Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

backは「背中」か「腰」か(エリザベス女王が「ぎっくり腰」で戦没者追悼の式典を欠席)

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今回の実例は、単語レベルの話。

先日、そういえば「ぎっくり腰」を英語で言えないということに気づいたので、その場で辞書を引いてみたという、英語講師の杉村年彦さんのツイートを見かけた。

だいたいみんなやることは同じだよね、という話なのだが、これで「英語科は非情だ」と言われたとのことで、複数教科が同居するフロアの「あるある」ネタの鉄板の様相である。

そして、こんな素敵な表現があるというツイートもあったのだが: 

英語で辞書ひきゃぁこうなる、というのも、実に「あるある」である。

うちらだって、辞書引いたら、できれば「わー、こんな表現するんだー」ときゃっきゃうふふしたい。しかし英語という言語はそれを許す言語ではない。「ふーん、そうなんだー」と、語尾に虚無感あふれる「ー」をつけて反応せざるを得ない、無味乾燥な結果に終わることがとても多い。この点、フランス語などは風流で、第二外国語として履修中に辞書引くだけでも「おお、やはりフランス語は違う」と思わされたものである。イタリア語などどれほどしゃれているか、想像もつかない。そういえばロンドンの地下鉄駅の名称をフランス語で表すと、それだけで風流になる、英語だと本当になぜかすべてが事務的になるよね、というお笑いのネタもあったが、今探しても出てこない。

ともあれ、Twitter上の日本語圏でこんなふうに和気あいあいと非情で無味乾燥な英語辞書引きが展開された数日後のこと。

英国では、毎年11月11日(第一次世界大戦が休戦した日)に最も近い日曜日、つまり11月の第2日曜に、戦没者追悼の国家行事が行われる。ロンドンでは、ウエストミンスターの国会議事堂の少し北(トラファルガー広場に行く途中)にある「セノタフ」で、大掛かりな追悼式典が行われることになっており、イングランド国教会の宗教家たちによる祈りのなか、国家元首(国王、つまり現在はエリザベス女王)と政治トップ(首相、現在はボリス・ジョンソン首相)および最大野党リーダー(英国の「最大野党」は法的にthe official oppositionという位置づけのある存在で、現在は労働党。代表者はキア・スターマー党首)をはじめ、首相経験者などの要職者、軍の代表者らが花環をささげ、2分間の黙祷を行う。現在のボリス・ジョンソン首相はそういうところも本当にだらしなくて、「戦争」のレトリックを勇ましく使い、チャーチルを気取るわりに、2016年の式典では花環の上下すら区別していなかったとかいうお粗末な話もあるのだが、それはまた別のお話。

その重要な式典に、今年はエリザベス女王は出席できなかった。10月半ばに北アイルランドで行われた、アイルランド分断(北アイルランド成立)100周年を記念する宗派横断的な祈念行事への出席を、ドクターストップがかかったため直前で取りやめられ、10月末にスコットランドグラスゴーで開幕したCOP26への直接の出席も見合わせとなり、ビデオリンクで各国大使らと謁見されていたが、今回、英国という国家にとって非常に重要な、そして大戦中は軍のトラックのハンドルを握って輸送の仕事をしていたエリザベス女王個人にとってもとても思い入れがおありに違いない戦没者追悼式典にもお出ましになれなかった。その理由が、「腰(または背中)を痛めたため」だった。

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https://twitter.com/i/events/1459815702706069505

人間の身体の部位を表す表現が、英語と日本語とでは完全に一致していない、というのは、ほぼ「あるある」ネタと化しているが、それでも英語に不案内な人に言うと方法と感心してくれるという、かなり謎なトピックである。

例えば「首」とneckは一対一で対応していない。文芸翻訳者の越前敏弥さんの下記書籍は、ピンポイントで刺さりすぎて爆笑してしまうくらいだから、読んでみていただきたいと思う。

「背中」とbackも同様で、具体的にどの部位のことかを図で示すなどしてもらえないと訳語が判断できない。ざっくり言えば、日本語のほうが細かくなっているので、「背中」なのか「腰」なのかを訳しわけないとならない。この点、「brotherっていうけど、『兄』なの『弟』なの」問題とか、「このduckは『カモ』なの『アヒル』なの」問題に似ている。逆に、日本語のほうが大まかで英語ではもっと細かいという例もあるから(「指というけどthumbなのfingerなの、それともtoeなの」みたいな)、単に「言語が異なる」「単語は一対一の対応ではない」というだけで、どちらが「より細かくてより繊細でより解像度が高くてよりコンテクストが云々」という話ではない。

私個人、かつてアメリカとやり取りをしていて、先方が「ごめん、back painで数日仕事ができなくて、進捗してないです」と連絡してきたのを、日本語で「腰痛」とすべきか「背中の痛み」とすべきかで悩んだことがあるが、相手が寝込んでいるときに、そんなどうでもよさげな訳語を確定するためにわざわざ「backとはどの部位か。low backか。なぜこのようなことを尋ねるかというと、それが確定しないと日本語で適切な漢字が使えないからである」などと聞くのも野暮だし迷惑ですらある。要は「予定より少し遅れそうだ」というのが伝達内容なわけで、日本のクライアントには「背中か腰を痛めたみたいで、今週のアップは無理みたいですよ」と伝えることが私の仕事となった。

このように「背中か腰」と書いておけばOKという場合ばかりではないのが、翻訳者を悩ませる最大のポイントだ。そして多分、英語で書いてる人はそんなことが人を悩ませるとは思ってもいないし、訳している側もそんなことで頭を悩ませたくはないだろう。

さて、エリザベス女王のお怪我だが、"sprain her back" とある。直訳すれば「背中の捻挫」だが、どういうことか少しわかりにくいので、調べてみよう。

まず、ここにある単語2つで検索する: 

https://www.google.com/search?q=back+sprain

すると検索結果に、"Low Back Strain and Sprain" とか、"Low Back Strain Causes, Treatments, Exercises, Prevention" といったものが出てくるので、背中の上のほうではなく下のほう、つまり「腰」に多いのだろうなといったことがだいたい把握できる。

Sprainというのは、整形外科の専門用語だが、下記に素人向けの解説がある。

A sprain is a stretching or tearing of ligaments — the tough bands of fibrous tissue that connect two bones together in your joints.

Sprains - Symptoms and causes - Mayo Clinic

一方、女王のお怪我は日本語圏では「ぎっくり腰」と報じられているが、その「ぎっくり腰」をウィキペディアで引くと「急性腰痛症」とあり、英訳は "acute low back pain" と説明されている。

ja.wikipedia.org

ここから英語版に飛ぶリンクは、Low back painの項のacute painとなっていて: 

en.wikipedia.org

今はその "acute pain" という節が見当たらなくなっているのだが、"Causes" の節に次のような説明がある。

Low back pain is not a specific disease but rather a complaint that may be caused by a large number of underlying problems of varying levels of seriousness. The majority of LBP does not have a clear cause but is believed to be the result of non-serious muscle or skeletal issues such as sprains or strains.

文中の "LBP" は "low back pain" のこと。こういう略語は何も断りなく文中で用いられるから、英語に慣れていないとわかりづらいと思う。

さて、ここで太字で示したように、この「急性腰痛」の原因として "sprains or strains" が挙げられている。

英語圏の報道ではエリザベス女王が式典に欠席した理由は "sprain" だが、これが身体的に表れると "acute low back pain" になると考えられるので、女王の欠席理由についての「ぎっくり腰」という日本語の報道は的確と判断できる。

 

長くなったのでこの辺で。

 

※4700字

 

 

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