今回の実例は、報道記事から。
英国のエリザベス女王の夫であるエディンバラ公(フィリップ殿下)が亡くなったことが公表されてすぐの4月9日から10日にかけて*1、英国では物理的に「どこを見てもエディンバラ公」という状態になり、王室廃止論者までもが人が亡くなったことには追悼の意を表している中でも、さすがにうんざりという空気が私の見ている画面内には横溢していた。下記など、ディストピアものの映画から切り出したかのようである。
If this was happening in North Korea we'd mock and laugh but as it happens in Britain we think its normalpic.twitter.com/m5r0ieQsWZ
— The Pileus (@thepileus) 2021年4月9日
Birmingham has replaced all the social distancing ads with this one image, like some dictator's personality cult pic.twitter.com/N1xz4h25ny
— Alex Deam (@someotheralex) 2021年4月9日
サッカーの国際試合の実況中継まで、途中で停止された。「見たい人はTVではなくWebで見てください」っていうふうになっていたそうだ。ただし女子サッカーだ。男子サッカーだったら、国王(女王)の配偶者の死去で、試合実況中継をやめるかどうか……。
England women’s international against France has been taken off BBC TV tonight after Prince Philip’s death.
— Rob Harris (@RobHarris) 2021年4月9日
They’ll show this holding graphic instead on the channel with BBC 4 programming suspended.
Game is still going to be live on the BBC website pic.twitter.com/rhs3DrgDon
前回、英王室で主要な一員が亡くなったのは、2002年。エリザベス女王のお母さんであるエリザベス王太后が101歳で亡くなったのだが、あの時はどうだったのだろうか。第二次大戦を国民と一緒に乗り越えた王妃(当時)として非常に親しまれていた方だったが(人間であり、しかもあのようなお立場の方だから暗い面もあったにせよ)、2002年と2021年とではメディア環境が違いすぎるので比較にもならないかもしれない。2002年は少なくとも、「見たくなければ見なければいい」ということは今より容易だったはずだ(見たいものが放映中止になっているという問題はあっただろうけれども)。インターネットはブロードバンドが導入されつつあったけれども、そんなに常時「つながって」なかったから。
今回、特に公共放送BBCのテレビが、複数あるチャンネルのすべてで通常番組を停止してエディンバラ公追悼番組を流し始めたことは、「怨嗟の声」と言ってもよいようなものを引き起こしていた。当然である。人々はBBCに高いライセンス・フィー(BBCの受信のために義務化されている費用。日本でいう「NHKの受信料」に相当するが、取り立てはより厳しい)を払っている。BBC Oneが追悼番組一色になるだけならだれもが納得するだろうが、BBC Two以下全チャンネルというのは明らかに過剰だ。しかもラジオまでというのだから徹底している。
日本では、うちらのようなある程度の年齢の人は、昭和天皇が亡くなったときのメディアの「自粛」騒ぎ(「自粛」の強要という文化は、新型コロナウイルス禍のずっと前から、この国の一部である)を思い出すだろうが*2、この「BBCがエディンバラ公逝去の話しかやってない」という状態は、「どこの独裁国家だよ」「北朝鮮か」という反応を引き起こした。
WTF! Are we in North Korea now? pic.twitter.com/xGsgeY7Ad5
— james joughin (@JPJoughin) 2021年4月9日
BBCには当然苦情が殺到し、いろいろさばききれなくなったのか、「この件でご意見がおありの方はこちらのフォームにメールアドレスをお入れください。後ほどBBCの公式見解をお伝えします」というページが作られた(その後、このページは消えたようだが)。
今回の実例は、そのことを英国の外から伝える、フランスの通信社(使用言語は英語)AFPの記事から。記事はこちら。
The announcement of Prince Philip's death on Friday set in motion a long-rehearsed change to programming across British television. But the wall-to-wall coverage has left some viewers complaining, particularly on the publicly-funded BBC 📺https://t.co/D8am91XJew
— AFP News Agency (@AFP) 2021年4月10日
実例として見るのは、記事ページを開いた画面の一番下にある "Story continues" のボタンを押して表示されるあたりから。
キャプチャ画像内の3番目のパラグラフ(文)の前半:
But at the heart of the criticism is whether it is still suitable to a digital era
下線で示したのは、《名詞節のwhether節》で、「~かどうか」の意味。
そしてこの文、文頭のButは接続詞だからおいておくとして、"at the heart of the criticism" という副詞句(前置詞+名詞句)で文が始まっているのだが、これが主語になるわけはなく、主語はどこに出てくるのかなと思いながら文字を追っていくと、いきなり動詞の "is" があるという形になっている。
これは《倒置》で、主語は下線で示したwhetherの節、つまり、V+Sの形になっている。
時間が来たので今回はここまで。
(18:30の定刻にアップロードしたあと、20分くらいかけてリンクなどいろいろ書き加えました)
※3000字(加筆後の文字数)
*1:この日のログ: https://twilog.org/nofrills/date-210409/asc and https://twilog.org/nofrills/date-210410/asc
*2:といっても私自身は当時あまりテレビを見ていなかったしラジオもあまり聞いていなかったので、具体的なことは体験していないせいかあまり記憶になくて、ただ、昭和天皇の体調が悪化していくなか、日々「下血」のことが「今日の株式市況」みたいな調子で伝えられ、井上陽水が車の窓から「お元気ですか」と言うだけの車のCMが「不謹慎」と叩かれて放送中止になったことだけ、やけに鮮明に覚えている。レンタルビデオ屋は混んでて、どれもこれもみな貸し出し中になってた。