今回の実例は、Twitterから、「英文法」というより「これが下線部和訳で出題されたらどうする?」というトピックで。
英BBC(テレビ)に、Question Timeという番組がある。英国では国会(下院)で平議員と総理大臣を含む閣僚とが直接質疑応答を行う question time (固有名詞ではなく普通の可算名詞)という制度があるのだが、それと同じ名称を番組名にしていることから察することができるように、時事的・政治的な話題についての討論番組である。ウィキペディア英語版に概略が説明されている。
番組は、司会者の進行でパネルディスカッション参加者5人による討論と、観客席からの質問で構成される(ただしコロナ禍においては観客はリモートでの参加となっている)。
パネルディスカッションのメンバーは与野党双方の立場を代表する国会議員や、その日のトピックの分野について専門的な知見を持つ著述家やNGOの代表者といった人々がつとめる。日本でやってる『朝まで生テレビ』をもっとまともな討論が成り立つようにした感じを想像すれば、だいたい合っていると言えるだろう。
観客席に入るのは純粋な意味での「観客」ではなく、年齢や性別、職業、支持政党や政党の籍、障害の有無・度合や人種・民族といった観点からプロデューサーに選ばれた人々で、前もってその日のトピックについて質問を2つ準備してくるように依頼されるという(ソース)。
例えばBrexitの経済的な影響についての議論では、政治家に加え、財界団体の代表者や大企業のおえらいさんがパネルで、観客席にはその政策の影響をもろに被る人々(農場経営者だったり漁業に携わる人だったり)が質問を準備して座っている、というイメージだ。
生放送ではないが、収録は一発撮りで編集をしないのが基本方針で、収録場所もロンドンに固定するのではなく国のあちこちで行われる。
そしてどう考えてもBrexitが原因の物資不足のなかで収録・放送された10月7日の回では、収録はイングランド南部のオールダーショット (Aldershot) という街で行われ、保守党の大臣と労働党の「影の内閣」の大臣、イングランドの農業団体の代表者と、ロンドン拠点のジャーナリスト、コメディアンの5人がパネルディスカッションを行った。こちらでその内容が確認できる。
この、パネラーの中にいるコメディアンが、今回の番組出演を経て、ネットで罵詈雑言を浴びせられている。それも発言内容についての罵詈雑言ではない。
彼女の名前はロージー・ジョーンズ。私がこの件を知ったのはTwitterのサイドバーに名前が出ていて解説が添えられていたからだが、そこにはこうあった。
Comedian Rosie Jones, who has cerebral palsy, responds to ‘ableist abuse’ she received following her appearance on Question Time
受験のときに「英文中にわからない(知らない)単語が出てきたら、そこで止まらずにとにかく読んで、文脈から単語の意味を推測せよ」と指導された人はとても多くいると思う。しかしそれは通用するものとしないものがある。推測のしようがなくて、語義を知らなかったら文意が取れないという語があるのだ。ここでは "cerebral palsy" がそうだ。
Cerebral palsyは、CPと略されることもあるが、日本の学校教育では出てくる場面もないし、学問の上で、また生活する上でも敢えて使うことはないから、英語圏の名門大学に留学する人や、そういった大学に招かれて研究を行うような人でも知らないことが珍しくない英単語(厳密には2語からなる連語だが)ではあるが、英語圏ではごく一般的な語である。
アカデミックな英語を学習してきた日本語母語話者が、この語を知らないからといって恥ずかしがる必要は全然ないのだが*1、新聞記事を読んでいて、あるいはテレビやラジオを視聴していて、この単語が出てきたときに、わからなかったら詰んでしまうと、そういう語である。(詰んでしまっても、辞書を引くことができれば引けばよいし、誰かに聞くことができればそれでもよい。)
受験ならば、よほどでなければそういう語には、あらかじめ語註がつけられているはずだから、受験生は過度に心配しなくてもよいが、受験英語で一定のレベルに達している人は、そういう「知らなかったら終わり」で語註がついているような語に遭遇したら、その文脈(どういう分野の語か、など)も含めて覚えてしまうのが、あとあとのためになるだろう。
と、前置きのようなものが長くなったが、cerebralは「脳の」の意味、palsyは「麻痺」の意味で、cerebral palsy (CP) は医学分野の語で「脳性麻痺」のことである。
今回BBCの討論番組に、パネラーとして出演したコメディアンのロージー・ジョーンズさんは、脳性麻痺をもった人なのだ。
そして彼女は、しゃべり方ゆえに、ネットでひどい暴言を浴びせられることになった。
それに対する彼女の反応と彼女へのサポートの声が、今回、彼女の名前がTrendsに入っている理由である。
まず、ロージー・ジョーンズさんのTwitterの自己紹介欄には:
Talk funny. Walk funny. Write funny.
とある。 "funny" はコメディアンが意図的に芸としてやる「おもしろおかしさ」を表す語ではあるが、同時に「基準から外れていておかしい」という意味もある。"This milk tastes funny." 「このミルク、変な味がする(本来の味ではない)」というようにも使う。ジョーンズさんはこの2つの語義をかけて、「話しておかしい、歩いておかしい、物を書いてもおかしい」と自己紹介をしている。
そして実際、彼女の話し方はfunnyだし、歩き方もfunnyだ。ロンドンの劇場(ハマースミス・アポロ)でのステージの映像がある。
BBC Question Timeでは歩く場面はなかったが、ディスカッション中のクリップがある。
“The fact is right now in the UK they dont feel safe at home, at night, and that is a scary place to live in”
— BBC Question Time (@bbcquestiontime) 2021年10月7日
When talking about violence against women, comedian @josierones says people from many minorities do not currently feel safe. #bbcqt pic.twitter.com/xbw6mMw6Nd
「今のイギリスは、安心して暮らせない」という彼女の発言は、先日、一生刑務所から出さないという判決が出された現職警官による女性の拉致・レイプ・殺害・遺体の遺棄というショッキングな事件をめぐる警察の実態が明らかになって(警察の人が「女性の皆さんは、警官に声をかけられて怪しいと思ったら、バスに駆け込みましょう」とかいう寝言をほざいている)、社会全体が重苦しさで覆われている中で出てきたものだ。ことに彼女は、同性愛者で障碍者であり、安全を感じないとTwitterでも繰り返し述べている。
そんな彼女に、暴言が浴びせられた。それに対する彼女の反応が:
The sad thing is that I’m not surprised at the ableist abuse I’ve received tonight regarding my appearance on Question Time. It’s indicative of the country we live in right now. I will keep on speaking up, in my wonderful voice, for what I believe in.
— Rosie Jones (@josierones) 2021年10月8日
最初の文:
The sad thing is that I’m not surprised at the ableist abuse I’ve received tonight regarding my appearance on Question Time.
"ableist" は、これは単語として既に知っていなくても、意味を推測できる語のひとつである。じっと見つめれば、ableという単語が浮かび上がってくるはずだ。そして「障碍者」という文脈から、disableとableという対比も思い浮かぶだろう。
そう、ableistは「ableな人」の意味で「健常者」。ここではその名詞が形容詞的に用いられていて、ableist abuseで「健常者の暴言」の意味。
"appearance" は、「外見、見た目、風采」の意味もあるが、ここでは "appearance on Question Time" で「クエスチョン・タイムに出た(出演した)こと」。
というわけで文意は、「悲しいのは、私がクエスション・タイムに出たことについて今晩私が受けている健常者からの暴言に、私が驚いていないということです」と直訳できる。
ひとつ飛ばして3番目の文:
I will keep on speaking up, in my wonderful voice, for what I believe in.
太字にした部分は《keep on -ing》(「~し続ける」)で、文意は「私はこれからも、私のすばらしい声で、私が信じているもののために、声を上げ続けていきます」。
すでに当ブログ規定の4000字を200字以上超えているのだが、ジョーンズさんのこのメッセージに対するサポートの声もいくつか紹介しておきたい。
Rosie, you're changing the world for the better. Which is a gig you didn't apply for, but there you are, up on the stage. Very proud to know you.
— Richard Osman (@richardosman) 2021年10月8日
リチャード・オスマンさんもコメディアンで、BBCの番組に出演している人だが、彼はジョーンズさんに対し「あなたは世界をより良い方向へ変えていっている」と述べ、《関係代名詞の非制限用法》であるはずのものをコンマではなくピリオドで区切って「それはあなたがぜひやりたいと望んだことではない仕事だが、とにもかくにもあなたは現場に立っている」と言い、最後に "Very proud to know you." 「あなたを知っていてよかった」と非常にポジティヴな気持ちを言葉にしている。
この最後の "proud" の用法は、この語を「誇りに思う」という語義で硬直化させて覚えていると、全然つかめないだろう。「誇りに思う」ことができるのは、自分が意志を持ってやったこと(「自分が頑張って朝起きたこと」とか)や、身内のこと(「自分の子供が頑張って朝起きたこと」とか)だから、「私があなたを知っていること」をproudに思う、という場合に「誇りに思う」とするのは違和感がある。まあ、要は、非常に肯定的な気持ちを抱いている、ということなのだが。
もう1つ。
When I was young, disabled people were hidden away. I was awkward with ppl with disabilities until I learnt familiarity. Keep putting your voice out there Rosie, it's the only way to change the world.
— Cruiskeen Lawn #FBPE (@PaulTatum4) 2021年10月8日
時制に注目してほしい。「私が若かったころは、障碍をもつ人々は隠されていた」と過去形で書き、その過去形のまま "I was awkward with people with disabilities" と続けている。これは「もう過去の話で、今はそうではない」ことを含意している。
awkwardという語は、以前オバマ元米大統領の回想録で鳩山元首相を評した言葉の中に出てきたので検討したことがあるが、「スムーズにいかない」くらいのイメージで覚えておいて、あとは臨機応変に訳文の中でしっくりくるように日本語を整えるのがよいだろう。ここでは「障碍をもつ人とは普通に接することができなかった」くらいの感じだと思う。直訳すれば「障碍をもつ人に対するとぎこちなくなってしまっていたが」となるが、そう書いても受験の下線部和訳では減点はされないかもしれないにせよ(実際、ふた昔くらい前の翻訳で学者が訳したものには、こういう文体のものがけっこう多い)、読みやすい日本語とは言い難いだろう。
そろそろ5700字になってしまうので終わります。
※5690字
*1:ただ、「英語を身に着ける」ということがどういうものかをろくに知らずに「英語なんてみんなできるんでしょ」的なナメた態度をとっている人は、「お前は英語ができるくせに、そんな単語も知らないのか」とバカにしてくるかしれないが。