今回の実例は、正体を明かさず活動しているアーティストが、国際法に違反したコンクリート壁に分断されたキリスト生誕の町に捧げた作品についての記事から。
意外と知られていないかもしれないが、イエス・キリストが生まれたという町、ベツレヘムは、パレスチナにある。ヨルダン川西岸地区だ。そしてヨルダン川西岸地区は、ガザ地区のように完全に包囲・封鎖はされていないにせよ、イスラエルによって、かなりひどいとしか言いようのない形でいろんな方向で制限を受けている(などという表現では全然足りていないのだが)。パレスチナというとイスラム教というイメージがあるかもしれないが、それはイメージだけで、キリスト教徒のパレスチナ人も少なくない。日本のように宣教師がやってきて布教したのではない。元々、イエス・キリストはこの土地の人だったのだから。
ベツレヘムのクリスマス・イヴについては、数年前に現地報告を記録したページを作成した。
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イギリスのブリストル出身のアーティスト、Banksy(バンクシー)については、近年、東京など日本でもその「作品」をめぐる狂騒曲が繰り広げられ、メディアも大騒ぎするようになってきたので、説明は不要だろう。アーティストとしての芸名からおそらくBanksさんという名字ではないかと言われてはいるが*1、彼は顔も本名も生年月日も明かしていない。男性であることはわかっている。1990年代から都市の壁などにステンシルとスプレー缶で「作品」を描いてきたグラフィティ・アーティストだが、そのウィットに富んだ作品が町の風景の中で抜群の存在感を放ち、2000年を過ぎてどんどん注目されるようになって、ここ10年くらいは完全に「大物アーティスト」のようになって、作品はオークションハウスで取り扱われ、ものすごい額で落札されるなどしてはBBC Newsで報じられている。元々は街角の落書き小僧だったのに、今ではエスタブリッシュメントが「彼は経済的価値を持った存在だ」と認めている。
彼は一貫して「抵抗」、「異議申し立て」をベースにした作品を描き続けている。下記の作品集 "Wall and Piece" は比較的早い時期の作品の集大成と呼べるものだが(日本語版が出たのは遅かったが、原著は2007年)、この書籍タイトルは "Wall and Peace" のもじりである。
この作品集が出されたころにwallとpeaceと言えば、即座に連想されたのが、イスラエルがヨルダン川西岸地区(パレスチナ自治区)内に食い込む形で無理やり建設した分離壁である。この「分離壁 separation wall」(国際司法裁判所の用語)は、英語圏のメディアの多くは「分離バリア separation barrier」と呼んでいるが、barrierも結局はwallと同じことだし、本稿での訳語は「分離壁」に統一する。ちなみに当事者のイスラエルはこれを「フェンス」と呼んでいる。そういったことは英語版ウィキペディアで確認できるので、各自ご参照いただきたい。これが「フェンス」と呼べるものかどうかは、どう見ても微妙なところだ。
イスラエルとしては、このwall/barrier/fenceは、「イスラエルの平和 (peace) を守るため」のものだが、その説明を額面通りに受け取ることはとても難しい。まともに地図を見ることができる人なら誰もが、「いや、その説明はおかしい」と言わざるを得ないような場所に作られているのだ。実際、国際司法裁判所は2004年にこの壁について「違法」と判断している(ただしこの判断は法的拘束力はないので、それから15年を経過した今も壁がそのままだ)。
この壁に、Banksyは絵を描いた。2005年、今から14年も前のことだ(→当時の拙ブログ記事)。
パレスチナに対する彼の関心は一過性のものではない。2007年には、やはりベツレヘムに、現在でも観光資源となっている一群のミューラル(壁画)を描いていった。2015年2月には、イスラエルによる大規模な攻撃を受けたばかりでめちゃくちゃに破壊されていたガザ地区に入り、がれきと化してしまった家屋の壁にかわいい子猫の絵を描くなどした。「普段はパレスチナに無関心な世界の人々も、猫が描いてあれば見るんでしょ」という主旨でもあり、猫が好きなパレスチナの人々(特に子供たち)への贈り物でもあった。
そして2017年3月には、ベツレヘムの、分離壁からわずか数メートルのところにある建物を(ウォルドーフ・ホテルならぬ)「ウォールド・オフ・ホテル Walled Off Hotel」として改装・開業。このホテルには世界中からBanksy好きが訪れ、それによって壁に分断され経済的に発展する余地すらも奪われているベツレヘムの町に、キリスト教の聖地巡礼とはまた違った層の観光客を呼び込み、同時にこの町のさらされている苦境を多くの人に知らしめている。
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そして2019年のクリスマス、Banksyはこの壁際のホテルに、新たな作品を設置した。今回は立体作品で、クリスマスの時期の伝統的なモチーフを扱っている。イエス・キリストの降誕(英語ではThe nativity of Jesus Christ)だ。
キリストの降誕の場面は、視覚芸術では、聖母マリアとその夫のヨゼフ、かいば桶に寝かされた幼子イエス、動物たち(ロバとウシ)によって描かれるというお約束がある。これに加えて、神の子の誕生を告げる星(「ベツレヘムの星」。この星に導かれて東方の三賢者がイエスの元にやってきた。クリスマス・ツリーのてっぺんに飾るのもこの星)と天使もよく描かれる。今回のBanksyの作品もこの伝統にのっとっている。ただし、マリアとヨゼフとイエスがいるのは小屋の中ではなくあの分離壁の前で、3人の上にあるのは輝く星ではなく、星のような形をした砲弾痕だ。壁には消えかかった文字で、「愛」「平和」という言葉が、英語とフランス語で書かれている。作品のタイトルは、The Star of Bethlehem(ベツレヘムの星)ならぬ、The Scar of Bethlehem(ベツレヘムの傷痕)。
この「新作」のことは、21日から22日に各メディアで一斉に記事になった。今回実例として見るのはガーディアンの記事。記事はこちら:
www.theguardian.com
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