Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

英語の文章の書かれ方(トピック文とサポート文の構造の応用), not ~ because ..., など(ドイツ代表の「口ふさぎ」へのガーディアン紙の評価)

↑↑↑ここ↑↑↑に表示されているハッシュタグ状の項目(カテゴリー名)をクリック/タップすると、その文法項目についての過去記事が一覧できます。

今回は、前回文字数を使い切ってしまったため積み残しにしていた論説記事を見てみよう。前置きは前回のエントリをご参照のほど。

記事はこちら: 

www.theguardian.com

記事を書いたSean Ingle記者は、ガーディアンのスポーツ部門のチーフで、大会の現地カタールに行って仕事をしている。

記事の書き出し部分は、ガーディアンらしいといえばらしいのだけど、「フットボールにおいては時として、人生においてと同様に、実力通りの結果が出せないことがある」と、何やら壮大な始まり方をしている。わかりやすく「ドイツが押していたのに負けた」「スタッツを見ただけでドイツが負けたと結論できる人はいないだろう」みたいな書き方をしてくれていればよいのだが、あいにくそうではない。

ここで嫌になって記事を読まずにウィンドウを閉じることもできるのだが、こういうふうに書き出しが難しすぎてわからない記事は、ほぼ必ず、後続の部分でわかりやすい説明が続いているので、諦めずに、流し読みするという対応がよいだろう。

実際、この記事ではその次は:

We might otherwise now be lauding Germany for defying Fifa before beating Japan in their World Cup opener.

とあり、otherwiseで《反実仮想》を表す感じで、「(常に実力通りの結果が伴うのだとしたら)今ごろ私たちは、W杯の最初の試合で日本に対して勝利を収める前にFIFAの指示に堂々とNOを突き付けたことでドイツを賞賛しているただなかにあったかもしれない」ということを述べている。

これでもまだ難しいよね。うん。これがガーディアンの文体。というか、「クオリティ・ペーパー」と呼ばれる新聞のスポーツ報道はだいたいこんな感じ。

それに続く部分が: 

Instead, after an upset that resembled Hokusai’s The Great Wave off Kanagawa in its force and magnitude, the sniping from the critics quickly began.

日本代表の試合っぷりを、世界的に有名な北斎の「神奈川沖浪裏」にたとえていて、なんだか楽しいな、オイ、という書きっぷりである。

ここまでが第一パラグラフで、その次のパラグラフ: 

There was a common refrain after Germany’s 2-1 defeat: that they had paid the price for being too distracted by daring to stick up for human rights. As one Qatari reporter’s account, liked more than 200,000 times on social media, put it: “This is what happens when you don’t focus on football.”

ここはざっと流し読めばわかるのではないかと思うが、要は、日本語圏で「反西洋」的なイデオロギーオクシデンタリズム)での高揚感を味わっている人々が、試合に負けたドイツ代表をバカにしたように言っているのと同じような見当違いの批判(「人権なんかにかまけて試合に集中していないからこうなるんだ」というもの……「人権」はすべての基礎なのにね。「水の確保にかまけて農業に力を入れないから作物がとれないんだ」とは言わないでしょう)は、日本だけのものではない、ということである。実際、ドイツでの報道を英語にしてツイートしている人がそれを批判的に伝えているのを見たが、どのみち、今回の大会はドイツでは多くの人がボイコットしているし、そもそも欧州での冬の期間にスポーツ大会をやられても盛り上がれないという雰囲気も濃厚で、どうなんだろうね。実際のところ、ムード的に欧州はそれどころじゃないという話もある(エネルギー危機)。

というわけで、カタールの記者が「もっとサッカーに集中すべき」みたいなことを言っていることについて、ガーディアン記者は次のように言う。

It reeked of schadenfreude. It stank of scoreboard journalism. And it was also plain wrong, on multiple levels.

"reeked of ~", "stank of ~", どちらも「~臭がした」という表現である。 "schadenfreude" は、最近日本語でも「シャーデンフロイデ」というカタカナ語で見るようになったが、ドイツ語から英語に入った(英語にとっての)外来語で、もちろん、ドイツについての話をしているからよけいに効果的に響く。

そのあとの "scoreboard jounalism" という表現は、意味がわかるような気もするがはっきり確信が持てないのでそのままウェブ検索してみると、ちゃんと解説が出てくる: 

Scoreboard journalism means basing your judgement solely on the outcome of a race or game rather than the processes within.

Scoreboard journalism (Revenge Mark Cavendish-style) |

つまり、「試合の内容は無視して、結果(スコア)だけを見てあれこれ判断して物を書くこと」といってよいだろう。

私は今大会はボイコットしているので試合は全然見ていないのだが、漏れ聞くところによると、「日本はよくあれで勝てたな」という内容だったようだ。ドイツの立場では「押していたのに勝ちきれなかった」ということだろう。

そういう試合の評価と、一方的に点を取られて負けた試合の評価とは異なるのが自然だが、2-1という結果しか見ない立場からはどちらも同じ、ということになる。ガーディアンの記者はここで、そういうのに極めて批判的な態度を示している。

その、筆者の判断・考えの根拠を示しているのが、その次のパラグラフだ。この文章の流れ(「トピック文」と「サポート文」の構造がパラグラフで展開されている)を、今回は味わっていただきたい。

私はこの記事を読んで、「お約束」が全部押さえられている気持ちよさ、ある種の様式美を堪能したのだが、それは「具体的な事例」→「筆者の批判」→「筆者の批判の根拠」という流れがきれいに決まっているからだ。

Germany did not lose because their players put their hands over their mouths to signify that they had been gagged by Fifa. Or because they wore rainbow-coloured boots. Or because their interior minister wore a OneLove armband while sitting next to the Fifa president, Gianni Infantino.

まず、ここにある構造は、《not ~ because ...》である。これは「…という理由で~なのではない」という意味。

【書きかけ】