Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

人は、翻訳作業で辞書を引くとき、いったい何を求めて辞書を引くのか: releaseというシンプルな語のひとつの事例

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4今回は、「翻訳とはどういう作業であるか(さほど単純な作業ではない)」を説明する一助となれば、という主旨。

どの言語圏でもおそらくそうだと思うのだが、世間一般では「英語ができれば母語から英語に翻訳でき、英語から母語に翻訳できる」と思っている人が大半である。というか、「翻訳ができる」ことがすなわち「外国語ができる」ことであるという認識がある。日本語圏では、文字での「翻訳」と音声での「通訳」が別個の言葉を与えられているが、英語ではどちらもtranslation/translateで表される。

というか、英語のtranslateは下記のように定義されている(ケンブリッジ辞書を参照する)

to change words into a different language

TRANSLATE | English meaning - Cambridge Dictionary

「文字」か「音声」かは関係なく、ある言語の言葉・単語を別の言語(の言葉)に置き換えること、という定義だ。

ここで、英語がwordsと複数形なのでいろいろと臨機応変に考える幅が出てくるのだが、「あなたは英語ができるんだから、当然翻訳できるんでしょう?」という人がイメージする「翻訳」は、多くの場合、1つの単語に1つの訳語が対応している、というとても単純なものだ。

例えば "I like cats.*1" は「私・好き・猫」と1対1の対応をする語が3つ並んでいて、そのいずれかを入れ替えればいろんな意味を表せる。例えば "She likes dogs." 「彼女・好き・犬」、 "He dislikes tomatos." 「彼・嫌い・トマト」というように。(ここで日本語を、完成した文の形にしていないのは、話を単純化するためである。実際には私たち日本語話者は助詞を入れて考えているはずである。)

しかし、日本語と英語の間で、すべてが常にこのようにtranslateできるわけではない。それは初学者でも知っていることで、例えば日本語の「はじめまして」の意味を表す英語のフレーズ "Nice to meet you." は、どの単語を見ても日本語の「はじめまして」には対応していない。これは、社会的にそういう機会(初対面の人にあいさつするとき)にはそういう言葉が発される、ということから結び付けられている対訳で、言葉通りの訳(逐語訳)ではない。

今ここで、"I like cats." /「私は猫が好きです」型の1対1の対応が見えるtranslationと、 "Nice to meet you." /「はじめまして」型のどこもかすっていないtranslationを両端に置いた一本の定規をイメージしていただきたい。

翻訳という作業では、その両端のどちらかだけに完全に偏って言語処理をするわけではない。多くの場合、その中間にあるどこかで作業をする。しかもその定規、完全な平面ではなく、三次元的な広がりもあって、場合によっては深みにはまることもあるし、気づいたらそこは沼だった、ということもある*2

さらに言えば、その作業の性質・要件に応じて、作業の内容が変わってくる。「自然に読める日本語にする」場合、"I like cats." を「私は猫が好きです」とやっていたのでは、ほとんど仕事になりゃしないだろう。仲の良い学生同士のバスの中の会話で「私は猫が好きです」とやったら円城塔の小説かよってなっちゃうし、取引先に謝罪に行ったらいかつい社長が膝に猫を抱えて撫でていたという場面の会話で「僕、猫好きなんっすよぉ」と言うということはコメディでない限りはあまり考えられないわけで、その言葉が発される場や文脈、話者と聞き手の関係性に基づいて「猫好きなんです」「猫っていいよね」「猫はよい」「猫がよい」「猫ちゃんかわいい」「猫かな、わたし的には」などなど、また訳す人の知識や感覚によって、適した日本語は違ってくるからだ(「翻訳には、唯一の正解はない」のである)。

他方、「自然に読める日本語」へのこだわりよりも、言語との対照と対応のほうに重点のある翻訳仕事もある。対訳形式で原文と日本語文を並べて出す場合がそれで、特に学習参考書の例文に添える対訳は、学習の補助、理解促進のための補助輪として作成するので、 "I like cats." とあったら、基本的に「私は猫が好きです」としか翻訳できない*3。この場合、「猫好きなんです」「猫っていいよね」といった「こなれた訳文」を作る、という選択は、執筆者の側にはありえない(学生さんは好きなようにやっちゃっていいと思う)。

このように、  "I like cats." のような単純な英文でも、それがどういう文脈で使われている言葉なのかによっていろいろな日本語があり得るし、言葉の外側にあるコンテクスト(小説の一部なのか、学習参考書の例文の対訳なのか、など)によっても「正しい(求められている)訳文」は違ってくる。

つまり、「英語を日本語にする」という作業は、さほど単純なことではない。

けれども、cat(s) は(固有名詞でなければ)考えられる限りどんな文脈においても「猫」であるし、「ねこ」「ネコ」「にゃんこ」「ネコチャン」など見た目上の表現が変わることはあっても、その語の《意味》は変わらない。その点は単純だ。

一方で、そう単純にはいかない語もある。そういう語には、比喩的な意味をいろいろ持つ語(例えばdog(s) など)もあるのだが、ここでその話を始めるとこのエントリが永遠に書き終わらないと思うので、それはまたの機会ということにして、本題に向かおう。

英語ではひとつの語で表されるものが、日本語では文脈によって全然違う語で表されることが、非常に頻繁にある。(もちろん逆もあって、日本語ではひとつの語だが英語では文脈に応じて違う語を使うというものもある。)

例えばsolutionという語。数学の文脈なら「解」、化学の文脈なら「水溶液」、ビジネスの文脈なら「解決策」だ。例えば、A solution to a more complicated problem is yet to be discussed. という文があった場合、このsolutionに「水溶液」という訳語を与えるとすっとこどっこいな日本語ができあがるということは、仮にsolutionという語を今初めて見た人であっても、簡単に想像がつくだろう。

関連のある語で、resolutionは、化学なら「溶解」だろうし、生物系の文脈なら「分解」だろうが、コンピューターなら「解像度」だ。一方で、例えば国連安全保障理事会が扱うresolutionは「決議(案)」だし、What's your New Year's resolution? だったら「決意」だ(「あなたの新年の決意は何ですか?」、つまり「今年の抱負は?」)。

翻訳という作業では、こんなふうな判断を正確にしなければならない。ここで、自分が、実は当該分野について十分な知識がないのに「英語ができる」つもりになっていて辞書を引くということを怠ると、「国連安全保障理事会決意」、「パソコンのモニターの分解」などとしてしまったりもする。

また、英語から日本語に翻訳する場合は、日本語自体の単語と単語のつながりの自然さを判断できないと、質のよい日本語の訳文は作れない(近年、「精度が高い」と評されている機械翻訳は、この点の性能がとてもよい。つまり「流暢さ」にたけている。翻訳そのものの仕事が正確にできているかどうかと、「流暢さ」は別である)。例えば、She grew more confident. という英語を日本語にする場合、「彼女はますます自信をつけた」「彼女は自信を深めた」とは言えても、「彼女は自信を増した」「彼女は自信を積んだ」と言えるだろうか? また、「深めた」はこの場合、「深堀りした」に置き換えることはできるだろうか? 翻訳者は、そういったことを、おそらく多くの場合はほとんど意識せずに、瞬時に判断して訳文を作っているのだが、その感覚が働かないこともある。それもかなり頻繁に。

だから、どんな形であれ翻訳という作業をする人は、辞書を引く。引きまくる。それは、必ずしも「単語がわからないから意味を調べている」のではない。「自分が思いついた訳語が、その文のその文脈で、適切であるかどうかを確認している」のである。「英語ができれば翻訳なんか簡単でしょう?」と思っている人は、そこで、翻訳者が辞書を引いているということが理解できないようだが(「翻訳者なのに単語がわからないなんて」とあきれられてしまう)。

そうして辞書を参照しても、どうしてもしっくりくる訳語が見つけられないこともまた、翻訳という作業にはつきものである。

ある程度量をこなしたことがある人なら、「原文(英文)にこの語が出てくると気分がよどむ」という、いわば苦手ワードのひとつやふたつはあるだろう。私の場合、そのひとつは動詞のaddressだ。北アイルランドについて、紛争後社会 (post-conflict society) の文脈、conflict transformationの文脈で頻出する "address the past" という表現に含まれている動詞のaddressである。小学館プログレッシブ英和の挙げている対訳語では「〈問題などに〉真剣に取り組む」が該当するのだが、基本的にそのままでは使えない。その発言と別なところで「真剣に取り組む」という意味の語があったりもするから別な表現を探さないといけないし、同時に個性的な発言というよりテンプレ通りの演説などで出てくることが多い表現だから、そうなると「目をそらさずに」とか「風化させまいという気持ちで」とかいった日本語のテンプレ常套句を持ってくるべきだろう。一方で、今の岸田政権下の日本語では、そういったテンプレ常套句の筆頭は「丁寧に」だが、そういった一種の流行語みたいなものをそのまま使ってしまうのもうかつなことである。こういうときは、英語の辞書だけでなく、日本語の辞書のお世話にもなる。辞書だけでなく「用語集」の類を見ることもある。正直、ここは沼である。

というわけで、翻訳という作業をする人にとって、辞書の活用法というのは常にホットなトピックである。

英語指導のベテランで、はてなブログnote, Twitterを活用し、オンラインセミナーも積極的に開催して、その知を広くシェアしてくださっている松井孝志先生それについてnoteでまとめてくださっている*4、実務翻訳者で実務上のノウハウを細かくご教示くださるブログや、『機械翻訳』『イーサリウム』などの訳書で知られる高橋聡さんの実用書、『翻訳者のための超時短パソコンスキル大全』でも第13章、14章と2章を割いて辞書のことを扱っている。

 

こうやっていても、自分と辞書だけでは何ともならないこともある。そういうとき、例えば職場なら同僚に「ちょっといいですか。これって……」と話しかけることで突破口が見つかることもあるし、自宅での仕事中なら仕事と関係のないニュースを見るなり聞くなり読むなりしているときにひょこっとわかることもあるし、広くTwitterなどで質問を投げることで探し物が見つかることもある。

先日、そんな例があって、松井孝志先生とやり取りをし、多くの発見があったので、本稿の最後にそれをまとめておきたい。

元はインドの映像ニュースで、 "Union Minister #BhupenderYadav releases Cubs in the arena of white tiger enclosure at Zoological Park in #Delhi." という文。固有名詞などを簡略化し、表記を整えると: 

Minister releases cubs in the arena of white tiger enclosure at Zoological Park in Delhi.

デリーのZoological Parkで、大臣が、ホワイトタイガーのenclosureのarenaに、ホワイトタイガーのcubsをreleaseした、というニュースである。なぜそれをしたのが大臣なのかはちょっとわからないが、それはここでは本質的な部分ではない。

今、ここに英語交じりの日本語として原文をざっと日本語にしてみたが、ここで英語のままにしているのが、仮にこれが仕事での翻訳なら、私が辞書を参照するだろうな、という英語の単語である。全部《意味》はわかるのだが《訳語》は確認しないとならない、というレベルでの辞書参照だ。

ブログ(無料仕事)ではそこまではやらないので、「デリーの動物園で、大臣が、ホワイトタイガーの展示スペース*5に、赤ちゃんの*6ホワイトタイガーをreleaseした」くらいのざっくり感で日本語にしておこう。

ここで問題になっているのは、releaseという動詞に、どういう日本語を与えるのがよいか、ということである。松井先生が説明されている通り、動物園などの施設で使われている用語が、うちら一般人にとっては、何も考えずに思い浮かぶような用語ではないから、確認する必要があるのである。

おー、翻訳、めんどくさいねー。

これが普通に文意を伝えるだけの翻訳なら、原文の言ってることを別の言語で表せばいいのだから、こういう場合の日本語表現を探してくればよいだけだ。例えばこの場合、このenclosureが来園者に公開されているとすれば、大臣がreleaseした当日でなくてもいずれ来園者の前にこの仔トラたちは姿を現すわけで、とあらば「仔トラたちがお披露目された」わけでなくても、「仔トラたちがデビューした」と言えるだろう。私に思い浮かんだのは、まさにそんな文面だった。

「自分に思い浮かんだ」だけでは話にならないので、ソースを示そうとウェブ検索をしたのだが、そのとき検索ワードが「動物園 デビュー」だと、「人間の赤ちゃんが初めて動物園に行くこと」(=赤ちゃんの動物園デビュー)の話ばかりが出てきてしまうので、検索ワードは「デビュー 動物」とした。

そして見つかったもののひとつが、「東京ズーネットBB」の記事: 

ライオンの子ども、デビュー

5月16日(休園日)には初めてライオン園に出しました。……6月8日から、メイをのぞく3頭でライオン園に再デビュー。ライオン園を探検したり、子どもどうしじゃれあったり。元気なすがたをごらんください。(2007年6月14日撮影)

ライオンの子ども、デビュー - うごく!どうぶつ図鑑 - 東京ズーネットBB

もうひとつ見つかったのが、「神戸どうぶつ王国」の記事: 

ただし、これでは "Minister releases cubs in the arena of white tiger enclosure..." の対訳にはならない。翻訳なら「大臣が来園し、仔トラたちをホワイトタイガーの展示エリアにデビューさせました」でもいいかもしれないが、それでは対訳にはならないのである。

そうしているうちに松井先生が日本語の辞書で(←ここ重要)見つけてくださったのが、enclosureの対訳となっているであろう「放飼場」という言葉だ。

おー、日本語、むずかしーねー。

「放飼場」(ほうしじょう)とは、生き物をより自然の状態で飼育する場所のこと。主に動物園の展示方法として活用される。放飼場で飼育する生き物は、主にサル目である。サルを放飼場で飼育している動物園は日本でも多い。放飼場のメリットは、動物のストレス軽減と来園者からの見やすさなど。……

【ホームメイト】放飼場|動物園用語集

(翻訳者なら、ほぼ反射的に、この「動物園用語集」のサイトをブックマークに放り込むだろう。こういう蓄積が、広く一般に開かれ、だれでも使えるようになっていることこそが、インターネットの醍醐味であり本質であるのだが、この15年ほどの間、「Web 2.0」以降の時代に、そういうのがどんどん薄れてきているように思う)

で、専門用語ならば、当該のrelease ~は「~を放飼する」でよいのかもしれない。よいのかどうか、確定したければ、さらにその確定のための確認の作業をすればよいだろう。

しかしここでは、専門用語というわけでもない(元の素材が一般向けのニュース映像である以上は)。

というわけでさらに、松井先生と私で二方面から、探求が続くのである。

↑私のこのツイート、リンク先がコピペのミスで、違う記事が出てきてしまうようになっています。すみません。正しくは下記。

仔トラたちがサファリゾーンデビュー

昨年(2021年12月7日)誕生した、「琥珀くん」と「四葉ちゃん」がサファリゾーンデビューしました。 しっかりと成長し、安全に飼育するためサファリゾーンのトラエリアに移動しました

仔トラたちがサファリゾーンデビュー[新着情報]/秋吉台自然動物公園 サファリランド

こうして、いろいろと本物の生きた(=動物園やサファリパークの人たちが書いた)日本語の記述を見て気づいたことだが、日本語では、動物園の人たちが動物をどうにかしたとき、つまり他動詞で表されそうなときに、「動物が~した」と自動詞で表していることが多い。「仔カワウソがデビューした」という記述は、仔カワウソが自分からちょこちょこと歩いていって展示スペースに出たわけではなく、人間(飼育係)が仔カワウソを展示スペースに運んでいったわけである。

この点、日本語話者が《自然な英語》を書くにはどういったところに気を付けるのがよいかという点でのヒントになるかもしれない。これは、逆に、《生きた英語》を《自然な日本語》にするときのポイントのひとつでもあろう。ただもちろん、「そういった傾向があるようだ」ということは「常にそうである」ことを意味するわけではない。

一通りのやり取りの締めくくりに松井先生からご教示いただいた「東京ズーネット」の記事には、次のようにある。

ライオンは放飼場に出て、夕方獣舎に帰宅し、朝が来るまで獣舎内の寝室ですごします。今回はその獣舎内でライオンをどのように移動させ、出入舎させているのかをご紹介します。

……

毎朝、各部屋からその日放飼場に出すライオンだけを、放飼場に出す順番に並ぶよう、仕切り扉で区切ったシュート内の区画に出していきます。しかし、ライオンはその日、自分が放飼場に出る予定なのかわかるはずもなく、また自分自身の名前も自覚していないので、飼育係に名前を呼ばれて出てきてくれるわけでもありません。……

意外と知られていない? 放飼場へのライオンの出し入れ作業 | 東京ズーネット

この場合、施設の担当者がライオン放飼場に出す(他動詞)のだが、ライオン放飼場に出る(自動詞)となっているところもある。また、担当者がライオンを移動させているのは他動詞的だが、学校英文法用語でいう《使役》も含まれていて、なかなか複雑である。単純な単語に言い換えて表すが、この場合、行われていることは、They let the lions move. ではなく、They move the lions. だろう。

この点、松井先生の次の記事が役立つのではないかと思う。

 

※10300文字

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:ここで「猫」がcatsと複数になることについても、ブログのエントリなら1万字くらい書けるのだが、今回は書かない。そういえばこないだフェリシ〇の猫グッズ福袋が処分価格になっているのを店頭で見かけたのだが、中に入っていたバッグか何かに "Cat are 何とかかんとか" とでかでかとプリントしてあって、「だれが何を見てヨシって言ったんですか」って思ったよ。areを使ってるのに主語が複数形ですらないって……。

*2:さっき言及した "catsという複数形" などは沼の入り口である。

*3:厳密には、案件ごとに敬体か常体かが指定されているから「好きです」ではなく「好きだ」としなければならないかもしれないし、「私」「猫」という漢字が使えない表記基準もあるし、like ~の動詞と目的語の関係を作る日本語の助詞が「を」ではなく「が」なのは混乱のもとだということで「猫を好む」とするとか、あるいは「を」の問題がどうしても出てきてしまうlikeという動詞を使わず、例えばseeなど助詞を「を」にして違和感のない動詞を使って例文を作成する、ということもある。

*4:「物書堂」さんのアプリ辞書について。こちらのアプリはiOS専用なので、Apple社製品を使わないことにしている私は使えず、解説を読むことしかできないのですが。

*5:映像を見れば、arena of (an) enclosureが動物園の展示スペース(展示エリア、展示室)であることは誰にでもわかるだろうが、その「展示スペース」という日本語が動物園用語として正しいのかどうかは、これは辞書というよりも動物園の用語がわかるソースで確認しなければならない。仕事の場合はね。

*6:ライオンとかトラの子供はcubと言う。これも英語は表現がいろいろあって、英語で書く仕事のときは確認が大変。「全部babyでいいじゃん」って思う、正直。

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