今回の実例は、Twitterから。
先の週末(4月2日から3日)、ウクライナから、ロシア軍が撤退して解放されたキーウ州の街の、あまりにひどい状況が伝えられた。『ペンギンの憂鬱』などで知られるウクライナの作家アンドレイ・クルコフは、惨状を記録した写真を2枚添えて、「ウクライナのスレブレニツァだ」とツイートしているが(ツイートを表示すると、きつい写真が表示されるので、あまりうっかりとは見ないようにしてください。こういう写真は、一生忘れられなくなるから、それを覚悟で)、その街、ブチャ (ブーチャ; Bucha) のことを、クルコフは「芸術家と知識人の街」と説明している。
私としては、またもや、これまで知らなかった地名を、悲惨な事態、それもとんでもなく悲惨で非道な事態によって知ってしまったわけで、できるなら「芸術家と知識人の街」として知りたかったと、ネイルをきれいに塗った手の写真を見ながら、痛切に思っている。
この非道な出来事――「殺戮、虐殺 massacre」と呼ぶよりないが、おそらくはそれ以上のもの――を前に、世界は文字通り、打ち震えた。Twitterには基本的に声がないが、だれもが声を震わせていた。
その一人が、英オックスフォード大で講師を務めているジェニファー・キャシディ博士である。キャシディ博士はアイルランドの人で、以前ご自身がツイートしていらしたのだが、親族の中で大学に進んだのは彼女が初めてだったという。つまり、アイルランドの庶民の家の人だ。大学はダブリンのトリニティ・カレッジで、その後、オクスフォードで修士号と博士号を取得している(出典)。1987年生まれとまだ30代の若い人だが、アイルランドの外務省で仕事をした経歴を持ち、その前は国連や欧州連合(EU)外交部で仕事をしていた。
そのEUの仕事をしているときに、カンボジアで、1970年代のクメール・ルージュによる虐殺を裁いた「カンボジア特別法廷」に関する仕事をしている。このクメール・ルージュによる虐殺は日本語で読める本などがいくつも出ているから、特に年齢が若い人で、今のウクライナで起きていることに衝撃を受けて何もできなくなっている人がいたら、慰めには全然ならないと思うが、ウクライナが初めてではないということを知るために、こういった本を手に取ってみてもいいかもしれない。もちろん、クルコフが引き合いに出しているスレブレニツァのジェノサイドを含む殺戮が相次いだボスニア内戦について調べてみてもよい。
前置きはここまで
4月3日、キャシディ博士は次のような連続ツイートを投稿した。
Having worked on the Khmer Rouge Tribunals in Cambodia, and heard the horrifying accounts of genocide. I imagine how different the trials would have been, if we had the mass evidence and videos that we see throughout Bucha, Mariupol & all Ukraine. These crimes will be punished.
— Dr. Jennifer Cassidy (@OxfordDiplomat) 2022年4月3日
Many will say - it will never happen - that Russia isn’t a signature to the ICC. Just like the US and UK. But without hope for change - what are we? I’m not speaking of blind optimism, or no grasp on reality. I’m talking about a fight for justice. A fight for all lives lost.
— Dr. Jennifer Cassidy (@OxfordDiplomat) 2022年4月3日
1つ目のツイートの第1文(一か所、タイプのミスでコンマがピリオドになってしまっているので、そこを修正して入力する):
Having worked on the Khmer Rouge Tribunals in Cambodia, and heard the horrifying accounts of genocide, I imagine how different the trials would have been, if we had the mass evidence and videos that we see throughout Bucha, Mariupol & all Ukraine.
太字で示した "and" は、直後が "heard" (下線部)だから、その前にある過去形もしくは過去分詞との接続の構造を作っている。それを意識して前を見ると、その前に "worked" という過去分詞があるので、ここは、"Having worked ... and heard ..." という構造であることがわかる。
青字で示したが、この "Having worked ... and heard ..." は、《having + 過去分詞》の《完了分詞構文》。文のメインのパート、すなわち "I imagine" の1つ前の時制を表している。"I imagine" が現在だから、分詞構文のところは過去だ。
余談だが、この完了分詞構文、今から20年以上前に、「道具としての英語」という「受験英語」を否定するコンセプトがブームになったときに、「いかにも受験英語で、実際には誰も使わない文学的表現だ」などといった調子でやり玉に挙げられて、実際にワークブックや学参の現場ではそれに日和った編集方針がとられて、極端な場合には削除されるなどしたのだが、実際には、これは日常の英語で頻出である*1。もちろん、分詞構文自体が会話で使うというより書き言葉で使うものなので、会話ではあまり聞かないのかもしれないが。
閑話休題。というわけでこの部分の意味は「カンボジアでクメール・ルージュの特別法廷に関する仕事をし、ジェノサイドの恐ろしい証言を聞いたことがあるので、私は……だと思っている」。
次に、この文のメインのところ:
I imagine how different the trials would have been, if we had had the mass evidence and videos that we see throughout Bucha, Mariupol & all Ukraine.
見ればわかるだろう。《仮定法》である。《仮定法過去完了》であるが、これもタイポでhadが一つ抜けてしまったのだろう。上ではそれを朱字で補ってある。
下線で示した "how" は《感嘆文》の構造の一部だ。
文意は「もし私たちが、ブチャやマリウポリ、およびウクライナ全土に見ているような大量の証拠と映像を有していたならば、(カンボジアの)裁判はいかに違っていたであろうか、と、今私は考えている」。
キャシディ博士の連ツイの2つ目のツイートは、次回、取り上げる。
*1:ほんとに英語を使ってるわけじゃない人たちが編集者という立場で「売れる本」を作ったのが、あの時代の悲劇だ。