Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

英文読解、難しい単語の語義の推測、自由英作文で使える基本的な表現(民主主義の後退についての学術的な文)【再掲】

このエントリは、2020年1月にアップしたものの再掲である。

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今回の実例は、学術的な報告書から。

国公立大・私立大の二次試験などで、「与えられたグラフを見てわかることを英語で説明せよ」という主旨の自由英作文が課される場合、視覚的な(見てわかる)情報を言語化できるか(それも、英語で表現できるか)ということが問われているのだが、その際、決まりきった定型表現を使えるか使えないかで結果に大きな違いが出る。学術論文などはそういった表現の宝庫というか、そういった表現で書かれることが決まっているものだから、二次試験直前の仕上げの時期に、自分で使えそうな英語表現を見つけようというつもりで英語の学術論文を見てみることは、かなり効果的な勉強法になるだろう。

今回見る報告書は下記の記事で紹介されているもの。

この記事の見出しで内容の概略を把握したうえで、報告書そのものを見てみよう。URLは下記(PDFのほう):  

報告書は全部で60ページ、本文だけだと40ページくらいあって、受験生がちょっとやそっとで読める分量ではないが、最初の方にあるKey Findingsのところだけなら問題なく読める。そこを見たうえで、もしより詳しいことを知りたいなと思ったら、本文でそれが書いてある箇所を読めばよい。

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目的格の関係代名詞 whom(北アイルランド紛争当時、暴力を否定していた人)【再掲】

このエントリは、2020年1月にアップしたものの再掲である。

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今回の実例は、少々変則的に、書籍から。

1月24日、北アイルランドの紛争後の政治で極めて重要な役割を果たしたシェイマス・マロンが、83歳で亡くなった。

nofrills.seesaa.net

 

北アイルランドナショナリストカトリック側)」というと、日本ではほとんどの人がシン・フェインとIRAを想起して、「シン・フェインこそがナショナリストの代表」と思い込んでいることすら珍しくないのだが、実際には、21世紀に入ってからシン・フェインがのしてくるまでは、北アイルランドナショナリストを代表する政党は、SDLPだった。

SDLPは北アイルランド紛争が紛争化する前、1960年代後半に盛り上がっていた公民権運動の中から生じた政党で、人権重視の社会民主主義政党だが、北アイルランドの文脈では「暴力反対」の立場と説明するのがよいだろう。つまり、「暴力によって目的を達すること」を是としたばかりかそれを追求したリパブリカン・ムーヴメント(=シン・フェイン)とは根本的に対立する考え方だ。そして(いろいろはしょるが)、紛争の間中、ナショナリストの人々の最大の支持を集めていた政党は、SDLPだったのだ。

最終的には、この暴力否定派のSDLPが暴力肯定派のシン・フェインを政治的対話の場に引き入れた(受け入れた)ことで、1990年代の和平が進展したのだが、それに際して、SDLPの中では非常に激しい反対論があった。「シン・フェインと話などすべきではない」というその立場の代表的な人物が、シェイマス・マロンだった。

マロンは、後にノーベル平和賞を(ユニオニストのデイヴィッド・トリンブルと共同で)受賞することになったSDLP党首(当時)のジョン・ヒュームの、リパブリカンに対する、いわば宥和的な姿勢に異を唱えていたが、1998年のグッドフライデー合意成立後は、この合意によってスタートしたユニオニストナショナリストの権限分譲による北アイルランド自治政府で、自治政府を率いるファーストミニスター&副ファーストミニスターのペアの片割れとして、アルスター・ユニオニスト党(UUP)のデイヴィッド・トリンブルとともに行政のトップを務めることになった。

……とまあ、そういう人なんだけど、詳細は上記の私のブログとそのリンク先である私の連続ツイートのまとめを見ていただくとして、そのマロンが最後に語り残したことが、2019年5月に回顧録として出版されていた。訃報があったときにこれに言及したツイートが何件もあった。

 今回の実例はその本から。Amazon Kindleで900円くらい、楽天KOBOでは700円足らずなので、興味のある人は買ってみてほしい。 

Seamus Mallon: A Shared Home Place (English Edition)

Seamus Mallon: A Shared Home Place (English Edition)

  • 作者:Seamus Mallon
  • 出版社/メーカー: The Lilliput Press
  • 発売日: 2019/05/17
  • メディア: Kindle
 

「本から」などと言うと難しく聞こえるかもしれないが、実例としてみるのは、今年のセンター試験で出題された文法項目の、とてもシンプルな例だ。

 

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完了不定詞が主語になっている文, 助動詞+受動態 (BBCの調査報道番組Panoramaが、過去のPanoramaについて調査報道)

今回の実例は、報道記事から。

今日は時間がないので前置きはごく短く済ませたい。BBCのPanoramaという番組は、日本でも少しは知られているかもしれない。時事問題についての調査報道番組だ。ときどきひどいものがあるが*1、たいていは立派な内容である。

そのPanoramaが、今回、過去のPanoramaについて調査報道を行うという。今回の調査報道を担当するのは、北アイルランドでの「ダーティー・ウォー」(特に治安当局と現地武装勢力との癒着)についてやサウジアラビアでの人権侵害の調査報道を行ってきたジョン・ウェア*2。彼が調査対象とする過去のPanoramaは、1995年に当時新人だったマーティン・バシール記者(現在はBBCの宗教分野担当で、今は新型コロナウイルス感染で休職中)が行ったダイアナ妃のインタビューである。このインタビューでダイアナが吐露したいろんなことがあちこちに波紋を広げたのだが、そもそもこのインタビューを取り付けたバシールが不正な手段を使っていたという「疑惑」が調査されてしかるべきということになり、現在、ダイソン卿という人による法的な調査と、BBCによる調査の2つが行われているそうだ。で、法的な調査のほうの結論が報告書という形で出される前に、BBCがジョン・ウェアを担当にして行った調査を、問題が生じたPanoramaという番組の枠で、5月に放送することになった、というのが今回見る記事の報道内容である。記事はこちら: 

Diana, Bashir, and that TV interview: now Panorama investigates itself | Diana, Princess of Wales | The Guardian

*1:例えば2012年のサッカーの欧州選手権Euro開催前の開催国ウクライナポーランドの「サッカーと人種主義」についての番組は、あらかじめ用意されたストーリーに合わせて仕立てられたグロテスクなものだった。

*2:ジョン・ウェアがどのくらいガチな報道記者であるかは https://www.theguardian.com/politics/2020/jan/22/bbcs-john-ware-to-sue-labour-over-panorama-investigation-into-antisemitism などをご参照のほど。 

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同等比較 (as ~ as ...), 省略, help+動詞の原形, 【ボキャビル】one's love for[of] ~, as long as ~ can rememberなど(フランクフルトの名物サポーターはホロコーストの生き残り)【再掲】

このエントリは、2020年1月にアップしたものの再掲である。

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今回の実例はTwitterから。ただしやや変則的に、ツイート本文と、映像についている英語字幕を見る。

ドイツに、「ドイチェ・ヴェレ (Deutche Welle)」という国際放送局がある。ドイツ国内でドイツ語で語られることを、ドイツ国外に、英語やフランス語、スペイン語などでも伝えている報道機関で、英BBCの「BBC World」のようなものだ。「DW」の略称をシンプルにデザインしたロゴは見たことがあるという人が案外多いのではないかと思うが、Twitterではドイツ語のアカウントが@DeutcheWelle, 英語のアカウントが@dwnewsなどとなっている。後者は、欧州情勢に興味がある人はフォロー必須のアカウントのひとつだ。

twitter.com

この媒体の関連アカウントのひとつが、スポーツニュース専門の@dw_sportsだ。ドイツ語ではなく英語で運用されており、サッカーの代表のニュースやブンデスリーガのニュースはここをチェックするといろいろと話が早いという感じ。

今回の実例は、1月27日の「ホロコースト記念日」のこのアカウントのツイートから。

ツイート本文の下に映像が入っている。音声はドイツ語だが、英語字幕がつけられているので、それを見てほしい。

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論理展開を押さえて読む, SVOCの構文, 時制の一致, whether節(名詞節), if節のない仮定法, 形式主語など(75年目のホロコースト記念日)【再掲】

このエントリは、2020年1月にアップしたものの再掲である。

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日本では語られもしないので知られていない(私自身も長いこと知らなかった)が、1月27日はアウシュヴィッツ収容所がソ連軍によって解放された日(1945年)である。例年、現地では大規模な式典が行われ、世界的には「ホロコースト記念日」となっている。

この日、Twitterでは「ホロコースト記念日」を表す#HolocaustRemembranceDay#HolocaustMemorialDayハッシュタグ*1や、#NeverAgain, #NeverForgetという標語のハッシュタグがTrendsに入るのが毎年の光景だ。

今年は、Twitter上には、ユダヤ人の「歴史を語り継ごうとする意志」よりも、イスラエルナショナリズムイスラエル国外の支持者のものも含めて)が非常に色濃く出ているように感じられたが(ネタニヤフが昨年の選挙で勝てなくて政治的にあれこれやってる最中であることとか、ネタニヤフが刑事訴追を何とか回避しようとしていることとかが影響しているのかもしれない)、この話題について何かを書くときに「イスラエル国」をスルーすることはできないのかもしれないということは認識しつつ、ここで私はイスラエルとは直接関係を持たない立場から、ホロコーストを語る言葉を取り上げたいと思う。ホロコーストが、アウシュヴィッツやトレブリンカから遠く離れたところにまで影響を及ぼしていた(いる)こと、それが「ヨーロッパ」の歴史の一部であることを知ることは、日本国内でのあまりに軽薄で軽々しくて尊大で、敬意のかけらもない否定論(否認論)をひとりひとりが無視するための足掛かりになるはずだ。

 

英国にはユダヤ人(ユダヤ教徒)は少なくない。シェイクスピアの『ヴェニスの商人』に明らかなように、ユダヤ人はずっと昔から英国にいたが、1930年代終わりから40年代はじめにかけて、欧州大陸から逃げてきた人々とその子孫も多い。そしてそういう人々はまず例外なく、親族を大陸でホロコーストのために失っている。「祖父と祖母は脱出できたが、その両親や兄弟姉妹は強制収容所に送られて殺された」といった非直接的な形でホロコーストの経験を持つ人々は、とても多い。

また、欧州大陸がナチス・ドイツ反ユダヤ主義政策によって塗り替えられるようになる前から英国に住んでいたユダヤ人も、ドイツやベルギー、フランスなど大陸に住んでいた親類縁者がホロコーストで殺されている。

そして、もしもナチス・ドイツが英国を占領していたら、彼ら「英国のユダヤBritish Jew」も絶滅収容所送りになっていたことは確実だ。

経済分野を専門としてきて、現在では民放ITVの政治部エディターであるジャーナリストのロバート・ペストンは、第二次大戦が終わってから15年後の1960年にロンドンに生まれた。親もロンドンで生まれているので、ホロコーストとの直接的なつながりは、例えば労働党デイヴィッド・ミリバンドエド・ミリバンド兄弟(お父さんのラルフ・ミリバンドがベルギーから脱出してきたユダヤ人難民)ほどにも強くない。ペストン家の人々はユダヤ人とはいえ信仰を強く持っていたわけではなく「文化的ユダヤ教徒」だそうだが*2、それでも、大陸のユダヤ人たちに起きたことを他人事とは扱えない。そういったことを、「アウシュヴィッツの解放」から75年となる今年、、彼は「ジューイッシュ・ニュース」というロンドンのBritish Jews向けメディア(現在はイスラエルの「タイムズ・オヴ・イスラエル」紙傘下らしい)に短い記事を寄せている*3

 

 

*1:英国では後者を名称としたトラスト(基金)があり、ハッシュタグに絵文字が添えられるようになっている。

*2:「文化的〇〇教徒」はうちら日本人のいう「葬式仏教徒」みたいなもので、キリスト教でもイスラム教でもユダヤ教でも何教でもありうる。日本の「葬式仏教徒」も「文化的仏教徒」と名乗ればよいと思う。

*3:ペストンのこの記事は、このメディアに彼が持っている「個人ブログ」の1本目の記事となっている。今後、ペストンはここにも書くようになるのかもしれない。

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if節のない仮定法過去完了, 仮定法過去, など(「スーパーリーグ」騒動)

今回の実例は、報道記事から。

報道機関には、新聞・雑誌やテレビのように、自分たちの社で取材したものを自分たちの媒体で記事や映像で読者・視聴者に届けるもののほかに、取材したものを新聞・雑誌など他の媒体に提供するものがある。後者は「通信社」と呼ばれ、国際的な通信社としては、ロイター、ブルームバーグ、AP (Associated Press) などがある。日本では共同通信時事通信が有名だ。

通信社の配信する記事は、掲載媒体でその旨、クレジットがつく。例えば下記は産経新聞ウェブ版に掲載されている記事だが、共同通信のものである(こういう記事について「産経新聞の記事」と言ってしまうと間違いになるし、「産経新聞の報道」でも微妙になる。「産経新聞に掲載された共同通信の記事」と言うべきである)。日本語の報道ではこのように、記事末尾に「(共同)」などと記されることがよくある。

f:id:nofrills:20210423160502p:plain

https://www.sankei.com/world/news/210423/wor2104230005-n1.html

一方、ウェブ上の英語圏では、通信社の記事のクレジットは、記事ページの上の方、見出しとリード文のすぐ下のところに、日付などと一緒に記されていることが多い。下記は、エジプトの「アル・アハラム」という英語媒体に掲載されたAFP通信の記事である。

Twitterでアル・アハラムのアカウントが次のようにフィードしているのだが: 

この記事を「アル・アハラムの記事」と言うのは間違いなので、注意されたい(「アル・アハラムに掲載されたAFPの記事」である)。

f:id:nofrills:20210423160843j:plain

https://english.ahram.org.eg/News/409806.aspx
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倒置, of + 抽象名詞, 接触節, 過去分詞の後置修飾 (スーパーリーグに対する日本のファンの反応を伝える英語ツイート)

今回の実例は、Twitterから。

いきなり「12クラブが署名しましたよ。ファンのみなさん、楽しみが増えてよかったですね」って話になってて、実際の現場の責任者であるチームの監督たちが「いや、そんな話、全然聞いてなかったっすね」「報道で知りました」と反応し、一般のサポーターから往年の名選手たち、さらにサッカーになど関心がないやんごとなき階級のボリス・ジョンソン首相までが一丸となって明確に反対の意思を示したことで、例の「欧州スーパーリーグ」は秒殺されたようだが(イングランドの6クラブが全部抜けてしまったし、ドイツのブンデスリーガの某強豪をはじめとする未参加のクラブがいくつも参加しないと言明しているので、リーグとして成立しない)、レアル・マドリのペレス氏は「なあにまだまだ終わらんよ」と意気軒高なようだし、実際、オーナーたちにああいう発想を持つに至らせた原因というか環境は何も「解決」されていないので(UEFAUEFAである)、いずれまたゾンビのようによみがえってくるのかもしれない。

というわけで、各クラブも声明を出したし、いくつかは解釈の余地のないほど率直に「ごめんなさい」しているし、ひとまずは一件落着の感じだが、「これで終わった」と考えるのも楽観的過ぎるかな、というところだろう。

さて、この騒動がピークにあったころ、「スーパーリーグ」の12クラブのうち半数の6クラブを出してしまったイングランドでは、「パンデミックによる収入減をカバーしなければならないビッグクラブは、自分たちのポテンシャルを最大限に引き出して挽回する必要があり、そのために、世界中に名の知れたビッグクラブ同士の対決が頻繁に楽しめるスーパーリーグならば、世界各国に放映権が売れて、何もかもうまくいく」的な絵に描いた餅が喧伝され、ほとんど誰も聞く耳など持っていなかったかもしれないが、「欧州の外のサッカーファンは、とにかくレアルとユーベとシティを見たがっている」的な雑な話になっていたようだ。

そういう雑な話が「常識」みたいになってしまうのを防ぐためには、SNSという、個人の発言で構成される場はとても有効で、何か意見があればとにかく書いておくだけでも少しは違ってくるだろう。

今回の実例は、日本でのそういった個人の声に直接、言語障壁なしに接することができるスポーツライターベン・メイブリーさんのツイートから。ベンさんは英国出身で、大学で日本文化を研究し、大阪府に住んでスポーツ番組でコメンテーター・解説者として活躍している。Twitterは必要に応じて日本語と英語の2言語で書かれているが、今回みるのは英語での文面(そりゃそうだ、このブログで日本語の文面を取り上げることはブログのコンセプトから外れてしまうのだし)。

このツイートの宛先(メンション先)は、英(イングランド)のガーディアンの記者である(ベンさんはガーディアンにも寄稿している)。 文法の実例として見るのは、最初の呼びかけのあとの第一文。

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同格のthat, 未来完了 (米軍が撤退したら、アフガニスタンは)

今回の実例も、前回見たのと同じ解説記事から。

2001年9月11日の「同時多発テロ」を受けて、「ネオ・コンサーヴァティヴ(ネオコン neo-con)」と位置付けられる政治家たちが中心的存在だった米国のブッシュ政権が開始した「テロとの戦い war on terror」を、米国最大の同盟国である英国の公共放送BBCの安全保障(つまり軍事)担当記者として、非常に近いところから、またそのただ中から取材して伝えてきた元英軍人のフランク・ガードナー記者が、20年目の米軍撤退という発表を受けて書いた記事である。
記事はこちら: 

www.bbc.com

前回は記事の中ほどのところを見たが、今回はさらにその先の箇所から。

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《年号+see》の構文, 感覚動詞+O+過去分詞, 比較級 + than + any other ~ (米軍とアフガニスタンでの20年間)

今回の実例は、時事的な解説記事から。

先週、米国のバイデン大統領が、今年の9月11日までにアフガニスタンから米軍を撤退させる方針を示した。米国が前政権でタリバンとの「和平」とやらを結んだときには、2021年の5月が撤退期限とされていたのだが、それが少し遅れていて、それでも、2001年9月11日の、日本語圏では「米(アメリカ)同時多発テロ」と呼ばれているあのテロ攻撃から20年となる今年の9月の11日までには撤退させる、ということである。

現在20代前半か、それより若い方にとっては、「2001年9月11日」と言われてもピンとこないだろうが、あの日、いつものように仕事していつものように帰宅していつものようにテレビをつけて、日本でのBSE発生やら(前日に千葉県で疑い例が出ていた)何やらといったトピックを追うために夜のニュースを見ようとしていた私を含む大勢の大人にとっては、一生忘れられない日付となった。

だが、テロ攻撃を受けた米国が、「テロの首謀者をかくまっている」と糾弾し、国際社会(つまり国連、特に安保理)を動かし、その圧倒的軍事力をもって攻撃した国、アフガニスタンでは、おそらく、遠く離れたアメリカで何が起きていたかを、それが起きたその日のうちに知っていた人はごくごくわずかだっただろう。むしろ、アメリカがどこにあるかを知っていた人だってそんなに多くなかったかもしれない。

そして10月8日(日本時間)には、アメリカ(を中心とする連合軍)によるアフガニスタンへの攻撃がニュースになり、それまでだってけっして平穏ではなかったアフガニスタンは、ますます暴力にさらされることになっていた。

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生した。12日、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領はテロとの戦いを宣言した。またこの中で、ターリバーン政権の関与が示唆され、ドナルド・ラムズフェルド国防長官はウサーマ・ビン=ラーディンが容疑者であり、また単独の容疑者ではないと発言した。また同日、第56回国連総会でも米国政府と市民に哀悼と連帯を表して国連も本部を置くニューヨークなどへのテロ攻撃に対して速やかに国際協力すべきとする決議56/1を当時の全加盟国189カ国が全会一致で採択し、国際連合安全保障理事会でも国際連合安全保障理事会決議1368が採択された。

この決議1368は9月11日のテロ攻撃を「国際の平和及び安全に対する脅威」と認め、「テロリズムに対してあらゆる手段を用いて闘う」というものであった。また前段には「個別的又は集団的自衛の固有の権利を認識」という言葉があり、これは同日にNATOが創設以来初めての北大西洋条約第5条の集団防衛条項による集団的自衛権の発動を決定する根拠となった。

……

10月2日、NATOは集団自衛権を発動し、アメリカ合衆国とイギリスを始めとした有志連合諸国は10月7日から空爆を開始した。アメリカ軍は米国本土やクウェート、インド洋のディエゴガルシア島航空母艦から発着する航空機やミサイル巡洋艦を動員して、アフガニスタンに1万2000発の爆弾を投下した。アメリカは軍事目標だけを攻撃していると発表していたが、実際には投下した爆弾の4割は非誘導型爆弾であり民間人に多くの犠牲が出たと言われている。

アフガニスタン紛争 (2001年-) - Wikipedia

それから20年。気が遠くなるようだが、20年。アメリカの「テロとの戦い war on terror」はその間ずっと続いてきた。

その経緯をずっと見てきた人々のひとりが、 BBC Newsで安全保障分野を担当するフランク・ガードナー記者である。1961年生まれで、若いころからアラビア語に親しみ、大学を出たあとは軍人となり、その後金融界に一時身を置いてジャーナリストとなった(いかにも英国のミドルクラスらしい経歴、ウィキペディアを読んでみてほしい)。2001年9月11日以降は「テロとの戦い」を取材し、アフガニスタンでも何度も現地からの報道を行っている。2004年6月にサウジアラビアで銃撃テロにあって下半身が不随となり、以降は車いすを使うようになったのでロンドンのスタジオでの仕事が増えたが、その前は軍隊にエンベッドして最前線を取材してもいた。

そのガードナー記者が、米軍の2021年9月11日までの撤退決定を受けてまとめたのが下記記事である。最後の一文まで読んでほしい。この20年間が何であったのか。

www.bbc.com

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定冠詞と不定冠詞, 付帯状況のwithと過去分詞(「欧州スーパーリーグ」)

今回の実例は、報道記事から。

英国時間での日曜日、サッカーの「欧州スーパーリーグ」に12のクラブが参加を確定したというニュースが降ってわいて出て、私の見る画面上の英語圏はその話でもちきりという状態である(日本語圏はガースー訪米でもちきり)。それも、見渡す限り、だれも歓迎していない。

下記のガリー・ネヴィル(元マンチェスター・ユナイテッド)の「情けない」という激怒の発言は、クラブの垣根をこえて広くファンの間で肯定的にシェアされているし、報道記事でも多く引用されている。聞き取りは大変かもしれないが(マンチェスター弁なので母音が違う。大まかに言うと「ア」が「オ」になっている。"Enough is enough." は「イノフ・イズ・イノッフ」というように聞こえるはずだ)、聞いてみてほしい。

今回の「欧州スーパーリーグ」とは、上位層のクラブだけで入れ替わりを許さない形で組んで(政治の世界の「G7」みたいなものだ)、その中で観客も放映権も集めてうはうはやっていこうというもの。いわば「選ばれた人しか入れない会員制のクラブ」みたいなものだが、笑ってしまうのはその「上位層のクラブ」が、現在、(残念ながら)全然上位層でなかったりするところだ(上の映像でガリー・ネヴィルが言っている通り)。これらのクラブの共通点は「上位層である」というよりも「オーナーが外国の資本家」だったりということだ。つまり、欧州のいわゆる「フットボールという文化(フットボール・カルチャー)」と離れてきた「ビジネスとしてのフットボール」の運営者たちが、利益の最大化を画策している、と言ってよい。きっと「ビジネスとしては最適解」云々と擁護する人は、うんざりするほどたくさんいるだろう。

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the moment + S + V, O+S+Vの形の文, 条件を表すif節, 省略(テリー・ジョーンズを偲ぶ盟友たちの言葉)【再掲】

このエントリは、2020年1月にアップしたものの再掲である。

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今回の実例もTwitterから。

テリー・ジョーンズの死去を受けて、前回ジョン・クリーズ(居丈高キャラ、上官キャラ)のツイートを見たが、今回は同じく「モンティ・パイソン」の一員で軽薄キャラ、おしゃべりキャラとして地味キャラ、まじめキャラのジョーンズと組んだスケッチに印象的なものが多かったエリック・アイドルのツイートを。 

最初にこれを読んだとき、「すばらしい言葉だなあ」と思った。芸能人の不倫でも、公費を受けることをやめることにした王族の「自身のブランド化」でも、小説家の「自分の好きな服装をして、自分の望む通りの人称代名詞を使ってほしいと言って、自分の望む相手と一緒になればいいけれど、性別というものは現実にある」というツイートでも、何かを見れば過剰に「わが事」にして憤激したりするのが当たり前という言語空間ばかり見ている目には、一服の清涼剤のようだ。こんなにはっきりと悲しみを表しながら、なおかつ「でも君たちは笑ってていいんだよ。そうできる立場なんだから」と言える人は、本当に人間性豊かで知性のある人だと思う。

というわけで、英語として見ていこう。

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形式主語itの構文, feelを使ったSVCの文, 【ボキャブラリー】a man of ~ (ジョン・クリーズによるテリー・ジョーンズ追悼の言葉)【再掲】

このエントリは、2020年1月にアップしたものの再掲である。

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今回の実例はTwitterから。

ジョン・クリーズは、亡くなったテリー・ジョーンズと同じく、英国のコメディ集団「モンティ・パイソン」の一員だった。モンティ・パイソンは6人の集団だったが、ジョーンズに先立つこと約30年、1989年にはグレイアム・チャップマンが48歳の若さで病死しているので、6人中2人を失ったことになる。そのことをクリーズは次のように述べている: 

最後の "Two down, four to go" は、「2人が倒れた。4人はまだこれからだ」という意味。あまり上品な言い方ではないというか、軍隊が敵の小隊をやっつけようとしているときに「2人は片づけた。残りは4人だ」と伝達しているような文体で、これはパイソンズでのクリーズの役回りにのっとった言い方をしているのだろうと思う。

ツイートの最初の方に戻って2文目: 

It feels strange that a man of so many talents and such endless enthusiasm, should have faded so gently away...

《形式主語》のitと、《真主語》のthat節という構造で、なおかつbe動詞ではなくfeelを使った《SVC》の文になっている。文意は、be動詞なら「~である」だが、feelが用いられていると「~な感じがする」ということになる。

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《トピック文》と《サポート文》の構造, 倒置 (映画『ノマドランド』と西部劇)

今回の実例は、映画評の文章から。

現在、日本でも劇場公開(ロードショー)中の映画『ノマドランド』。「ノマド」は定住しない遊牧民を指す言葉で、この映画は家に暮らすということをせず、車に寝泊まりして、収入源を求めてあちらからこちらへと移動して暮らす人々の中に入り込んで、その在り方を描き出すものだ。映画としての評価も極めて高い。先日、ゴールデングローブ賞の作品賞と監督賞もとったし、英アカデミー賞(BAFTA)でも何部門も受賞した。4月の終わりに授賞式が予定される米アカデミー賞(オスカー)でも主要部門でいくつもノミネートされている。監督はクロエ・ジャオ。中国出身で、高校以降は英米で過ごし、現在は米国で活動する女性の映画作家で、長編映画を撮り始めてまだ5年かそこらという、あらゆる点でアメリカのエスタブリッシュメントから離れた人である。原作は、こちらも女性のジャーナリストであるジェシカ・ブルーダーの著作『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』(原題はNomadland: Surviving America in the Twenty-First Century)で、原著は2017年、春秋社からの日本語訳は2018年に出ている。 

ノマド 漂流する高齢労働者たち
 

www.youtube.com

私自身は、不要不急の外出を取りやめていたりするので、まだ見ることができていない。移動を自転車にして、他人との接触を最小限に抑えられる形で見に行くことは可能ではあるのだが、そうやって予定していると雨で自転車が使えなかったりしている。

さて、日本でも「場所と時間に縛られないノマドワーカー」なる概念がここ数年で定着しているし、「ノマド」という言葉には何か特別にポジティヴなイメージがあるかもしれないが、以前からある日本語を使えば「放浪者」「根無し草」だ。「どこの馬の骨とも知れない奴」である/になることだ。

たとえ表現が「根無し草」であっても、「放浪」はメインストリームでは、何かこう「男のロマン」的なものとして受け取られてきたわけで、『ノマドランド』も「男たちの物語」であったならば、たぶん今の私は「わざわざ映画館まで行くのもたるいし、配信レンタル待ちでいいや」と思っていただろう。だが、この映画は、原作も女性ジャーナリストなら監督も女性映画作家、主演もフランシス・マクドーマンドという女性の俳優(それもとびきりかっこいい女性の俳優)だ。だから「ああ、これは見に行かないと」と思っているのだが、先日ガーディアンに掲載されていた映画評を読んで、ますますその感を強めている。

というわけで、今回の実例はこちらの記事から。映画評、つまり文芸評論なので、読むのは結構大変かもしれないが(「西部劇」のイメージを知らないと、読んでもさっぱりわからないだろう)、一般紙に掲載されているレベルだから、評論としてはさほど難しくはない。

www.theguardian.com

まず記事の表題からしてハードルが高めだ。

”myth" という語については、当ブログでは何度か取り上げているが、「ギリシャ神話」とか「建国神話」で使う文字通りの「神話」という意味の他に、「事実ではないが、体系的な物語みたいになっているもの」という意味があり*1、日常で "It's a myth." などと言われるのは後者の意味である。この記事の表題にある "It's an utter myth" は「それは完全な神話である」と直訳できるが、つまりは「完全な作り事で、事実とはまったくかけ離れている(が多くの人が信じている)」という意味である。

"the western" は、大文字を使って the Western と書くことも多いのだが、「西部劇」の意味。ここで「西部劇」という言葉すら通じないという現実もあるのだが(もう10年以上前に高校生から「セイブゲキって何ですか?」と聞かれたことがあるのだが、だいたい私の世代でも「西部劇」は何となくぼやっと知ってる程度だろうし、詳しい人はよほどの好事家だろう)、「1860年代後半・南北戦争後のアメリカ西部を舞台に、開拓者魂を持つ白人を主人公に無法者や先住民と対決するというプロットが、白人がフロンティアを開拓したという開拓者精神と合致し、大きな人気を得て、20世紀前半のアメリカ映画の興隆とともに映画の1つのジャンルとして形成された」という日本語版ウィキペディアの解説を読んでおくだけでも、何となくのイメージはできるだろう。

今回読むこの映画評は、この映画は「西部劇」という「アメリカの神話」の批判的な変奏である、という主旨のものだ。

*1:日本語でも「安全神話」などという形で使われている「神話」はこの意味である。

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《have + O + 過去分詞》の構造を、書いてある通りに読む、ということについて。

今回は、前回の続き。前回は前置詞のintoを勝手にtoに読み替えてしまい、原文にない情報を勝手に付け足してしまった(つまり、英語で書かれていることを書かれている通りに読めていない)誤訳を取り上げたが、今回はより「受験英語」寄りの、ど真ん中の文法項目である。

英語のいわゆる「5文型」のうち、第5文型、すなわち《SVOC》は、自分で英語ができると思い込んでいて翻訳なんかにも手を出してみちゃったりすると、実は全然わかっていない(読めていない)のでとんちんかんな訳文を作成してしまいがちな文型である。ごくごく初歩的な、"I call my cat Omochi." (「私は自分の猫をおもちと呼んでいます」)とか、"This song makes me happy." (「この歌は私をハッピーにする」=「この歌を聞くとハッピーな気分になる」)のようなものがこなせないということはさすがにないだろうが、まずはこの基本を再確認しておくことが必要である。《SVOC》の文型においては、「O=C」が成り立つ。ここで出した2つの文でいうと、"my cat" = "Omochi" であり、"me" = "happy"である。

さて、《have + O + 過去分詞》という構文がある。日本語にするときは、文脈によって、「Oを~させる」「Oを~してもらう」「Oを~される」と3通りの訳し方があるのだが、この構文を英語として英語で考えると「どう訳すか」は関係がなく、この構文でも「O=過去分詞」が成り立つということが重要だ。例えば、"He had his watch repaired." (「時計を修理してもらった」)では "his watch" = "repaired" である。

ここで気をつけねばならぬのが、"He had his watch repaired."  という文では、repairするのは(文の主語の)heではない、ということである。

さらに言えば、repairするのが誰であるかはこの文では度外視されている。この文のポイント(言いたいこと)は「時計がrepairされた」ということで、誰がrepairしたかはポイントではないのだ。

というわけで、ここで今回の実例。

Royal brides married at the Abbey now have their bouquets laid on the tomb the day after the wedding and all of the official wedding photographs have been taken.

The Unknown Warrior - Wikipedia

少し長めの文だが、"the day after" から後は《時》を表す副詞節だから、文の構造を確認する段階では外してしまっておいて構わない。 

朱字で示した部分は、過去分詞のmarriedによる《後置修飾》で、直前の "Royal brides" にかかっている。「(ウエストミンスター)アベイで結婚した王室の花嫁たち」の意味だ。

さて、下線部で示したところが、《have + O + 過去分詞》の構造になっていることは、見ただけでわかるだろう。というか、これが見ただけでわからないレベルならば、翻訳に手を出すには早すぎる。

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"on her way into the abbey" を「アベイへ赴く途中の路上で」と解釈してしまう程度の英語力で、翻訳などしないでほしい。たとえウィキペディアであろうとも。

今回は、少し変則的に、英語で書かれていることを書いてある通りに読み取ること、余計なものを付け足して解釈しないことについて。「たかが前置詞、されど前置詞」という話でもある。

前々回の当ブログ記事で、英国のエリザベス女王の配偶者(王配)であるエディンバラ公の死去について扱った際、エリザベス女王のお母さん(エリザベス王太后)について、日本語版のウィキペディアをリンクした。そのときに開いてあったタブを(ようやく)閉じようとしたときに、ついでに生没年など基本情報以外のところも読んでみるかと、ごはん食べながら読んでいたときに、とても奇妙な記述に気づいた。下記、ウィキペディア独特の脚注の数字の部分を除去して、私の見た版(その時点での最新版)から引用する。

アルバートとエリザベスは1923年4月26日にウェストミンスター寺院で結婚式を挙げた。ウェストミンスター寺院へ赴く途中でエリザベスは、第一次大戦で戦没した兄ファーガスを偲んで、路上にあった第一次世界大戦戦没者を悼む無名戦士の墓 (en:the Unknown Warrior) に、手に持っていたブーケを突然捧げた。これ以来、王族の結婚式では、結婚式後に花嫁がブーケを無名戦士の墓に捧げることが伝統となっている。

エリザベス・ボーズ=ライアン - Wikipedia

「ブーケを突然捧げた」という日本語が相当不自然だったりすることに意識が向いてしまうかもしれないが、ここで見るのはその点ではない。「ウェストミンスター寺院へ赴く途中で……路上にあった第一次世界大戦戦没者を悼む無名戦士の墓に」の部分である。

英国について少し詳しい方や、何となくであってもウエストミンスター修道院ウィキペディアでは「寺院」の表記を採用しているが、Abbeyなので文字通りには「修道院」である*1)についてご存じの方、また、前回ウエストミンスター修道院で行われた王族の結婚式(ウィリアム王子とケイトさん)をじっくり見ていた方ならお気づきかもしれないが、「第一次世界大戦戦没者を悼む無名戦士の墓」は「路上」になどない。

ウエストミンスター修道院の建物の中にある。

そんなことは、上に引用した日本語版ウィキペディアにご丁寧に記載されている "en:the Unknown Warrior", つまり「無名戦士の墓」についての英語版ウィキペディアの項を見れば、わかることである。

He was buried in Westminster Abbey, London on 11 November 1920

The Unknown Warrior - Wikipedia

太字で示した前置詞の "in" は「~の中に」だ。「1920年11月11日、彼(無名戦士)はウエストミンスター修道院中に埋葬された」のである。

*1:この表記論争は泥沼なのでうっかり踏み込まないほうがよい。ちなみにWestminster Abbeyはイングランド国教会の施設だが、同じ通りを少し西に行ったところにあるWestminster Cathedralはカトリック教会の施設で、これが日本語では「ウエストミンスター大聖堂」と呼ばれている。

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