国の日本よ、これが男のフェミニズム(のひとつのありかた・ひとつのあらわれ)だ。
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年3月7日
これを再紹介しておこう。
— 優noD🏴 (@yunod) 2020年3月8日
10 of Andy Murray's best feminist moments https://t.co/7MYWosem2R
参考書: