今回の実例は、ベテランの報道記者が自身の体験を回想して書いた文章より。トピックは、前回と同じく、1972年7月21日のブラディ・フライデー(血の金曜日)事件だ。事件については、前回のエントリを参照されたい。
長くガーディアンとその日曜版であるオブザーヴァーでアイルランド(北アイルランド)特派員として重要な仕事を多く残したあと、昨年からベルファストのニューズレター紙で政治エディターを務めているヘンリー・マクドナルド記者は、ベルファスト出身で、「紛争」とともに成長した世代のひとりである。ジャーナリストとしては、「紛争」の当事者となった北アイルランドの2つの勢力双方の武装勢力を徹底取材して何冊も本を書いているようなガチな仕事っぷりだが、そのマクドナルド記者が今回、ブラディ・フライデー事件から50年を迎えるにあたり、自身の個人的な体験を書いている。
ベルファストの街が、1時間ほどの間に20件を超える爆発にさらされたあの金曜日の午後、7歳だった彼は、2歳年上の友達と、「ドロケー(ケイドロ)」のような遊びに興じていた。まさに映画『ベルファスト』で描かれていたような、紛争の中の子供たちの幸せな日常の時間だったことだろう。
記事はこちら:
記事は、予備知識がないとちょっと読みにくいかもしれないが、ある程度英語が読める人ならば、わからないところはわからないなりに飛ばして、先へ先へと読み進んでいく、という読み方の練習ができるのではないかと思う。英語は、平易なように見えて、平易とは言えないかもしれない文体だが、落ち着いて構造を取っていけば自力で読めるだろう。
ヘンリーと友人のオーウェンは、ベルファスト中心部(インナーシティ)の「マーケット地区」で育った。ベルファスト市庁舎のすぐ東側の一帯だ。ヴィクトリア時代に開発された地域で、Google Street Viewで見ると今はかなり新しい建物に建て替わっている通りも多いが、1972年ごろは19世紀のままの街並みが残っていたという。
その街は、「紛争」の現場だった。子供たちがサッカーに興じている通りを見下ろすガスタンクに上ったロイヤリスト武装勢力のスナイパーが、子供たちが遊んでいる通りに銃弾を降らせたこともあったという。
そんなことも日常の一部になっていたが、50年前の7月21日に起きたことは、それまでの経験とはまるでレベルの違うことだった、とヘンリー(記者)は回想している。
若干ネタバレ的になるが、結論からいえば、遊んでいた場所の近くでボムが爆発したが、ヘンリーとオーウェンは爆発に巻き込まれたわけではない。それでも、ちょっとだけお兄ちゃんだったオーウェンは、心に深い傷を負うことになる。
記事の一番最後の部分から(キャプチャの画像部分は加工してある):
最初の文が切れてしまっているが、全文は下記のようになっている。
爆発音がして、鼻を刺すような煙が漂ってきたので、オーウェンは様子を見に行った。戻ってきた彼は泣いていた。そして……:
He kept going on about seeing a man with no foot lying on the ground in the bus station. He was shaking.
この文、英語を意味からではなく、形(構文)からだけで読もうとするクセがついてしまっている人は、太字にした部分が浮き立って見えて、「なるほど、付帯状況のwithの構文で、現在分詞を伴っているんですね」と思い込んでしまうかもしれないが、そう解釈すると「どの足もlieしていない状態で」となって、意味が成立しないことがわかるだろう。
ここは、"a man with no foot / lying on the ground" という意味の区切りになっており、全体としては《see + O + -ing》(感覚動詞+O+現在分詞)の構文だ。つまり、この文は、「足のない人が、バス・ステーションの地面に横たわっているのを見たことについて、ひたすら喋った」という意味になる。
そして画像(当時の報道写真)を挟んで、次の文:
In the years after the atrocity Owen never joined a riot let alone any paramilitary organisation.
この《let alone》については、当ブログではすでに何度か取り上げている。「~ない。ましてや…などない」という意味を表す構文を作るフレーズだ。
【以下書きかけ】
I often wonder if the horror he witnessed directly on Bloody Friday had anything to do with that.