Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

Twitterがイーロン・マスクのものになったのが嫌だからって、ジャック・ドーシーに今、何を期待できるというのだろう?

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今日は土曜日なので、過去記事の再掲をするのが常だが、週明けまで寝かしておいたらもう古すぎて目も当てられなくなっているであろう話題について書いておかねばと思うきっかけがあったので、新規で記事を立てることにした。

広く報道されている通り、テスラのイーロン・マスクTwitterのオーナーとなった。11月8日には上場廃止になる見込みで、Twitterという巨大なプラットフォームは、マスクという個人が全面的にコントロールすることになる。

www.bbc.com

マスクはTwitterを自分のものにしてすぐに、パラグ・アグラワルCEOをはじめ、これまでの経営陣をクビにした。また、実際に買収する前に、現在の社員の75%を解雇するとも告知している。

正式な買収発表が為される前に、マスクはTwitter社に流し台(シンク)を抱えて乗り込むというパフォーマンスを行った。英語の定型表現、"Let that[this] sink in." (「それを沈み込ませろ」=「そのことを受け止めて、心の中に沈み込ませろ」→「現実は現実としてしっかり受け止めろ」の意味)のsinkを、動詞の「沈む」ではなく名詞の「流し台」であるように読み替えて、「この流し台を中に入れさせろ」という意味に見せるダジャレである。デーブ・スペクターさんも真っ青になる寒さがTwitter社を襲ったわけだが、実際にマスクの流し台来襲を受けたTwitterの社員としては、「もうすぐクビにしてやると脅している相手からおもてなしを受けるのは、楽しかったですかね」とも言いたくなるのが当然だ(そういう発言が誰かのリツイートで流れてきたのを見たのだが、どこかに行ってしまった)。

このダジャレには、最近マスクから手ひどい裏切りを受けたウクライナからは、ユーモアによる反撃があったようだ。

さて、マスクはTwitterを買収するぞ買収するぞと何か月も言い続けてきたわけで、いろいろあっての買収実現なのだが、その間、「もしも自分がTwitterを買ったら」という仮定の話をいろいろしていた。その根幹が「自分は言論の自由絶対主義者なので」みたいな(非常に軽い調子での)発言にあらわされている思想で、つまり言論の自由は何によってもおかされることがあってはならない、Twitterのような言論の場にはモデレーションなど不要だ、ということなのだが、それは今の世界では文字通りに(例えば「ヴォルテールの言葉」とされているものの意味で)受け取ることはほとんどできなくて、「お前らは黙れ、俺たちに喋らせろ」という意味である。ここでいう「お前ら」は「リベラル」で、「俺たち」はその「リベラル」に弾圧されてきたのだという自認がそこにはある。実際には、弾圧されてきたわけではなく単に人気がなかったり、あるいは犯罪や違法行為と深く結びついているので表に出せなかったりしているのだが、そういうことをああいう人たちは「検閲 censorship」と認識している。

米国での「自由」の概念は、「政府、特に連邦政府からの自由」を意味することが多い。「リベラル」を「体制」として嫌悪する*1リバタリアンは、連邦政府のやることはすべて悪、という思想をも抱いている。その連邦政府を内側からブっ壊そうとしたドナルド・トランプは、ああいった人々からは英雄視されていたりもする。イーロン・マスクは、そのトランプ――現在のTwitterからは、2021年1月6日の暴動の際に「暴力行為の呼びかけをした」との理由で、追放されている――をTwitterに復帰させることをほのめかしている。現時点ではトランプのアカウントに動きはないが、つい先日、反ユダヤ主義発言でアカウントを停止されたカニエ・ウエストはもうアカウントが復活しているようだ。

そんなふうだから、非常に多くの人々がTwitterをやめてよそに移ることを考えるのは当然だ。私の相互フォローの人(アメリカ人)も何人かが去っていった。マスクのような人間を相手にすれば精神的にabuseされた状態になることはわかりきっている。去っていった人たちはそれを嫌っている。Twitterをやめても、その人たちにはその人たちの場があるのだから、Twitterで遭遇できなくなるのは寂しいけれど、それはそれでよいと思う。

一方で、ここにきてTwitter創業者のジャック・ドーシーが新たに立ち上げるというソーシャルメディア、Blueskyへの期待を表明する人たちが、私の見ている範囲では、なぜか日本語圏にだけ、突出して多い。それも「リベラル」な傾向の人たちの間で。

私はもはや、ドーシーに期待しようとは思わないのだが。

↑このツイートについているTwitterCardの画像内に@jackがイーロン・マスクの発言を引用しているのが入っているが、イーロン・マスクの言う "inclusive" は、みんなで砂場で砂のお城を作って楽しく遊んでいるときに、それを踏み潰す奴を入れるのがinclusiveである、ということである。そんなのはinclusiveではない。破壊だ。日本ではU NEXTで見られるようになっているドキュメンタリー「Q into the Storm」の中で、8chanを創設したフレッドが、遅まきながらようやくそれを悟った、ということを言っていたのだが、マスクはフレッドのように考えることはなさそうだ。

 

ジャック・ドーシーが立ち上げようとしているらしい新しい(プラットフォーム←すみません、単純な書き間違いプロトコル、Blueskyについて: 

Jay GraberはBlueskyの中の人(たちのひとり)。要するに、いま旬のワードをちりばめてその中身も精査せずにメディアが記事を書きたてているわけだ。

こんなん、中の人がドーシーでなくたって「はいはい」って反応するのがよいのではないかと。

 

 

※英文法なし。後で付け足すかも。

 

 

 

*1:ここ、よくわかんないんだよね……アメリカはなぜこうもねじくれてしまったのか。

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