今回の実例は、Twitterから。
2月半ばにウクライナ情勢が緊迫してきたころから、私がTwitterで見ている範囲に限っても、英語圏の報道機関に所属するベテランの記者がウクライナやロシアに取材に行くのを頻繁に目にするようになった。ロシア軍による侵略(侵攻)が開始され、激しい戦闘が発生し、地元の人々が通常の生活を捨てての脱出を余儀なくされる中でも、何人ものベテランが次々と現地に向かっていった。英ITVのアレックス・トムソン記者もその一人だ。トムソン記者は北アイルランド出身で、地元の北アイルランド紛争の報道を皮切りに、世界各地の紛争や災害を取材している。タリバンによる爆弾テロが相次いでいたアフガニスタンや、情勢が不安定化していた中央アフリカ共和国(CAR)などで、一般の人々、特に医療従事者の目に何が映っているかを伝えていたのが特に印象に残っている。11年前は日本の東北地方に入り、津波の被害を伝えていたし、1年後の取材にも訪れていた。
トムソン記者は今回、3月になってからロシアに入った。
Off to Moscow tomorrow so things probably going a bit quiet on Twitter from me for a spell.
— alex thomson (@alextomo) 2022年3月1日
文頭に "I'm" が省略された手紙・日記の文体で、省略せずに書けば、"I'm off to Moscow" である。このbe off (to ~) という言い方は、英語圏ならばきっと5歳児でも知っているのだろうが、私はこれを高校までの学校教育で習ったことはなく、大学でも遭遇しなかったし、いわゆる「旅行英語」の範囲(つまり、現地の人と特に人間関係を作らない程度の会話しかしないような言語利用)でも遭遇する機会がなく、最初にフラットメイトが "I'm off" と言うのに遭遇したときは、一瞬意味がわからなかった。「単語は全部知っているのに、意味が取れない」という、学習者ならよく知っているあれだ。状況から判断して「これから出かける」という意味だというのは数秒でわかったが。
というわけで、トムソン記者のこのツイートの前半は、「明日、モスクワに行きます」の意味。
後半は、そのまま素直に読む通り、「だから、しばらくの間、Twitterでは私からの発言は少し静かになると思われます」という意味。thingsとかa bitとかfor a spellとかいった語句の使い方がかっこいいので、このまま紙に書いて壁に貼っておくお手本にいいかもしれない。
というわけで、日本時間で3月1日(欧州ではたぶん2月28日)にロシアに向かったトムソン記者だが、現地入りしてほとんど時間を置かずして、ロシアでは言論の自由、報道の自由がつぶされた。
ウクライナに侵攻しているロシアのプーチン大統領は4日、戦況に関する報道を国内で大幅に規制する改正刑法案に署名した。法案は4日、上下両院を通過していた。ロシア軍に関する「偽情報」や「信用失墜を狙った情報」を広める行為を禁止する内容で、違反者は最大で禁錮15年や罰金150万ルーブル(約140万円)を科される。ロシア国内でも反戦デモが起きるなど侵攻に疑問の声も上がる中、情報を統制しスムーズに侵攻を進める狙いがあるとみられる。
これを受け、ロシアの独立系新聞や米CNNテレビなど海外主要メディアは続々と報道活動の縮小を決めた。……
そして英国大手報道機関に属するこのベテラン記者は、ほかの外国(ロシア以外の国々)の報道機関の人々と同じく、やむなく帰国するに至った。
Back in UK from Moscow - where calling war war and invasion invasion is now a serious crime. It became simply impossible to work for you I am afraid. My inconvenience was minor. For many fleeing Russia lives are being wrecked.
— alex thomson (@alextomo) 2022年3月7日
ここでも文頭に "I'm" が省略されていて、"I'm back in UK" の意味。正式に書くならUKにはtheがつくのだが、Twitterのように文字数制限があるときにはこの定冠詞のtheは落とされることが多い。文意は「モスクワから英国に戻ってきています」。
その次、ハイフン(米国式だったらダッシュ)を使った補足のところでは、《関係副詞》が《非制限用法》で用いられ、《動名詞》を主語にして、「そこ(モスクワ、つまりロシア)では戦争を戦争と呼び、侵略を侵略と呼ぶことは、今や重大な犯罪になってしまいました」と、説明を付け加えている。
というか、見かけ上はこれは「説明」なのだが、情報としてはこれが本題だ。
文法としては、"calling war war and invasion invasion" は "calling war war and calling invasion invasion" の太字部分が重複のため省略された形で、andの前後それぞれが《call + O + C》の第5文型(SVOC)になっているということを、しっかりと確認しておきたい。
その次:
It became simply impossible to work for you I am afraid.
これは、《It is ~ for -- to do ...》 の形式主語の構文で、《to不定詞の意味上の主語》を表す "for --" の部分が後ろに回ってしまっていると解釈してよいと思うが、なぜそうなるかを考えると、非常に含むところが大きな文だと思う。書いているご本人はそこまで意識していないかもしれないが、なんというか、無念さが単語と単語の間からあふれ出てくるような文面だ。このyouは特に「あなた」を言うわけではなく、《総称のyou》というか、むしろ「私」のことを言うyouだが、こういうyouには第一線の翻訳家でも苦労しておられるのではないかと思う*1
末尾の下線部 "I'm afraid" は、直前にコンマを置いて "... for you, I'm afraid" というように書くことが多いと思うが、「残念ながら」という話し手・書き手の気持ちを明確に表すためのフレーズだ。文頭に置くこともあるが、それよりこういうふうに文尾に置いてあるほうが、無念さが強く出る。文頭だと、事務的な色合いが感じられることもある。
文意は「もはや仕事をすることが、不可能になってしまいました。無念です」ということ。
そしてその次:
My inconvenience was minor. For many fleeing Russia lives are being wrecked.
最初の文は、直訳すれば「私の不便は小さなものでした」で、取材先のモスクワでこの外国人ジャーナリストがどういう思いをしたかを "inconvenience" の一語で片付けているのは、英国式のアンダーステートメントの最たるものだろう。「英国式のアンダーステートメント understatement」というのは、英国人はどえらい大変な事態が起きていても「ちょっとしたトラブル」と表す、というようなことを言う。「誇大な表現、誇張 overstatement」の逆で、これに気づかずに文字通りに受け取ってしまって行き違いが生じるというのは、英国人と米国人の間でも生じることがあるようだ。うちら日本語話者の感覚は、この辺は英国人寄りかもしれない。
次の文は、"Russia" と "lives" の間に大きな意味の切れ目があり、「ロシアを脱出している多くの人々にとっては」までが前半で、そのあとは「個々の生活が破壊されつつあります」という意味。
この複数形のlivesという表現の向こう側を、見ることができるうちに見ておかなければならない。
【このあと、少し書き足します】
I am now free to tell you that yesterday 4631 Russians were arrested yesterday in 64 cities for opposing Putin’s war. Russian charity OVD calculates 13,028 Russians have now been arrested. pic.twitter.com/Vd4fmPkB75
— alex thomson (@alextomo) 2022年3月7日
ロシアを出たからようやく、トムソン記者はこのツイートに書かれている内容を公にすることができるようになった。つまり、「昨日、64の都市で、4631人のロシア人が、プーチンの戦争に反対したことを理由に、逮捕された。ロシアのチャリティ団体(日本の感覚では「NPO」に相当)であるOVDは、これまでに逮捕されたロシア人の人数は13,028人と計算している」ということである。
モスクワ在住のイングランド人ジャーナリスト、ジョニー・ティックルさんが、これまでに侵略(侵攻)反対の意思表示をしたロシアの著名人についてスレッドでまとめている。いずれも大きく報道された人ばかりだが、私はこの人たちの名前を敢えて書くことでこの人たちに危険を及ぼしてしまわないと確信できないので、スレッド先頭の投稿のURLを示すだけにする。
https://twitter.com/jonnytickle/status/1500589595834130440
ロシアで最も有名なテレビのトーク番組司会者は、戦争反対の意思表示をした直後に、これまで1500回も続けてきた番組が打ち切りとなったという。国営テレビ局の番組で引っ張りだこの人気司会者は、2月24日に反戦を表明し、その後は国外に脱出したとうわさされているという。2016年と2019年にロシア代表としてユーロヴィジョン・ソング・コンテストに出場した男性歌手もインスタグラムで反戦を表明し、ロシアで非常に人気の高いラッパーは「悲劇であり犯罪である」と述べて、チケット完売していたモスクワとサンクトでのライヴ6回をすべてキャンセル。カンヌ国際映画祭で最優秀監督賞に輝いたことのある映画監督は国外に脱出し、チェスではトッププレイヤーを含む42人が戦争反対のオープンレターに署名。ロシアで最も有名なYouTuberは、「将来子供に読んでもらうため」として反戦の意をしたためた手紙をインスタグラムにアップし、「僕はこの政権を選んでいない。この政権の帝国主義的な激情を支持してもいない」とつづった。ある都市計画専門家は、「この戦争は正当化することなどできない。この戦争を始めた者たちも、それに歓喜した者たちも正当化できない。この戦争は、だれにも幸福をもたらさない」と記し、ロシアで大人気の俳優も「戦争反対」と呼びかけた。サッカー選手やテニス選手などスポーツ界にも戦争反対を表明する人々が相次いでいることは、日本でも報道されている。プーチン政権の金づるともいえるオリガルヒたちの中にも、この戦争を「考えられないことで、まったく容認できない」と強く非難する人々がいる(西側世界なら、「どんなにヤバい奴でもカネさえ持ってれば安全でしょ」と言えるかもしれないが、ロシアではそうではない。ユコスのホドロコフスキーのことは覚えている人も多いだろう)。
この人たちの名前を出すことを私がためらっているのは、ティックルさんならロシアから何か情報があれば即座に反応してツイートを消せるかもしれないが、私はそうではないからである(ブログへのツイートの埋め込みは、ツイートは削除されても文面はそのまま残ってしまう)。本当は、普通に名前を出して、「勇気あるロシアの人々」を讃えて連帯したい。
ティックルさんのスレッドで、心配しなくてよさそうなのは、ジョージアの芸能人とウクライナの芸能人に関するツイートだ。
On February 24, legendary Georgian pop singer Valery Meladze warned that "history will judge everything," and called on Russia to stop the invasion of Ukraine.
— Jonny Tickle (@jonnytickle) 2022年3月6日
His concert in Minsk, due to be held later this month, was immediately canceled. pic.twitter.com/aC0OhRaggQ
Many popular Ukrainian artists have also come out against Putin's invasion. On Saturday, Russian music channel RU TV announced that some of them, including Ivan Dorn, Loboda, Max Barskikh and Monatik, would be BANNED for their "contemptuous attitude towards Russian listeners" pic.twitter.com/kr9GqUXlBJ
— Jonny Tickle (@jonnytickle) 2022年3月6日
作家のアンドレイ・クルコフから。
Thanks to Russians who protest against this war!
— Andrei Kurkov (@AKurkov) 2022年3月8日
現在、クルコフはキエフ(キーウ)から退避しているが(ペンギンは連れていないけれど、猫とハムスターを連れている)、移動病院を作るための資金集めとしてオンラインでトークイベントを開催するという。主催は英国の団体で、日時は英国時間で3月11日金曜日の夜(日本時間では12日早朝……プレミアリーグ見てる人にはなじみのある時間帯)。チケット代は任意で、一応、£5、£10、£15がプリセットされているけど、いくらでも構わない。詳細は下記から。
— Andrei Kurkov (@AKurkov) 2022年3月7日
クルコフの小説の英語版。Kindleで買えば支援になると思う。今読んでるけど、英語は平易なんだけど、私にはこの世界の空気みたいなのがつかみきれなくて、話に入り込めず、読んでても読めてる気がしない。空気感のある人の手で、日本語に翻訳してほしい。翻訳はいろんな方向で支援になる。
*1:それを逆手に取ったような日本語の小説が、ケズナジャットの『鴨川ランナー』だ。