今回の実例は、Twitterから。
イスラエルが対外的な機会をとらえてはレインボーフラッグを掲げてみせて、「我が国はLGBTQ+に優しい国です」とアピールしてきたことは広く知られている。その「LGBTQ+に優しい国」という看板が、イスラエルが行っている他の人権侵害(パレスチナ人差別、パレスチナ弾圧)を覆い隠すために使われているということも、そのようなやり口を、「ホワイトウォッシング」をもじって「ピンクウォッシング (pinkwashing)」と呼ぶということも、そこそこ広く知られている。
一方で、イスラエルでは同性結婚は認められていない。ユダヤ教という宗教のもとでは、同性の人同士の「結婚」という宗教性を帯びた関係が認められないだけでなく、行政的な関係(シヴィル・ユニオン)も制度すらない。ただ、同性カップルが同棲することができたり、同性愛者やバイセクシュアルの人々、トランスジェンダーの人々が、それを隠さなくても軍隊に入れるっていうのは、周辺国よりずっと進んでるでしょ、とドヤ顔をして見せることができる材料だ。実際、一時は米国よりもそういう面では進んでいて、それゆえ、米国からイスラエルへ移住する人もいた(いる)という。ちなみに、イスラエル国外で結婚した同性カップルは、イスラエルでも婚姻関係の継続が認められているようだ(宗教的にいろいろありはするということだが)。
というわけで、イスラエルがレインボーフラッグを掲げて見せるのは、対外的なポーズ、イメージアップのための方策に過ぎないとして、冷めた態度で臨む人も多いし、批判する人も多い。
今回の実例はその文脈を踏まえてみてほしい。
イスラエルの首都として国際的に認められている(が、ここもパレスチナ人を追い出してイスラエルのものとした都市のひとつである)テルアビブの美しい海岸沿いに、たくさんのレインボーフラッグがたなびいている写真を、『ジューイッシュ・ジャーナル』という媒体で書いているブレイク・フレイトン氏がツイートしている。
Tel Aviv today. My heart bursts. pic.twitter.com/9iCayfTKd1
— Blake Flayton (@blakeflayton) 2022年5月30日
ツイート本文は「今日のテルアビブ。胸がキュンとしちゃうね」という感じの文面。burstは「破裂する」という意味の自動詞だが、この文面は暗喩であり、本当に心臓が破裂してしまうわけではない。
このツイートに対し、本稿で前置きの部分で述べたようなイスラエルのLGBTQ+政策についてのまっとうな指摘を書き加えて引用リツイートしているのが、下記のジェイムズ・レイ氏である。
Same-sex marriage is illegal in Israel. Israel recognizes same-sex marriages done abroad (to facilitate settler movement) but does not allow it for those living in the country.
— James Ray ☭ (@MakeItRayn_) 2022年5月31日
Cool flags though. https://t.co/jHAkuLMi6n
「同性結婚はイスラエルでは非合法である。国外でなされた同性結婚は、イスラエルは認めているが(入植運動を促進するために)、この国に暮らしている人々に対しては、それを認めていない」という指摘。最後の "but" 以下の部分にある "it" は、文頭の "Same-sex marriage" を受ける代名詞で、"those living ..." のthoseも代名詞の用法で意味は「~している人々」。
レイ氏はこのように、言いたいことをずばっと言ったあとで、「でも旗はいいね」と述べ、自身がレインボーフラッグに対して否定的な立場にはないことを明確に示している。つまり「ゲイ・バッシング」をしたくてこういう指摘をしているのではない、ということを明示している。
イスラエル/パレスチナ(狭義の「中東」)について発言するときは、こういう細かい気配りが欠かせない。これを怠ると、「ホモフォビア」のレッテルを貼り付けられるなどする可能性が、侮れない程度に高い。
であるにしても、レイ氏のこのツイートの最後の3語は、それまでの厳しい口調とは変わってくだけた感じになっているせいか、何というか、日本語で「念のため」と言いつつ書き添えるようなトーンではなく、もっと柔らかく響いているような気がする。
とはいえ、イスラエルが得意げにレインボーフラッグを掲げつつ、自国民には同性結婚を認めていないという事実を指摘することは、イスラエルが「人道性」を都合よく利用しているということを指摘することに他ならないわけで、レイ氏のこのツイートにはその趣旨でのリプライが多くついている。
そのひとつ:
Even if they were the most pro LGBTQ country, it could never wash the blood off their hands.
— Miss Kay (@KayKay_84) 2022年5月31日
はい、みんな大好き《仮定法過去》。美しく教科書通りの文例だから、特に解説はいらないだろう。あえていえば、if節がeven ifの節になっていることで訳しにくいと感じられるかもしれない。これは《強調》のevenで「たとえ~であっても」くらいのニュアンスである。
後半(主節)の主語の "it" は、何か具体的なものを指す代名詞ではなく、そこまで述べたことを「そのこと」として指す用法である。
あ、あと「イスラエル」という国がtheyという複数形の代名詞で受けられているのが不思議に思われるかもしれない。これはおそらく英米差の問題で、米国ではitで受けるところを英国ではtheyで受ける(これ、英訳する実務系翻訳者にとって問題になりうるところで、クライアントが米国英語なのか英国英語なのかを確認して、使い分けなければならないことが多い)。スポーツのチームなどについても同様で、米国では単数扱い、英国では複数扱い、ということは一般的な新聞記事などでもよく遭遇する。
というわけで、ツイートの文意は「たとえイスラエルが、LGBTQに対して最も支援のあつい国であるとしても、そのことは決して、彼らの手から血を洗い流すことはできない」。
「手から血を洗い流す」というのも一種の慣用表現ではあるが(「罪は消えない」といった抽象的な意味で用いられることがある慣用表現である)、実際にイスラエルという国家が人を殺している(「ガザからロケットが飛んできたので空爆した」みたいな、日本の新聞社までもが張り切って書き立てるような事態でなくても、連日、イスラエルはパレスチナで人を殴打し、銃撃し、殺害し、家屋を破壊し、人を逮捕している)という事実があるのだから、ただの慣用表現、暗喩とは扱えない。非常に生々しい表現である。
そして、ケイ氏のこのツイートに対するリプライが:
Human rights is not a buffet.
— Elma Selmanovic (@ElmaSelmanovic) 2022年5月31日
「人権はビュッフェではない」。
これはうなった表現。
「ビュッフェ」というのは、日本語で言えば「バイキング(形式の食事)」で(最近は日本語でも「ビュッフェ」で通じるようになってはきているが)、つまり「たくさんの種類が並んでいる中から、自分が欲しいものだけを好きなように取ってこれる食事」なのだが、これを暗喩として非常に効果的に使っているわけだ。
具体的に説明すると、例えば、ホームレスの人たちのテントを撤去して、そこで寝泊まりしていた人々を追い出した公園に、レインボーフラッグのモニュメントを立てて、その前で同性カップルの権利を認めます的な記者会見をして「この町は人権重視です」とアピールすることはできない、といったことになるだろう。
イスラエル/パレスチナの場合は、これはよりstarkな対比となる。
海岸線に沿ってずらりとレインボーフラッグを立ててあるテルアビブに代わってイスラエルが勝手に「首都」と呼んでいる、実は国連の永久信託統治下にあるはずのエルサレムでは、昨日もまた、こんなことが行われていたそうだ。重機が取り壊しているこの家屋は、現住家屋(現に人が住んでいる家)である。しかも、ここは、イスラエルの管理下にないはずの東エルサレムだ。
Israeli authorities demolish a Palestinian’s house in Isawiya town, Jerusalem. pic.twitter.com/bOu9qw2oxF
— TIMES OF GAZA (@Timesofgaza) 2022年6月1日
第二次世界大戦後の1947年に国際連合のパレスチナ分割決議において、パレスチナの56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家とし、エルサレムを国連の永久信託統治とする案が決議された。この決議を基にイスラエルが独立宣言をするが、直後に第一次中東戦争が勃発。1949年の休戦協定により西エルサレムはイスラエルが、旧市街を含め東エルサレムをヨルダンが統治することになり、エルサレムは東西に分断された。1967年6月の第三次中東戦争(六日間戦争)を経て、ヨルダンが統治していた東エルサレムは現在までイスラエルの実効支配下にある。イスラエルは東エルサレムの統合を主張しており、また、第三次中東戦争による「再統合」を祝う「エルサレムの日」を設けている(ユダヤ暦からの換算になるため、グレゴリオ暦では毎年変動がある。2010年は5月12日が「エルサレムの日」であった)。
イスラエルは東エルサレムの実効支配を既成事実化するため、ユダヤ人入植[注釈 1]を精力的に進めており、2010年時点で入植者は20万人を超える。イスラエルは今後の数年間[いつ?]で、先の1600戸を合わせ5万戸の入植を計画している。一方、エルサレム市当局は、パレスチナ人の住居が無許可であるとの理由で、しばしばその住居を破壊している。
※4200字。このトピックに関しては、襲撃事件などにも言及すべきなのだが、文字数的にそこまではカバーできなかった。ウィキペディアをご参照いただきたい。