今回の実例は、Twitterから。といっても、いつもとは少し趣向を変えてみる。
アメリカ(主にハリウッド)の映画スターが、日本では独特の人気の出方をすることは、アメリカ人で日本に興味を持っている人々にとっては定番の話題のひとつである。YouTubeなどにアップされている、ハリウッドスターが出演している日本のテレビCMの映像のコメント欄で、英語話者がああだこうだと盛り上がっていることもよくある。
そういうふうな「日本での独特の人気」で知られるハリウッド・スターの代表格が、のちにカリフォルニア州知事にもなったアーノルド・シュワルツェネッガーである。彼はアメリカでは、親しみを込めて呼ばれるときは、「アーノルド」の愛称形の「アーニー」が用いられるが、日本ではなぜか「シュワちゃん」で、これは「~ちゃん」という日本語を知っている人には、とても受ける。レオナルド・デカプリオの「レオ様」もなかなかウケがよいが、「シュワちゃん」はもっとウケる。
という話で盛り上がっているのが、「アニメばかりどんなに見てたって、知ることができない日本がある」という方針で運営されているウェブサイト Unseen Japan のアカウントの下記のツイートと、それへのリプライだ。
"Shuwa-chan [the popular Japanese nickname for Arnold Schwarzenegger]'s appeal towards vaccination is on point, man!"
— Unseen Japan (@UnseenJapanSite) 2021年8月19日
Subtitle on TV: "Come with me if you want to live." https://t.co/fQO6ACE3qe
So, why is that Schwarzenegger's popular nickname? Or is it just because it's a cuter/softer sounding version of the first couple characters of his surname?
— Christian Redding (@ChristianReddi8) 2021年8月19日
One answer on Yahoo! Chiebukuro claims that famed film critic Yodogawa Nagaharu was the first to apply the nickname, although it certainly became popularized through the commercials Arnie appeared in on Japanese TV, as linked above. https://t.co/aCL6ZH2Khx
— Unseen Japan (@UnseenJapanSite) 2021年8月19日
これらのツイートの英語は平易だから、ここでお二人が何を話しているのかは解説しなくてもよいだろう。
それより、私がこの @UnseenJapanSite のツイートを見て「おお」と思ったのは、原文(日本語)が「死にたくなければ」という《否定》の形で、訳文(英語)が "if you want to live" という《肯定》の形になっていることだ。
英語では《肯定》で表すのが通りがよく、人々に訴える力が強いことが、日本語では《否定》 で表す方がよい、という例が多いのは、「言われてみればそうですね」的なことなのだが、今回の新型コロナウイルス禍でもスローガンやキャッチフレーズでよく見られる。
例えば英語の "Stay home." は、日本語では「家にいろ」と訳すより「家から出るな」とい訳すほうがしっくりくるし、実際の標語としては「外出は避けましょう」だ(ただし実際には日本では、"Stay home" をスローガンとした英米のような厳格な行動制限は導入されていないので*1、「不要不急の外出は避けましょう」という修飾語がついている)。
英語の "social[physical] distancing" は、日本語では「(人との)間隔を空けること」とも表されるし、私の行動範囲内にある食品スーパーのひとつでは「思いやりの距離」というかっこいい表現を当てはめているが、それよりももっと浸透していて通りがよくなっているのが「密を避ける」(より正確には、この場合は「密接を避ける」)という表現だ。
コロナ禍の文脈から離れても、このような、英語では《肯定》、日本語では《否定》の例はけっこうある。遭遇するたびにいちいち書き留めておけばこういうときにすっと例示できるのだが、あいにく書き留めるまではしていないし(翻訳をやる立場では、そんなことではいけないのだが)、思い出そうとしても今はちょっと思い出せないのだが……。
もちろん、「そういう例がけっこうある」からといって、「すべてがそうである」わけではない。英語で《肯定》・日本語で《肯定》の例も、英日どちらも《否定》という例も多くあるだろう。
それでも、少なからぬ場合に「日本語では否定文(『死にたくない』)なのに、英語にするときは肯定文("you want to live")にしたほうが通りがよい」ということが発生するという事実は、翻訳というものにかかわりたい人は、留意しておいてよいのではないかと思う。
@UnseenJapanSite さんのツイートには、この点に注目したリプライも寄せられている。
inb4 anti-localization “translators” claim “nuh uh it says ‘if you don’t want to die, follow me’” 😝
— Eric (@th1rtyf0ur) 2021年8月19日
このEricさんのリプライは「死にたくないなら」を "if you want to live" とする翻訳を、「ローカリゼーション(ローカライゼーション)」と位置付けている。
かつて、日本語圏では、翻訳というと「見た目は悪いが貞淑な女か、見た目はよいが不実な女か」という比喩で「原文に忠実であるか、原文から離れて読みやすさを追求するか」を両極において語ることがよくあったが、それに加えて英語圏では「どれだけ響くか」、つまりどのくらい通りがよいか、違和感なく受け入れられるかが重視されているということは、知っておいたほうがよいだろう。
まあ、これが知られてないから、日本語圏では、日本語の原文にある単語をそのまま、和英辞典などに出てくるような形で英語にしていないものについて「誤訳だ」と糾弾する、などということが、今でも日常的に起きているのだが(つい先日も、あるミュージシャンが1990年代に雑誌インタビューで自慢げに語っていた「いじめ」が、その問題を伝える英語の地の文で "torture" と表されていることについて、「いちゃもんをつけている」としかいいようのないものを見かけたのだが、ミュージシャン本人の発言を訳すときに「いじめ」を "torture" としたら行き過ぎであるにせよ、その問題について伝える記事なりツイートなりの地の文で、その地の文の筆者が「これは "bullying" というよりも "torture" である」と考えて、"torture" という語を採用しているのならば、それはそれでひとつの考えでありひとつの表現である。そこに「誤訳だ」などと言って絡んでいくのは、筋違いである)。
ところで明日、8月20日に限定復刊される岩波新書の『伝わる英語表現法』(長部三郎著、2001年12月)が、今回見たような問題について初歩的な整理に役立つかもしれない。本の表紙をめくったところにあるカバー裏に、次のように書かれている。
「国際情勢」はinternational situationと、すぐ思い浮かぶだろうが、実際はwhat's going on in the worldといった方が、より具体的で意味がわかりやすい。日本人が陥りがちな、一語ずつ「訳そう」とする発想から「いかに意味を伝えるか」に意識を切り替えれば、簡単な言葉で生きた英語表現ができるようになる。そのための方法を具体的に伝授する。
限定復刊だから、興味がある方は早めに買っといた方がいいですよ。
ここで説明されているような、「日本語から英語に訳すときは、なるべく平易に、平易に言い換えるようにする」ということは、東大・京大・一橋大などごっつい英作文が出題される大学を受ける人にはマストなんだけど、そういう難関校を受けようと準備している受験生のみなさんにとっても役立つ一冊だと思います。
「シュワちゃん」といえばこれ。
この「やかん体操」に、次のようなコメントが寄せられている。
シュワルツェネッガーは日清のカップヌードルの「CMキャラクター」だった。
日清は総合格闘家のアンディ・フグにラーメンの出前持ちをさせたり、 フットボーラーのジネディーヌ・ジダンにやかんを蹴らせたりしていた。近年、Black Live Matterについて発言している大坂なおみについてヌルいことしか言えなくなっているのを見て、ああ、あの日清もこうなっちゃってるのかとなんか悲しくなったのは、こういう時代の日清のイメージが強いからだろう。下記は2点とも2004年、米同時多発テロとアフガニスタン攻撃の3年後、イラク戦争の翌年である。