今回の実例は、少々変則的に、書籍から。
1月24日、北アイルランドの紛争後の政治で極めて重要な役割を果たしたシェイマス・マロンが、83歳で亡くなった。
「北アイルランドのナショナリスト(カトリック側)」というと、日本ではほとんどの人がシン・フェインとIRAを想起して、「シン・フェインこそがナショナリストの代表」と思い込んでいることすら珍しくないのだが、実際には、21世紀に入ってからシン・フェインがのしてくるまでは、北アイルランドのナショナリストを代表する政党は、SDLPだった。
SDLPは北アイルランド紛争が紛争化する前、1960年代後半に盛り上がっていた公民権運動の中から生じた政党で、人権重視の社会民主主義政党だが、北アイルランドの文脈では「暴力反対」の立場と説明するのがよいだろう。つまり、「暴力によって目的を達すること」を是としたばかりかそれを追求したリパブリカン・ムーヴメント(=シン・フェイン)とは根本的に対立する考え方だ。そして(いろいろはしょるが)、紛争の間中、ナショナリストの人々の最大の支持を集めていた政党は、SDLPだったのだ。
最終的には、この暴力否定派のSDLPが暴力肯定派のシン・フェインを政治的対話の場に引き入れた(受け入れた)ことで、1990年代の和平が進展したのだが、それに際して、SDLPの中では非常に激しい反対論があった。「シン・フェインと話などすべきではない」というその立場の代表的な人物が、シェイマス・マロンだった。
マロンは、後にノーベル平和賞を(ユニオニストのデイヴィッド・トリンブルと共同で)受賞することになったSDLP党首(当時)のジョン・ヒュームの、リパブリカンに対する、いわば宥和的な姿勢に異を唱えていたが、1998年のグッドフライデー合意成立後は、この合意によってスタートしたユニオニストとナショナリストの権限分譲による北アイルランド自治政府で、自治政府を率いるファーストミニスター&副ファーストミニスターのペアの片割れとして、アルスター・ユニオニスト党(UUP)のデイヴィッド・トリンブルとともに行政のトップを務めることになった。
……とまあ、そういう人なんだけど、詳細は上記の私のブログとそのリンク先である私の連続ツイートのまとめを見ていただくとして、そのマロンが最後に語り残したことが、2019年5月に回顧録として出版されていた。訃報があったときにこれに言及したツイートが何件もあった。
その結びの言葉が https://t.co/4czwQ4VI6a 「みなさんとともにしてきたこの世を去るときも近い私ですが、この古いギリシャの諺に安らぎを覚えています。『この木が大きくなって作る木陰に自分たちが座ることはないだろうなとわかっていながら老人たちが木を植えるとき、社会はすばらしくなる』」
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年1月24日
今回の実例はその本から。Amazon Kindleで900円くらい、楽天KOBOでは700円足らずなので、興味のある人は買ってみてほしい。
Seamus Mallon: A Shared Home Place (English Edition)
- 作者:Seamus Mallon
- 出版社/メーカー: The Lilliput Press
- 発売日: 2019/05/17
- メディア: Kindle版
「本から」などと言うと難しく聞こえるかもしれないが、実例としてみるのは、今年のセンター試験で出題された文法項目の、とてもシンプルな例だ。
この本の最後の章、14. Is Ireland Ready for Reunification? より:
このキャプチャ画像に収まる狭い範囲に、《人》について用いる関係代名詞whoの目的格である "whom" が2か所出ている。
最初のは:
... the unionists, whom they usually ignore
コンマを伴った《非制限用法》で*1 、関係代名詞を使わずに書けば、"..., and they usually ignore them (= the unionists)" という形になる。
ignoreの目的語だから、人称代名詞は目的格でthemであり、それが関係代名詞になるのでwhomを用いている、と考えてよい。
もちろん、whoは目的格として使うこともできるので、ここもwhomではなくwhoでもよいのだが、筆者がここでwhomを使っているということに注目したい。
そんなに大げさな話ではないが、根拠の不確かな「英文法不要論」の立場からは「whomなんてネイティヴは使わないんだから教えなくてもよい」という極論さえ出ているわけで、そういうデタラメに対抗するためにも実際にネイティヴ(シェイマス・マロンはアイリッシュで英語は母語話者だし、共著者として原稿を形にしたアンディ・ポラックも英語の母語話者である)が使っている例を示しておくことは、ある程度は意味のあることだろう。
次の例:
You find this simplistic view particularly strongly held by left-wing people in Britain and Irish-Americans, none of whom, of course, have ever experienced the actual violence in the North.
こちらは今年のセンター試験と同じ、《前置詞+whom》 の用例だ。文法的なことは先日解説したので、そちらを見ていただきたい。
hoarding-examples.hatenablog.jp
文意は、「この単純な見解は、ブリテンの左翼の人々やアイリッシュ・アメリカンによって、特に強く抱かれているのがわかるだろうが、もちろんこれらの人々の誰一人として、(アイルランド)北部における実際の暴力を経験していないのである」。
「この単純な見解」はすぐ上の文で述べられている、「暴力は、アイルランドから英国のプレゼンスを除去するための正当な方法である(という見解)」のことで、これはシン・フェインがずーっと宣伝してきた言い分で、実際、労働党左派にはこれを信じている人が多い(ジェレミー・コービンはそのひとりだった。彼は北アイルランド紛争中にシン・フェインのジェリー・アダムズやマーティン・マクギネスをロンドンに招いた労働党の政治家たちの1人だ)。アイリッシュ・アメリカン(アイルランド系アメリカ人)は英国の左翼よりもっと激しくて、シン・フェインが政治的に左だということにはお構いなしで、直接的に武器を融通したりそのための資金を集めたりしてきた。とりわけアイリッシュの多いボストンで活動していた「ウィンターヒル・ギャング」のジェイムズ・「ホワイティ」・バルジャーと、もろもろ汚い癒着の世界を描いた下記の映画でも、その話がちょろっと出てくる。ほんのちょっとだけしか出てこないので見落としてしまうかもしれないが。
今日は1月30日で、48年前の1972年のこの日にはデリーで「血の日曜日(ブラディ・サンデー)」事件が起きた。それについて「今日のニュースを、とても信じることができない。目を閉じても、ニュースで見たものが脳裏に焼き付いてしまっている」と歌ったU2の曲、Sunday Bloody Sunday (1983年) があるのだが、U2が1987年11月の全米ツアーを行っている最中にIRAによる爆弾が11人の市民を殺し何十人も負傷させるというひどいテロがあった(エニスキレン爆弾事件)。事件当日の11月7日、デンヴァーでのライヴでヴォーカルのボノは、この曲をやる前に次のようにオーディエンスに語った。
少し話をさせてほしい。アイルランド系アメリカ人がよく俺に、故郷の「革命」がどうのこうのという話をふってくる。自分自身は20年も30年もその故郷には帰っていないのに、「レジスタンス」の話をする。「革命のために命を捨てるという栄光」とか――「革命」ね、クソくらえだ。「革命のために人を殺すという栄光」を語ってみろって。寝ている人をたたき起こして、妻子の目の前で撃ち殺す、それのどこに「栄光」がある? 戦没者追悼の式典で、昔もらった勲章を取り出して磨いて集まってきたようなお年寄りを爆弾で攻撃することの、そのどこに「栄光」がある? 何が「栄光」だって? 人々を死なせて、あるいはこの先ずっと身体が不自由になるかもしれない、あるいは死体になって瓦礫の下に――「革命」の瓦礫の下に、アイルランドでは大多数が望んでもいない「革命」の瓦礫だ。もうたくさんだ!
(拙訳)
U2 - Sunday Bloody Sunday (Live Rattle And Hum)
ボノのこの立場は、当時、SDLPの立場でもあった。シェイマス・マロンの立場でもあった。
リアルタイムではシン・フェインとIRAが目立ちすぎていて、このような「暴力否定」の立場のことが十分に語られていないのだが、マロンが最後に語り残していったことを語り継ぐことで、この先、語られることは変えていけるのではないかと思っている。
……と、なぜこんなことを本家のブログではなくこちらの英語実例ブログで書いているのか、自分でも混乱しているが、今日は1月30日で、少々感情的になっているので、ご容赦願いたい。
参考書:
*1:だからthatは使えない。