今回の実例は、功績のあった人物の訃報に際して出されたオビチュアリー (obituary) から。
「オビチュアリー」は、日本語では「死亡記事」や「訃報記事」などと訳されていることが多いが、そういわれるとちょっとイメージが違う(そのためここではカタカナ書きで「オビチュアリー」としている)。日本語の報道の文脈では、「死亡記事」というと、単に誰か功績のあった人物が死去したことを報道し、告別式の日程・場所などについて告知するための淡々とした短い記事という色が濃い。超著名な文筆家である田辺聖子さんのように、比較的長い記事が出る場合も、作品名が淡々と羅列された事典的な記述に終始するのが日本語での報道の「死亡記事」のお約束だ。
英語での「オビチュアリー」はそういうのとは違う。そういった死亡の事実の告知と故人の功績のざっくりとしたまとめを目的とした記事ももちろん出るのだが、「オビチュアリー」はそれ以上に、たっぷりと文字数を使い、故人の生涯を振り返るための文章と言える。もちろん文章としては「読者に無理なく読ませる」タイプの文章が多く、英語でのライティングを勉強するときは、過去に起きたこと(事実)に関するたくさんの情報の記載の仕方お手本のひとつとして参照されることもある。
オビチュアリーは、それを専門とする記者(ライター)が書いていることもあるが(20世紀ならともかく、現代では「それを専門」としている人はあまりいないかもしれないが)、故人をよく知る立場にある人が書くこともある。政治家なら同僚や番記者、映画監督なら何度もインタビューしている評論家や映画記者、といったように。
ちょっと極端な例だが、英保守党支持者のための新聞として名高いデイリー・テレグラフのマーガレット・サッチャーのオビチュアリーは、全10章立てで、本が1冊できそうな勢いだった。ちなみに、私は全部は読んでない(抜粋だけは読んだ)。
「オビチュアリー」はこういうものである。つまり、読むのにそれなりに時間がかかるし、故人について予備知識が何もないと読むのがきついかもしれない。むしろ「この人のあのエピソードはどこに書いてあるかな」と予期しながら読み進め、故人の生涯を書き手と一緒に振り返るというタイプの文章である。
というわけで、前置きが長くなったが、今回の記事:
Ivan Cooper(アイヴァン・クーパー)は、北アイルランドが「紛争」になる前の「公民権運動」の時期に、デリー(/ロンドンデリー)の公民権運動を牽引したリーダーで、のちに武力紛争を支持せず「二級市民」のカトリックの権利獲得を求めた政党SDLPの設立者の1人となった政治家である。クーパー自身はプロテスタントで、したがって「自分たちの権利の獲得」を訴えたわけではない。本当に「平等」を訴えた人である。
クーパーは1972年1月30日の公民権要求デモの主催者で、このデモの非武装の群衆に対し英軍が発砲してその場で13人を殺したときもデモ隊の中にいた。「血の日曜日(ブラディ・サンデー)」と呼ばれるこの事件は、北アイルランドを「紛争」の方向に一気に傾ける決定的な契機となった。
「ブラディ・サンデー」事件については過去に何度も書いているが、例えば下記をご参照のほど:
「ブラディ・サンデー」事件の現場にいた人々の証言に基づいて「ドキュドラマ」の手法で作られた2002年の映画『ブラディ・サンデー』(ポール・グリーングラス監督)では、クーパーが視点人物の1人として描かれる。演じているのは、クーパーと同じくプロテスタントの出自の俳優、ジェイムズ・ネズビット(この映画まではコメディの俳優として知られていた)。
※映画はYouTubeで日本語字幕付きがレンタルできる。見たい方は、上記予告編からYouTubeのページに飛んでください。
アイヴァン・クーパーのオビチュアリーには、当然、こういったことが綴られている。特にBBCは「永遠にブラディ・サンデーと関連づけられている公民権運動指導者」と、オビチュアリーの見出しに書いている。
"Before Bloody Sunday, I believe there were no more than 30 to 40 IRA volunteers in Derry. They had a very small base, small amounts of hardware and, most importantly, very little support," he said in a BBC interview 30 years later.
英語では no は「ゼロ」を表す。したがって、《no more than ~》は「~よりもゼロだけ多い」ということになり、普通にわかる日本語にすると「せいぜい~」、「たかだか~」とか「たったの~」ということになる。英語で言い換えるならonlyだ。
注意したいのは、「紛らわしい構文」としてよく参照されているno more ~ than ...の構文との違いだが、それをここで詳しく書くと逆に混乱を招くだけのような気がするので、書かずにおこう。「それって何だっけ」と思った方は、各自参考書や文法書をご参照願いたい。
また、上記引用部分で太字にした2番目の個所のlittleは「ほとんどない」の意味の否定語で、very littleとなると《否定》の意味がより強くなり、日本語にするなら「ほぼ皆無」とか「まるで存在しない」のような感じになるだろう。
ここで紹介されている事件から30年後(2002年)の言葉で、アイヴァン・クーパーは「ブラディ・サンデー事件の前は、デリーにはIRA義勇兵(IRAのメンバー)はせいぜい30人か40人しかいなかったと思います。拠点はとても小さなもので、武器(ハードウェア)も少ししかなく、何より重要なことには、(人々からの)支持はまるでありませんでした」と語っている。
しかし、ブラディ・サンデー事件で、非武装の、IRAでも何でもない人々が、逃げていくところを背中から撃たれるのを目撃したデリーの若者たちは、事件後にこぞってIRAに入った。平和的なデモに参加しても、変化をうながすどころか、背中から撃たれるだけだと考えたのだ。それならば、武器を手に取って抑圧者と戦おう、と。
映画『ブラディ・サンデー』のラストシーンは、事件直後の公民権デモ主催者による記者会見でのアイヴァン・クーパーの次の言葉(実際の発言)で締めくくられている。
The words of peacemaker Ivan Cooper on Bloody Sunday, January 30, 1972.
— John Laverty (@JohnCharlesLave) June 26, 2019
RIP. pic.twitter.com/2CGuw5E4Et
なお、オビチュアリーと、死去を報じる報道記事との違いを確認したい方は、下記を参照。こちらが死去を報じる報道記事で、今回は、故人が設立した政党SDLPの現在の党首のコメントなどが盛り込まれている。
ちなみにU2のSunday Bloody Sundayは、「この状況でも戦いの呼びかけには応じない(武器を取らない)」という決意の歌であり、バトルソングではない。
Broken bottles under children's feet
Bodies strewn across the dead end street
But I won't heed the battle call
It puts my back up
Puts my back up against the wall
U2 - Sunday Bloody Sunday (Official Video)