今回の実例は、報道記事から。
日本のメディアでも、今日、大きく報じられた通り、かつて存在した超大国、ソ連(ソヴィエト連邦)の最後のトップを務めた歴史の当事者が亡くなった。
説明のための前置きは不要だろう。記事はこちら:
もはや日本語圏では、この人の肩書が「書記長」であったことも、説明しないと通じなくなっているかもしれない。ソ連が消えたのは30年以上前のことだ。私にとっては、大学までに頑張って学んだ国際秩序についての基礎的な知識が、大学を出ることには完全に役立たずになっているというわりと切実な経験なのだが(それは、実際には同世代の人たち全員に共通しているはずだ。日本では「バブル世代」と一口に片付けられるうちら世代は、「冷戦の終わりの世代」でもある)、「ペレストロイカ」や「グラスノスチ」といった舌を噛みそうなカタカナ語を流行語として覚えたりしただけの人もいるかもしれない。そういうふうに、最近はやりの言い方で言うと「濃淡」は人によりけりいろいろだったが、それでもミハイル・ゴルバチョフの名前を知らない人はほとんどいなかっただろうし、顔と名前が一致しないという人もほとんどいなかっただろう。「ゴルビー」という、いかにも英語圏っぽい愛称(「ボブ」が「ボビー」になるような)も、ここ日本語圏で、かなり広く浸透していた。
実際、「冷戦」があんなにあっさりと終わるとは、まったく思っていなかった。米ソ両首脳が紙に署名して終わるなんて。その上、ソ連が消えてしまうなんて、何が起きているのか理解が追い付かないレベルの出来事だった。でも、冷戦末期、まだまだがっちがちの「ソ連」だったころのアエロフロートにも乗り、「新生ロシア」になったあとのアエロフロートにも乗って(ロンドン行きで一番安い航空会社がアエロフロートだった)、「ソ連/ロシアの飛行機で、アメリカのデルモンテの製品が提供される」という形で変化に接した私は、冷戦の終結がもたらす未来は、明るいものだと思っていた。その次の瞬間にユーゴスラヴィアがひどいことになるのだが。
というところで実例:
キャプチャ画像の一番下にキッシンジャーの名前があって、「なんでまだ生きてんの」感に満たされるだろうが、そこはスルーして、キャプチャ画像の上の方から見ていこう。
BBC Newsは1文ごとに改行するという謎ルールを導入しているので、いわゆる「パラグラフ・リーディング」的なことの練習台にはしづらいのだが、この文は明確な「パラグラフ」構造になっている。
大学入試では難関校の自由英作文で使える型である。
キャプチャ画像の一番目と二番目のパラグラフは、実はひとつのパラグラフとして書かれている(ものを、文の切れ目で改行してある)。つまり、事実上、この文は:
He is seen in the West as an architect of reform who created the conditions for the end of the Cold War in 1991 - a time of deep tensions between the Soviet Union and Western nations. He was awarded the Nobel Peace Prize in 1990 "for the leading role he played in the radical changes in East-West relations".
But in the new Russia that emerged after 1991, he was on the fringes of politics, focusing on educational and humanitarian projects.
このような構造になっている。ここで注目すべきが、太字にした部分だ。つまり、「西洋(西側)では~。しかし新生ロシアでは…」という《対比》の構造。
そして、第2文(下線部)は、第1文の《トピック文》に対する《サポート文》という構造になっている。第1文で言っている "in the West" の具体例が、第2文の "the Nobel Peace Prize" である(ノーベル平和賞が「西側」のものというのは、近年とみに顕著だが、古く1975年にソ連のサハロフ博士が受賞したときにはもうそういう見方がされていた)。
ほかは、解説は特に必要ないだろう。関係代名詞のwho, thatや、ややイレギュラーだがハイフン*1を使った補足による同格表現に気をつけて読めばよい。あ、あと "a time of deep tensions" の《不定冠詞》にも注目だ。ここでは「時間」という抽象名詞ではなく「一つの時代」という意味でtimeが用いられている。
文意は「西洋では彼は1991年の冷戦――ソ連と西側諸国の間の深い緊張の時代――終結の条件を整備した改革の設計者とみなされている。彼は、1990年に、『東西関係における根本的変化において主導的な役割を果たしたこと』により、ノーベル平和賞を受賞した。しかし、1991年以降に出現した新生ロシアでは、彼は政治の周縁部におり(=政治では中心的な存在ではなく)、教育や人道的なプロジェクトに傾注した」。
ゴルバチョフの「人道的プロジェクト」の最も重要なもののひとつが、報道である。
⚡ Mikhail Gorbachev, president of the Soviet Union, Nobel Peace Prize winner and co-founder of Novaya Gazeta, passed away on 30 August.
— Novaya Gazeta. Europe (@novayagazeta_en) 2022年8月30日
He was 91 years of age.https://t.co/Fen0B6QOmx
— The Russian catastrophe of 2022 has become possible after thirty years of demolishing Gorbachev’s legacy.
— Novaya Gazeta. Europe (@novayagazeta_en) 2022年8月31日
Novaya Gazeta. Europe Editor-in-Chief Kirill Martynov speaks about the legacy of Mikhail Gorbachev. The legacy that the Russians have wasted ⬇️ https://t.co/ZeK9dXqVEe
Mikhail Gorbachev was the only true leader of our country and real humanist. I'm proud I worked in the newspaper founded by him. We'll try to continue this work. Here Mikhail Sergeevich read my editorial for Novaya Gazeta three years ago. It is called Never Again – about war. pic.twitter.com/ExDu7LucVR
— Kirill Martynov (@kmartynov) 2022年8月30日
Last year Mikhail Gorbachev celebrated his 90th birthday and was already very ill. We had an amateur video of him singing one of his favorite Russian songs, "There's Only a Moment". pic.twitter.com/egwPHGta6v
— Kirill Martynov (@kmartynov) 2022年8月30日
ゴルバチョフが創設したこのノーヴァヤ・ガゼータという媒体は、昨年のノーベル平和賞が編集長のドミトリー・ムラトフに与えられたことでニュースになったばかりだし、それに何より、かのアンナ・ポリトコフスカヤが在籍していた新聞なのだが、今般のロシアによるウクライナ侵略後のメディア統制のためにロシア国内では活動できなくなり、現在ではロシア語での報道・言論活動も行っていない。
ノーヴァヤ・ガゼータがこういう目にあわされているのを、ゴルバチョフは認識していただろうか。最晩年はもうかなり具合が悪かったという。
で、BBC Newsの記事でもスルーされているが、英国の大手メディア(インディペンデント、イヴニング・スタンダード)を所有しているエフゲニー・レベジェフの父親で、元KGBのアレクサンドル・レベジェフは、一時ゴルバチョフの盟友として政治活動を行い、ノーヴァヤ・ガゼータの共同社主でもあるのだが、この人物が実はプーチン側の人間だったという、ジョン・ル・カレも墓の中でお茶をふいているに違いないような現実がある。ついでに言えば、エフゲニー・レベジェフは英首相ボリス・ジョンソンと昵懇の中で、ジョンソンが外相時代にNATOの外相会合から帰るその足でエフゲニーがイタリアに所有する別荘でのパーティーに行って、そこで、英国の外相という立場であるにもかかわらず誰にも知らせずにロシア側と接触……したのならシリアスなスリラー小説も真っ青だが、実際には飲みすぎてへべれけになっていて使い物にならず、ロシア側との接触は中止され、ジョンソンは1人空港に放り出されて英メディアに発見されるという情けないことになった(が、当時は、少なくとも「ジョンソンらしいいつもの奇行」と流されたはず)……という驚天動地の調査報道がなされている。日本にうんざりするほど大勢いるジョンソンのファンは、こういう話は知らないのだろう。知っててファンをやってるのなら、相当アレだ。
それで思い出した。ボリス・ジョンソンとロシアの接点になってるエフゲニー・レベジェフ(英国では「レベデフ」と発音)とその父アレクサンドル・レベジェフ(元KGBで駐英外交官)がいかにして英国のエスタブリッシュメントに浸透していったかを追っている調査報道podcast: https://t.co/h2v8qzbRfm …
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年7月29日
獄中のアレクセイ・ナワリヌイ氏は、次のようなコメントを出している。「ゴルバチョフ氏は有権者の意思を尊重し、暴力に打って出ることなく自主的に退陣した。これだけでも、旧ソ連の水準でみれば、素晴らしい人格者といえる」と。
"He stepped down peacefully and voluntarily, respecting the will of his constituents. This alone is a great feat by the standards of the former USSR," Navalny sayshttps://t.co/eGxfxNSCy2
— Novaya Gazeta. Europe (@novayagazeta_en) 2022年8月31日
なお、話題は全く変わるが、昨日あたりから、Twitterでドヤった感じで注目を集めているとある英語指南ツイートに対するツッコミが私の見る画面に次々と流れてきている。そのツッコミの実例が、今回見ているBBC News記事にあることにもお気づきになるかと思う。
中邑光男先生:
and, but, soを文頭に置かない、seeとmeetの違いなどという点をイラスト入りで述べているツイートが話題になっている。他にも、イラスト入りの、不正確で、必要以上に単純化した説明をするツイートが目につきます。英語学習者にとって注意すべきツイートです。
— Mitsuo Nakamura (@NakMitsuo) 2022年8月31日
北村一真先生:
かつてツイートでも言った通り、and/butなどを文頭に置いてはいけない、というのは典型的な俗説で専門家も否定しています😇https://t.co/MVBeTeLXB5 https://t.co/U15fTL8uQw
— MR. BIG (@Kazuma_Kitamura) 2022年8月31日
こちらのP35-36に書かれています。もちろん過剰な使用は拙い印象を与えるとはしていますが、それは文頭のandやbutに限ったことではないですね。本書ではうまく使えば効果的でさえあるとして、本文の中でも普通に使っています😇https://t.co/M5HeIPfMIX
— MR. BIG (@Kazuma_Kitamura) 2022年8月31日
やたらと接続詞で文を始めるのは、子供っぽく見えるので避けるべき、というのは英語でまともな文章を書こうと思ったら必ず指導される。日本語母語話者は、英語の接続詞とは性質の違う「つなぎ言葉」を使いながらじゃないと思考を言語化しにくいために、「つなぎ言葉」のように英語の接続詞を使いがちで、それをやると、英語としては奇妙なものができあがる。だから、説明を単純化して、「Andで文を始めるのはご法度だから、andの前で一度文を切らずに書こう。It's sunny today. And I'm happy. ではなく、It's sunny today, and I'm happy. と書こう」という指導は(まあこのくらいに短い文なら幼稚な文体でも特に違和感もないし論理構造もおかしくないんだけど)やることがあるだろうが、それが「鉄則」であるわけではない。
っていうかここまでやるなら、It's sunny today. I'm happy. でもいいんじゃね、ってなるけどね。英語は、余分な単語は消せって指導されるんだけど、それはサイデンステッカーとかキーンとかいった名翻訳者が英語に訳した日本文学を読むとよくわかるはずで、そういうふうに「消せ」って指導される語の筆頭格が、日本語の「つなぎ言葉」のつもりでついつい使いたくなる英語の接続詞である。
日本語母語話者の書く英文に出てくる文頭のandは、たいてい要らないんだよ。私も日本語で考えて英語でアウトプットするときに文頭のandがどうしても出てくるけど、最終的には削る。英語で論理を構築する接続詞の使い方と、日本語の接続詞(に見えるけど実際にはただのつなぎ言葉)のそれとは異なる。
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年8月31日
これについては、以前、テイラー・スウィフトの長文を読んで感じ入ったことがある。
https://t.co/Mc3UIsvD6e テイラー・スウィフトのこの文を読むと、「日本人が(日本語の文の書き方を前提として)書く英語にはandやbutが多すぎる」というのが実感される。むしろ、これを日本語訳するときには適宜「しかし」などを入れないと、読めたもんじゃなくなる。
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2019年11月15日