Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

関係代名詞の非制限用法, 先行詞を含む関係副詞, stop -ingなど(マラドーナの訃報とイングランドのナショナリズム煽動)

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さて、亡くなったディエゴ・マラドーナは、母国アルゼンチンやクラブの一員としてプレイしたことのあるナポリバルセロナでは圧倒的ヒーローであろうが、イングランドにとっては因縁の相手だ。1986年のワールドカップ(メキシコ大会)の準々決勝で、マラドーナの反則を審判が見逃したことでイングランドが敗退したとして、イングランドでは今なお怨嗟の的となっている。頭で押し込もうと飛び上がったのに出たのは頭ではなく手だった、という、いわゆる「神の手 (the Hand of God)」ゴールである。この件は下記で概略くらいはわかる。「神の手」はマラドーナ本人の言葉だ。

ja.wikipedia.org

「神の手」ゴールがイングランドで恨まれている理由は、さらに大きなコンテクストに置いて考えたほうが分かりやすいかもしれない。この4年前、1982年にアルゼンチンの沖に浮かぶ英領フォークランド諸島にアルゼンチンが侵攻したことで軍事紛争が発生し、英軍は255人、アルゼンチン軍は649人もの戦死者を出していた。この紛争は3か月ほどで終わったが、紛争以降1990年まで、両国は国交断絶の状態にあった。つまり、試合のあった1986年の時点では、イングランドにとってアルゼンチンは「絶対に負けられない」敵だった。その敵のエースが、よりによって反則行為をし、それが審判によって見逃されるという形で、勝利を奪っていった――というのが、イングランド視点での物語である。

これは、かつて英国にひどい目にあわされた世界中の国々で、半笑いを引き起こすことになった。「へえ、イングランドが『ルールを守れ、反則反対』だって。あの、イングランドが、ねえ」という感じで。

一方、イングランドでは「マラドーナの反則」が繰り返し繰り返し蒸し返され、「マラドーナといえば神の手ゴール」というのがすっかり定着している。少なくともタブロイドでは。

訃報に際してもイングランド*1タブロイドが、「神の手」にちなんでうまいこと言ってるということがTwitterで伝わってきたとき、私は口の中が苦くなるような感覚を覚えた。

 "in the hands of God" は、handが複数形であることからもわかるように、「神の両手に包み込まれて」。神の懐に抱かれているというイメージだ。これ自体は悪い言葉ではなく、むしろ、キリスト教の文脈ではよい言葉なのだが、わざわざ「神の手ゴール」の写真を持ってきている以上、よい意図で選んだ言葉だとは絶対に言えないし、そもそも編集部はそんなことは言うつもりもないだろう。

マラドーナ本人はこんなのはちょっと肩をすくめてやり過ごすかもしれない。だがタブロイドの言葉は、究極的には故人本人に向けられたものではない。それを見る(そして買う)イングランドの一般の人々に向けられたものだ。これが「ウケる」と編集部が判断したからこうなっているのだが、それは何よりまず「イングランドの外にいる敵」の存在によって自分たちが強くなると思ってしまう人々の存在を際立たせている。

これは偉大なフットボーラーの追悼ではない。イングランドナショナリズムの煽動だ。

これをやったのはミラーだけではない。

政治的にはミラーの対極にあるThe Sun. 

 芸能とゴシップだけでできているようなThe Daily Star. 

 デイリー・メイルよりさらに右でそこそこシリアスな(だが信頼はできない)媒体、The Daily Express. 

メイルは読者層が違うからだと思うが(あれを読んでいるのは女性が多い)マラドーナは無視している

そのほか、クオリティ・ペーパーはナショナリズムをここまであからさまに噴出させることなく「最も偉大なフットボーラーのひとり」を追悼しているのだが、それらはBBC Newsの「今日の新聞一面」で一覧できるようになっている (archive)。

www.bbc.com

 一応、ミラーも買った人が新聞紙の束を開いて見る、一面とは反対側の面は、変な煽りはしていないようだ。

 

 さて、名の知られた人、功績が大きかった人が亡くなったとき、英国のナショナル・ペパー(全国紙)ではオビチュアリーを掲載する。オビチュアリーというのは、以前ざっくりと説明したが、故人の生涯・業績について振り返る読み物的な記事で、専門の書き手がいるような分野の文章だ。英メディアの中では特に、デイリー・テレグラフのオビチュアリーが格調の高さや適切さで知られてきた。英語の勉強を(本気で)すると「あれを読みなさい」と勧められるような類の文章である。

そのテレグラフのオビチュアリーが、「宿敵」マラドーナではひどかったという。

最後の文――文というか、S+Vの構造がないので句だが: 

In the first paragraph, which is where I stopped reading it.

太字で示した《~, which ...》は、《関係代名詞の非制限用法》、下線で示したのは《関係副詞》で先行詞が含まれている。意味は「最初の段落で(前述したことが書いてあり)、そこで私は読むのをやめた」。《stop -ing》の形にも注目しよう(この-ingは動名詞)。

という具合に、Philippe Auclairさんが読むのをやめてしまったテレグラフの記事は有料ユーザーでないと読めないのだが、最初の1パラグラフの途中まで(ここに引用されている文まで)は読める。こちらからどうぞ。本当にこう書いてあったのでかなりびっくりした。

ディエゴ・マラドーナはもちろん聖人君子ではない。プレイヤーとしては「神の手」ゴールで印象付けられたように反則も辞さなかったし、2006年のガリー・リネカーのインタビューなどを見ると、それについて反省も後悔もしていそうにない。ピッチの外では薬物やらアルコールやらでめちゃくちゃだった。ただひたすら「すばらしい選手だった」といって済むような人物ではなかった。だから「両論併記」的に悪い点を書くのもよい。むしろ積極的にそうすべきだろう。けれども、読む気をなくさせるようなことばを羅列するのはどうなのか。

ちなみにリネカーは問題の試合でイングランドの唯一の得点を決めたストライカー。選手時代に超クリーンで全然カードをもらわなかったことで知られているくらいの人物で、南米流とはまさに対極にあるタイプだが、マラドーナのことは非常にレスペクトしているということを、訃報があったあとにスポーツ番組ではっきり示していたことはすでに書いた通りである。そのリネカーさんにして「神の手」いじりはやはりしている。 

それでも、テレグラフのオビチュアリーのように、"a liar, a cheat and an egomaniac" というひどい言葉を、その死に際してたたきつけるのは、やはり違うと思うのだ。

 

 

ちなみに、「神の手」に突破されたキーパーのピーター・シルトンは「まだ謝ってもらっていない」的なことをこの期に及んで言っていたようで、「もうちょっと高く飛んどけ」などシルトンに対する批判もたっぷり出てきている。下記のインディペンデントのフィードと、それに対するリプを参照。

 鶏サポさんだけど、ご意見ごもっともという投稿があったので引用しておこう: 

 「ピーター・シルトンもイングランドのプレスも、その他、亡くなったばかりの人の死を話題にするときに、どうしても古い反則の話をしつこく蒸し返さなければならないと感じている人々も、とにかく本当に退屈だ」。

boringはイングランドでは最悪の評価の言葉のひとつである。

 

そんなこんなで、英語圏マラドーナの訃報を見ていると、同時に「これだからイングランドは嫌われるんだよ」と思うものにも多く接するし、実際にそう発言しているものにも遭遇する。何より、イングランドの人々自身がこういうベタなナショナリズムにうんざりしている様子が見て取れる。

だが、そうでない人々も大勢いる。シルトンの発言に拍手喝采するような人が。

シルトンはBrexit支持の発言も多いらしい。

こんなところでも二極化している。

 


マラドーナの死を、イングランドナショナリズム煽動に走らずに伝えた新聞もある。

 

サムネ用: 

f:id:nofrills:20201203101337p:plain

https://twitter.com/BBCNews/status/1331726821130461189

 

 参考書:  

英文法解説

英文法解説

 

 

 

 

 

*1:UKでは「ナショナル」に展開しているメディアは「イングランド」のメディアで、私たちが「イギリスの新聞」と認識しているものはほとんどが「イングランドの新聞」である。

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