このエントリは、2020年11月にアップしたものの再掲である。
-----------------
今回の実例はTwitterから。
米国の選挙(大統領選がメインだが、議会選挙も同時に行われているし、各州の住民投票も行われている)の投票が現地3日に行われた。米国は国内で時差(複数のタイムゾーン)があるし、細かく見るのは大変だが、時差を見ながら情勢を追いたい場合は先日書いたエントリを役立てていただきたい。
hoarding-examples.hatenablog.jp
さて、というわけで日本時間では4日の午前中からずっと開票速報が続いているが、今回の実例はそういった「速報」のツイートの中にあった「速報」でないものから。こちら:
Hourly reminder: if America had a simple national voting system, Biden would already have won. The electoral college is a burst appendix that haemorrhages worse with each cycle.
— Edward Luce (@EdwardGLuce) 2020年11月4日
ツイート主は英国の経済紙フィナンシャル・タイムズのアソシエイト・エディターで、元ワシントンDC支局長のエドワード・ルースさん。拠点は米国である。
最初の "Hourly reminder"は、Breaking(「速報」)とかExclusive(「本誌独占」)と同じくこのツイートのラベルのようなもので、ツイート主のルースさんが1時間に1度投稿しているリマインダーだということを告げている。こういった語句と本文は、《コロン (:)》で区切り、そのあとは小文字で始める。
そしてそれに続くこのツイートの第一文は、見ただけでわかる通り、《仮定法》の文である。だが少し変則的だ。
if America had a simple national voting system, Biden would already have won.
最初のif節は "had" という形なので《仮定法過去》だが、主節が "would have won" と、一見《仮定法過去完了》のようになっている。
この形の文については、8月に取り上げたことがある。そのときの説明文をコピペすると:
if節の中が "he was" と《仮定法過去》で、主節が "would have done" と《仮定法過去完了》になっている。
逆のパターン、つまりif節が仮定法過去完了で、主節が仮定法過去の例は学校でも習うのだが、この形は習わないのではないかと思う。
if節が仮定法過去完了で、主節が仮定法過去というパターンは、「もしもあのときに~していたら、今、……でないのに」ということを言う型で、日常生活にありがちである。「今朝、あと5分早く起きていたら、今、電車に間に合ったのに」とか、「昨日、あんなにたくさん食べていなかったら、今、腹痛に悩まされていなかったのに」とかいったわかりやすいパターンだ。
一方で、今回の実例のように、if節が仮定法過去で、主節が仮定法過去完了というパターンは、そのようなわかりやすさはない。「今~なら、あのとき…でないのに」ということは、SF小説ならともかく、現実にはありそうにない。
これは、主節の仮定法過去完了は、直説法にしたときに《過去》になるものではなく、《現在完了》になるものだ、という状況で生じる。
今回も上の引用の例と同じように、ぱっと見《仮定法過去完了》に見える箇所は、本来仮定法過去完了が表す「過去についての反実仮想」を表しているのではなく、元々が現在完了だったものが仮定法で過去完了になっている。つまり、今回の実例の文を直説法に書き直すと次のようになる。
仮定法: if America had a simple national voting system, Biden would already have won
直説法: as America don't have a simple national voting system, Biden has not won yet
文意は、直訳すれば、「もしもアメリカが単純な全国規模の投票制度を有していれば、バイデンはすでに勝利しているであろう」。
米大統領選は、日本語圏でも大きく報じられているように、単純な投票の制度ではない。米国全体の大統領を決めるのに、一度州ごとの集計を介在させる形で、各州で過半数の票を得た候補が、その州に割り振られている票数(実際には「選挙人」の人数だが)を全部取るという、とても古めかしい、いわば前近代的なシステムである。
選挙人が18人のある州で、A候補が51、B候補が49という比率で得票したとき、A候補が選挙人(全国レベルでの「票数」)を10人獲得し、B候補が8人を獲得する、という制度ならば、「民意」は反映されていると言えるかもしれないが、米国の制度ではこの場合、かろうじて過半数の51を得たA候補が、その州の選挙人18人全員を得る、ということになる。
この制度を変えないことにはアメリカの政治は複雑な現代社会を反映できないという指摘は、私はごくごくわずかしか見たことがない。
今回実例として見たエドワード・ルースさんのツイートには、次のような反応がある。
If we lived in a democracy https://t.co/hOCzuozB1y
— Philip Gourevitch (@PGourevitch) 2020年11月4日
私は頭がこうなので「うはー、仮定法に仮定法で返している。仮定法で畳みかけてて、おっしゃれー♪」とか思ってしまうのだが、フィリップ・ゴーレイヴィッチさんのこれは非常に悲痛な内容だ。
この仮定法を直説法に直してみよう。
仮定法: If we lived in a democracy
直説法: As we don't live in a democracy
現状、アメリカはデモクラシーとはいえない、ということだ。そしてそれはこの「選挙人」という前近代的な制度を保持し続けていることによるという問題意識を、ゴーレイヴィッチさんはルースさんと共有しているのだろう。
フィリップ・ゴーレイヴィッチさんは1994年のルワンダのジェノサイドに関する仕事で特に知られるジャーナリスト。日本語訳もある。すごい本だから読んだ方がいい。人間にはどういうことが可能なのか、どこまでやってしまえるのかということを、知っておいた方がいい。それを知るためには日本国内にもいろいろな実例があるのだが(関東大震災のときの朝鮮人虐殺など)、国内の事例だと政治的な思惑でその事実を否定したい人たちがノイズをまき散らし、そればかりかそのノイズが「真実」であると言い張っている大会会場みたいなところが、ネット上ばかりか書店にまで存在していてややこしいので、純粋に「人間にはどんなことがやれてしまうのか」を知るには日本国外でのことを取材した翻訳書のほうがいい。ただしこれは「日本に生まれてよかった」という似非の安心感を生じさせてしまうリスクもあるが。
We Wish to Inform You That Tomorrow We Will Be Killed With Our Families (Picador Classic)
- 作者:Gourevitch, Philip
- 発売日: 2015/01/28
- メディア: ペーパーバック
※3490字
参考書: