Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

sacrificeの語義は「犠牲を払う」か? (バッハIOC会長発言をめぐって)

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今回は、予定を変更して、今ホットな話題について(もう過去の話かもしれないが)。例のIOC会長による「犠牲」発言である。ちなみに原文では "We have to make some sacrifices to make this possible." である。

最初にお断りしておくと、個人的に五輪には関心がないので五輪に関する情報を入れようとしておらず、それどころか、積極的に見ないように環境を作ってあって、Twitterでは「五輪」やそれに類することばは、日本語でも英語でもミュートしてある。加えて、昨日5月24日は暑さにやられて全く使い物にならない状態だったので、この発言が昨日までに話題になっていたことは何となく把握していたが、まともに調べたのは、今日25日になってからだった。

なお、以下は分析の結果の私の解釈を示すものであり、「これが唯一絶対の正しい解釈」とするつもりは毛頭ない。解釈は多様だと思う。

[目次]

 

sacrificeの語義は「犠牲を払う」か?   

24日の段階で最初に把握していたのは、「バッハ会長が『みんなが犠牲を払うべき』と発言した」ということ。Twitterでどなたかが書いておられるのが流れてきたのでリツイートしたのだが、実際にsacrificeという語が使われていたということだった*1

sacrificeはさほど難しい語ではないので単語としては知っている方が多いのではないかと思うが、実際にそれがどういうふうに日常生活の中で使われるかは意外と知られていないかもしれない。日本語でも「犠牲にする」が「神の祭壇に捧げる」や「人身御供にする」的な原義から転じて日常的な場面で用いられることはあるが(例えば「睡眠を犠牲にして、連続ドラマを一気に見た」のように*2)、英語でも同様である。ここでネット上で見ることができる英英辞典で確認してみよう。

sacrifice ~ = give up ~

まず、CambridgeのAmerican English辞書より:  

to give up something for something else considered more important:

He sacrificed his vacations to work on his book.

https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/sacrifice

「より一層重要と考えられるもののために、何かを諦める」という語義で、「本の執筆をするために休暇を断念した」という例文が添えられている。

Collinsはさらにわかりやすい。最初に出ている語義がこれだ。

If you sacrifice something that is valuable or important, you give it up, usually to obtain something else for yourself or for other people.

https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/sacrifice

「何か価値のあるもの、あるいは重要なものをsacrificeするとは、通例、何か他のものを自分に、あるいはほかの人のために得るために、それを諦めることである」といった定義である。

他、OxfordであれLongmanであれ、あるいは米語でMerriam-Websterであれ何であれ、辞書を参照すれば、必ず、この "give up" という定義が出てくるはずだ。

シソーラス(類義語)辞典はもっと興味深い。"sacrifice" という動詞そのものの定義として、"give up, let go" と出ている。「諦める、手放す」という意味だ。

f:id:nofrills:20210525220503p:plain

https://www.thesaurus.com/browse/sacrifice

だから私は、この発言について、ソースを確認してすぐに、"We have to make some sacrifices to make this possible." は、「諦めなければならないことも一部ある」という意味だろうとツイートした。(これをさらっと、「犠牲にする」ではなく「諦める」と訳せるのが翻訳者です。訳した結果の日本語文しか読まない人は、こういう水面下の格闘には気づかないでしょうけれど、それでいいんです。でも翻訳者はこれを「犠牲にする」と訳していては務まらないはず。)

この局面で sacrifice という言葉を使う感覚が理解できないというのはとても強くある。ドイツ人であるバッハにとって英語は第二言語だから(でも英語の運用力は「ネイティブ並み」でしょう)、"give up" みたいな英語らしいこなれた表現より、"sacrifice" というラテン語系の単語の方が使いやすかったのかもしれないし、そこはあまりとやかく言うべきではないのかもしれない。だが、ここでの単語のチョイスが、「犠牲にする」と怠惰な直訳をしただけの日本語圏だけではなく英語圏でまでも、反感を買う原因になっていることも事実だ。

 

主語がweであることの意味

さらにバッハ発言のこの文、主語がweである。"We have to make some sacrifices to make this possible." とバッハは述べている。このweが誰のことなのかという問題も出てくるのは当然なのだが、そこにこだわりすぎたりそこで深読みしすぎたりしてもよくないのではないかと私は思う。

一方で、この発言のなされた場は、IOCとは別のスポーツの国際団体の会議であり、この発言のweが「会議に招かれたIOC会長が、IOCのことを身内として扱っているwe」なのか、「会議出席者も含めてみんながwe」なのか、という疑問も出てくる。

いずれにせよ、発言の場を考えれば、日本は蚊帳の外であろう。発言の場はIOCの会議ではなくホッケーという競技の国際連盟の会議で、ホッケーの団体の会議にゲストとして招かれたIOC会長が "we" と述べるときに指しているのは、普通に考えればIOCだろう。

仮にこの主語がweではなくtheyだったら、「我々は安泰だが、彼らは我々に奉仕するのだ」みたいなことを言ってるということで、「『彼ら』というのは日本人のことか」と大炎上になって当然だが。

※「カンファレンス」ではなく「コングレス」でした。すみません。

 

ここまでが、私の初期段階の反応である。

このあと、しばらくしてから訳文がひらめき、ようやくまともに調べものをしたときの連ツイが下記である。この連ツイを読みやすく整形してこのブログに書こうと思っていたのだが、あいにく、そのエネルギーがないので、ツイートのまま埋め込んでおく。読みづらくて申し訳ない。

このhave to sacrificeは「我慢しなきゃ」ではないか?

 

代名詞をどう解釈するか。

検索して原文を見つける方法。

※ここで「インドの媒体」と書いてるのは、この記事がPTIという通信社の配信であることを見落としたものです。My bad, again. 

記事を書いた記者によるリフレーズ(言い換え、書き換え)の問題。

さらに、他媒体での受動態の導入。

PTIの記事以上に元発言を確認できるソースが見当たらない。 

記事の英語が微妙……。

反感を抱かせる記事であることは確か。

※あと、「選手が万全の状態で競技に臨むことができないかもしれないということ」(大会前の合宿がなくなって、日本の夏というめちゃくちゃな気候に合わせた調整が十分にはできないだろうとか)などもバッハは含意しているかもしれない。

 

以上、雑なまとめですがこんなところで。

 

※今回、当ブログの文字数上限を無視しているので、11200字。

 

 

歴史をかえた誤訳 (新潮文庫)

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*1:あとから見返したら、この時点ですでにソースURLが示されていたが、その時は半分寝ている状態だったのでソースを見落としていた。

*2:よりこなれた表現では「寝る間も惜しんで連ドラを一気に見た」と言うかもしれないが。