このエントリは、2019年12月にアップしたものの再掲である。
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今回の実例は、正体を明かさず活動しているアーティストが、国際法に違反したコンクリート壁に分断されたキリスト生誕の町に捧げた作品についての記事から。
意外と知られていないかもしれないが、イエス・キリストが生まれたという町、ベツレヘムは、パレスチナにある。ヨルダン川西岸地区だ。そしてヨルダン川西岸地区は、ガザ地区のように完全に包囲・封鎖はされていないにせよ、イスラエルによって、かなりひどいとしか言いようのない形でいろんな方向で制限を受けている(などという表現では全然足りていないのだが)。パレスチナというとイスラム教というイメージがあるかもしれないが、それはイメージだけで、キリスト教徒のパレスチナ人も少なくない。日本のように宣教師がやってきて布教したのではない。元々、イエス・キリストはこの土地の人だったのだから。
ベツレヘムのクリスマス・イヴについては、数年前に現地報告を記録したページを作成した。
イギリスのブリストル出身のアーティスト、Banksy(バンクシー)については、近年、東京など日本でもその「作品」をめぐる狂騒曲が繰り広げられ、メディアも大騒ぎするようになってきたので、説明は不要だろう。アーティストとしての芸名からおそらくBanksさんという名字ではないかと言われてはいるが*1、彼は顔も本名も生年月日も明かしていない。男性であることはわかっている。1990年代から都市の壁などにステンシルとスプレー缶で「作品」を描いてきたグラフィティ・アーティストだが、そのウィットに富んだ作品が町の風景の中で抜群の存在感を放ち、2000年を過ぎてどんどん注目されるようになって、ここ10年くらいは完全に「大物アーティスト」のようになって、作品はオークションハウスで取り扱われ、ものすごい額で落札されるなどしてはBBC Newsで報じられている。元々は街角の落書き小僧だったのに、今ではエスタブリッシュメントが「彼は経済的価値を持った存在だ」と認めている。
彼は一貫して「抵抗」、「異議申し立て」をベースにした作品を描き続けている。下記の作品集 "Wall and Piece" は比較的早い時期の作品の集大成と呼べるものだが(日本語版が出たのは遅かったが、原著は2007年)、この書籍タイトルは "Wall and Peace" のもじりである。
この作品集が出されたころにwallとpeaceと言えば、即座に連想されたのが、イスラエルがヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)内に食い込む形で無理やり建設した分離壁である。この「分離壁 separation wall」(国際司法裁判所の用語)は、英語圏のメディアの多くは「分離バリア separation barrier」と呼んでいるが、barrierも結局はwallと同じことだし、本稿での訳語は「分離壁」に統一する。ちなみに当事者のイスラエルはこれを「フェンス」と呼んでいる。そういったことは英語版ウィキペディアで確認できるので、各自ご参照いただきたい。これが「フェンス」と呼べるものかどうかは、どう見ても微妙なところだ。
イスラエルとしては、このwall/barrier/fenceは、「イスラエルの平和 (peace) を守るため」のものだが、その説明を額面通りに受け取ることはとても難しい。まともに地図を見ることができる人なら誰もが、「いや、その説明はおかしい」と言わざるを得ないような場所に作られているのだ。実際、国際司法裁判所は2004年にこの壁について「違法」と判断している(ただしこの判断は法的拘束力はないので、それから15年を経過した今も壁がそのままだ)。
この壁に、Banksyは絵を描いた。2005年、今から14年も前のことだ(→当時の拙ブログ記事)。
パレスチナに対する彼の関心は一過性のものではない。2007年には、やはりベツレヘムに、現在でも観光資源となっている一群のミューラル(壁画)を描いていった。2015年2月には、イスラエルによる大規模な攻撃を受けたばかりでめちゃくちゃに破壊されていたガザ地区に入り、がれきと化してしまった家屋の壁にかわいい子猫の絵を描くなどした。「普段はパレスチナに無関心な世界の人々も、猫が描いてあれば見るんでしょ」という主旨でもあり、猫が好きなパレスチナの人々(特に子供たち)への贈り物でもあった。
そして2017年3月には、ベツレヘムの、分離壁からわずか数メートルのところにある建物を(ウォルドーフ・ホテルならぬ)「ウォールド・オフ・ホテル Walled Off Hotel」として改装・開業。このホテルには世界中からBanksy好きが訪れ、それによって壁に分断され経済的に発展する余地すらも奪われているベツレヘムの町に、キリスト教の聖地巡礼とはまた違った層の観光客を呼び込み、同時にこの町のさらされている苦境を多くの人に知らしめている。
そして2019年のクリスマス、Banksyはこの壁際のホテルに、新たな作品を設置した。今回は立体作品で、クリスマスの時期の伝統的なモチーフを扱っている。イエス・キリストの降誕(英語ではThe nativity of Jesus Christ)だ。
キリストの降誕の場面は、視覚芸術では、聖母マリアとその夫のヨゼフ、かいば桶に寝かされた幼子イエス、動物たち(ロバとウシ)によって描かれるというお約束がある。これに加えて、神の子の誕生を告げる星(「ベツレヘムの星」。この星に導かれて東方の三賢者がイエスの元にやってきた。クリスマス・ツリーのてっぺんに飾るのもこの星)と天使もよく描かれる。今回のBanksyの作品もこの伝統にのっとっている。ただし、マリアとヨゼフとイエスがいるのは小屋の中ではなくあの分離壁の前で、3人の上にあるのは輝く星ではなく、星のような形をした砲弾痕だ。壁には消えかかった文字で、「愛」「平和」という言葉が、英語とフランス語で書かれている。作品のタイトルは、The Star of Bethlehem(ベツレヘムの星)ならぬ、The Scar of Bethlehem(ベツレヘムの傷痕)。
A manger in front of Israel's concrete separation wall - Banksy reveals dark nativityhttps://t.co/ia5rRKaT5b pic.twitter.com/L3OxxL98xW
— Joe (@joedyke) 2019年12月21日
Whoa. New Banksy piece...
— Shane Claiborne (@ShaneClaiborne) 2019年12月21日
called the Scar of Bethlehem. Jesus is among the suffering. And near to all those who are left out with no room in the inn and locked out by walls of hostility. pic.twitter.com/ut3DW6sZMp
VIDEO: Dubbed the "Scar of Bethlehem", Banksy's new work is installed at the Walled-Off Hotel in the West Bank pic.twitter.com/GOz2IfSZZk
— AFP news agency (@AFP) 2019年12月21日
この「新作」のことは、21日から22日に各メディアで一斉に記事になった。今回実例として見るのはガーディアンの記事。記事はこちら:
記事のかなり下の方、ホテル支配人のウィサム・サラアさんのコメントのところから。
キャプチャ画像の一番上:
“It is a great way to bring up the story of Bethlehem, the Christmas story, in a different way – to make people think more” of how Palestinians live in Bethlehem.
「It's なんとか to do かんとか」の形を見ると、とりあえず形式主語itの構文と考えたくなるが、ここはそうではない。主語のItは形式主語ではなく、普通の代名詞で、先行の名詞を受けている(ここではバンクシーのこの作品のこと)。to不定詞の "to bring..." は直前の "a way" を修飾する形容詞的用法で、《a way to do ~》で「~する(ための)方法」の意味。つまり、"It is a great way to do ~" は、「それは~するためのすばらしい方法である」という意味になる。
bring up ~は文字通り「~を上に持ってくる」だが、「問題を持ち出す、問題を提起する」という意味でよく用いられる熟語。
また、下線で示した ", the Christmas story," の部分は、コンマに挟まれた《挿入》の形でもあるが、それ以前に直前の語句の《言い換え》でもある。「ベツレヘムの物語、つまりクリスマスの物語」という意味だ。
文の後半では、ダッシュ (–) を使って《言い足し》が表現されている。このようなことはパンクチュエーション(句読法)としても特に習いはしないが、感覚的に知っている人が多いだろう。
このダッシュの後が、《make + O + 動詞の原形》の《使役動詞》の構文になっている。"to make people think more of ~" で、「人々に、~についてより多くを考えさせる」の意味である。
最後に、このパラグラフでの引用符の使い方だが、引用符に囲まれている部分が実際のサラア支配人の言葉のままの引用で、引用符の外にある "of how Palestinians live in Bethlehem" は記事を書いた人が補って書いた部分であることを示す。(日本語のカギカッコも、同じように使うことになっている。)
その次、1パラグラフ飛ばしたあと:
Israel began building the separation barrier – in parts concrete, with other stretches consisting of fencing – in 2002 during the Palestinian uprising, or intifada.
太字にした部分は《begin -ing》の形。このbuildingは動名詞で「~し始める」。
そして、下線で示した部分は、ダッシュに挟まれた《挿入》で、先行の "the separation barrier" に対する補足説明になっている。ここで《付帯状況のwith+現在分詞》が用いられていることにも注意。
文尾の ", or intifada" は《言い換え》で、このorは「あるいは」ではなく「すなわち」ととらえるとよい。このようにorを使った言い換えの形は、しばしば、現地での呼び方を紹介するときに用いられる。
the Palestinian uprising, or intifada
boxed lunch, or bento
(箱に詰められた昼食、すなわち弁当)
また、この例のようにけっこう長めの語句が挿入されている文の英文和訳が問われたら、まずはその挿入句を外した部分だけを先に日本語化して、そのあとで挿入句を入れ込むようにするのが間違いがなくてよい。
この場合、「2002年、パレスチナの蜂起、すなわちインティファーダの間に、イスラエルは分離壁の建設を開始した」の「分離壁」に「部分的にコンクリート製で、別の区間はフェンスから成っている」を、完成した文が頭から読んで内容がすっとわかるように付け足す感じで組み立てればよい。
参考書: