Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

否定の命令文, compare A to B, without -ing, など(他の人々の物語を、自分たちの「わかりやすさ」のために乗っ取ってしまってはいけない。起きていることは、起きているままに)

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今回の実例は、Twitterから。

私に見える範囲のネット上の日本語圏が、2か月半も前に立派なお寺で葬儀告別式と火葬が行われていて、四十九日も過ぎている人の、「国葬儀」という名目で国費を費やして行われたファンクラブの集いみたいなののお粗末な中身のことで埋め尽くされている間に、イランは大変なことになっていた。いや、正確に言えば、イランのおかげでイラククルディスタンが大変なことになっていた。これ以上、ただ家にいるだけの一般人(民間人)が殺される話は聞きたくないのに。

という状態で、イランがイラクの北部にあるクルディスタンにミサイルをがんがん撃ち込んでいて、それがイラン国内の抗議行動の広がりと継続から国民の目をそらすためだということなのだが、そういう事態が生じるきっかけとなったのは、日本語圏でもある程度は報じられている通り、首都テヘランで、22歳の女性マフサ(マーサ)・アミニさんが、女性が着用を義務付けられているヒジャブ(髪の毛を覆うスカーフ)の着用法がなってないといって風紀警察に逮捕され、そして謎の死を遂げるという悲惨な出来事だった。当局は「彼女は元々心臓が悪かったのだ」と言っているそうだが、病院で撮影されたアミニさんの様子は、単に「心臓が悪くて倒れた人」に見えるものではない

なぜスカーフひとつで拷問を受けるようなことになるのか、理解ができないかもしれないが、そういうことが現に起きているのだから、それはそのままで受け取らなければならない。自分にわかりやすく言い換えなければ理解ができないのなら、自分のお部屋や友達同士の場でそうすればいいが、Twitterのような場、当事者の見ている場で大々的にその言い換えや置き換えをすべきではない――イランで抗議行動が広がり、それにつれて多くの人々が関心を向けるようになってきたところで、そういう指摘がまたもやなされるようになってきているのに私が気づいたのは、16日にアミニさんが亡くなってから数日経ったころだった。なぜならそういった「言い換え」「置き換え」は、特にそれが外部の者が勝手にやる場合、別の問題を生じさせる可能性がとても高いからだ。

彼女が亡くなってすぐに関心を向けていた人々は、「言い換え」「置き換え」の類を必要としていなかったのだろう。ところが、より一般的な層にまで話が広がるようになるにつれ、「わかりやすさ」が求められ始めたのだろう。

その点、偶然だと思うが、数日前にモーリー・ロバートソン氏の発言がはてブでバズっていた。こちらの一連のスレッドである。華麗としか言いようのない学歴をある意味結果的に有することになった氏は、「高校卒業までの時期について取材を受ける」ことが増えてきていて、そのインタビュー取材の「過程でじんわりと決めつけやはめ込みが起きていく傾向を感じ取っております」と述べている。具体的には「『日米の文化のはざまで苦しんだんだ。差別されたんだ。それでも負けずに戦って同時合格という勝利をつかんだんだ。今はテレビにいっぱい出ていて、誰もが認める成功者なんだ』というテンプレ」に乗っかった物語として、氏のこれまでの歩みを、取材者(つまり「マスコミ」)は勝手に語ろうとしている、ということだろう。「複雑な状況を単純化して本質を掴むという方法論ではなく、複雑なものを複雑なまま受け止めることが必要になります」という氏のことばは、氏の体験から出たものだ。

というところで、今回の実例。イランの女性からの英語での発言である。

1行目、"#IranProtests2022" は今回の同時多発抗議行動のハッシュタグTwitterが今のようにリツイートハッシュタグを中心的なものとして追求するきっかけとなったのが、2009年のイランでの抗議行動だったが(大統領選挙での不正の疑惑を追及する国民運動みたいなのが起きた)、そのときのハッシュタグが #IranElection だったな、と思い出している。

この本を書いたネガー・モタヘデさんは在外イラン人で、映画批評などの分野での仕事が多くある。彼女のツイートはこちら:

こういう人たちが教えてくれる事実は、「日本で言ったらどういうことなんでしょうねえ」という「わかりやすさ」への安易な要求に抵抗するうえで、とても重要なものだ。イランの女性たちは「私たちの哀れみに値する、あのかわいそうな人たち」や「私たちが解放してあげなければならない、気の毒な人たち」ではない。闘士である。

さて、先ほどのツイート本文を見てみよう。

第1文: 

To tweet responsibly about #IranProtests2022:

「文」ではなく「フレーズ」だが、これは《to不定詞の副詞的用法》。「~するために」だ。「2022年のイランの抗議行動について、責任ある形でツイートするために」。

末尾の《コロン》の使い方にも注目しておきたい。このように、文章の目的を示すときにこの形はよく用いられる。例えばマイクロソフトストアの返品・交換方法説明のページには次のようにある。

https://support.microsoft.com/en-us/account-billing/returning-items-you-bought-from-microsoft-store-for-exchange-or-refund-81629012-aa4f-f48b-2394-8596f415072b

小さなことだが、日本の学校英語ではこういうことは教えられてこなかったので、こういうことを知らない人が多く、それどころかコロンという記号の存在自体もほとんど知られていないのだが、こういうのは実用英語では必須の知識である。

ここまでですでに4500字を超えているのだが、このまま続ける。

ツイート本文の一番大事な部分に進んで、その第1文。表記ミスと思われるところがあるのでそれを修正すると:

Do not compare Iran’s treatment of women to the US's.

これは《否定の命令文》「~するな」「~しないでください」である。

日常生活で使われる否定の命令文は、多くの場合、《Don't + 動詞の原形》の形である。

  Don't hesitate to contact me if you have any questions! 

  (わからないことがあったら何でも、お気軽にお問い合わせをどうぞ)

このDon'tを省略しない形でDo notと2語で書くと、《強調》している感じ、または《丁寧》に言っている感じになる。「丁寧」といっても「だ・である」が「です・ます」になるくらいの感じだと思うが、上の文と同じ内容でも、仕事でのやり取りで「ご質問がおありでしたら、何なりと遠慮なくお問い合わせくださいませ」くらいの丁寧さで書きたいときはDon'tではなくdo notと2語で綴って、おまけにPleaseで書き始める、という方法がある。ビジネス文書の文例集などにもこういう形で紹介されているはずだ。

  Please do not hesitate to contact me should you have any questions. 

(if you have ~ではなく、should you have ~と、《ifを省略した仮定法》の形で書くのも、「丁寧さ」のため)

というわけで、意味そのものはDon'tだろうがDo notだろうが違いはないのだが、2語で書くことで「どのくらい丁寧な響きがするか」という点で少しだけ違いが出てくる。

《強調》については音読してみるとわかると思うが、do notと2語で言うことでnotがより際立つ。ドンドンと飛び跳ねている子供に、一度目は "Don't do that." と言って注意して、それでも飛び跳ねていたら今度はじっと目を見て "Do not do that." と一語ずつゆっくり、噛んで含めて言うように、といったイメージが伝わりやすいだろう。

太字で示した《compare A to B》は「AをBにたとえる」の意味。compareは前置詞withを伴って「AをBと比較する」と訳される語法もあるが、どちらもAとBを対照することが前提になる。

文の最後でちょっと修正を加えたところは、《所有代名詞》。

というわけでこの文は、「イランの女性の扱いを、米国でのそれになぞらえないでください」という意味。もっと踏み込んで訳せば「イランでの女性の扱われ方を、米国でのそれで置き換えないでください」といったことになろう。

 

これは、とても大事なことだ。イランの女性たちの物語はイランの女性たちのものであり、アメリカの女性たちのものではない。日本の女性たちのそれとも違う。

その上で、私たちはイランの女性たちの物語を他人事とせず、わがことと感じて、そして連帯する。それが「連帯 solidality」のメッセージだ。

 

このツイートを書いたGissou Niaさんがそのように要請する理由は、この次の文に具体的に書かれている。

Your discussion of the misogyny of US law makers distracts from the attention on Iran.

「米国の法律の女性差別性がここでの議題になってしまうと、イランから注意がそれてしまいます」(意訳)

The ppl of Iran need sustained attention and support, w/o centering this around US problems.

「イランの人々は、持続的な注目と支援を必要としています。この件を米国の問題の中に位置づけることなく」。

太字で示した部分、"w/o" はwithoutの省略形で、使える文字数が少ない場合や書くスペースが小さい場合に用いられる(withは "w/"と略される)。《without -ing》は、構造としては《前置詞+動名詞》で、「~することなく」。

  Kate left the room without even speaking to Meg. 

  (ケイトはメグに話しかけることすらなく、部屋を後にした)

 

というわけで、私たちもここ日本で、イランの女性たちに対する社会からの抑圧という問題を、いちいち日本のことに置き換えて語らないようにしなければならない。彼女たちの問題は彼女たちの問題なのだ。イラン国外のだれかが「私たちから見れば~」と語ってよいことではない。

誰かがグチや悩み事を口にしているときに、聞いている誰かが「わかるわかるー、私も……」と言うことは、共感を示すことではなく、他人に便乗して自分語りを始めることであるのだから。

その上で、それを他人事とはせず、自分たちと同じ闘いであると認識できるかどうかが、個人個人にとっての問題となる。その認識のために必要な議論があるならば、イランで闘っている人たちの目に入らないところでやろう。Twitterのようなところですべきではない。

必要なのは、理解と、そして連帯である。

 

※6500字

 

https://twitter.com/GissouNia/status/1574049732875280385

※キャプチャ画像内、サーダリザデーさんによるリプライは皮肉である。念のため。

 

Twitter Cardでサムネを表示させたいように出てくれないので、サムネやり直し。

https://twitter.com/GissouNia/status/1574049732875280385

これでうまくいった。

Tips: ブログのサムネを変更して、Twitter Cardですぐに反映させるには、 https://cards-dev.twitter.com/validator を使います。

 

 

 

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