今回の実例は、報道記事から。
日本語でもいくらかは報道されているようだが*1、5月の第一木曜日(今年の場合は5日)、英国各地で恒例の地方選*2が行われ、その中に北アイルランド自治議会 (the Northern Ireland Assembly) の議員選も含まれていた。
北アイルランド自治議会について、基本的な情報は英語版ウィキペディアを参照されたい。日本語版の記事もあるが、どういう理由でか、1998年の和平合意(ベルファスト合意、もしくはグッドフライデー合意; 以降「GFA」)でのシステムである現在の自治議会 (Assembly) と、北アイルランド紛争中の1972年に停止された、1921年北アイルランド成立時からの自治議会 (the Parliament of Northern Ireland) とを同一のページで扱っていて、非常に微妙な感じなので、お勧めしない。
ちなみに議会のシンボルマークの青いお花は、亜麻(リネン)。そう、「アイリッシュ・リネン」である。かつてリネンはアルスターの主要産業だったが、これは紛争でのあの「プロテスタントか、カトリックか」という対立構造を思わせない数少ない地域のシンボルだから、GFA後の議会を表象するものとして選ばれた。
アルスターのリネンの伝統は今も残ってはいるが、製品を見るとMade in Chinaになっていたりもする。
閑話休題。
今回みる記事はこちら、投票日前日に出たもので、当日の注意事項についての短い記事だ:
そう、現地からの報道写真などではもはや誰もマスクを着けていないのであるが、今はまだ新型コロナウイルスのパンデミックの真っただ中であり、マスクという簡単な装具は、このウイルスによる感染を防ぐために大いに効果がある。日本で暮らしているうちらにとっては当たり前のこれが、元からマスクなんてものに反感のようなものを抱いている欧米各国では、ワクチンの普及と同時に忘れ去られた感がある*3。
そんななか、北アイルランドでは、選挙管理委員会が「投票所へお越しの際は、どうかみなさん、マスクを装着してきてください」と呼びかけている、というのがこの報道のメインの内容である。
さて、この記事の見出しと書き出しとを見てみよう。
薄い青でぐにゅぐにゅと書き込んであるが、見出しでは "wear masks to polling stations," 記事書き出しのリード部分では "wear masks at polling stations" となっている。
というところで、今回の表題である。
「投票所でマスクを装着すること」は "to wear masks to polling stations" か "to wear masks at polling stations" か。
ばりばり受験英語を叩き込まれている私としては、ここの前置詞はatしかありえないと思う。というか思っていた。このBBC記事の見出しを見るまでは。
だってさ、テストでバツつけられたじゃん、下記のようなことを書くと。
He went fishing △ to the river.
これは、「正しく」は次のように言う、と、がんがん減点されながら覚えたじゃん。
He went fishing 〇 in[at] the river. *4
なぜなら、とあのとき、英語の先生は高らかに言い切った――みなさんは、goといったらtoと覚えているから、go -ing to ~と言いたくなるかもしれませんが、この場合、意味のまとまりはgo to ~ではなく、go -ingと-ing in[at] ~ということになります。これが合体して、go -ing in[at] ~となるのです。もしもここでtoを使うと、「魚釣りをしながら川まで行った」ことになってしまいます……――と。道路を歩きながら道路で魚を釣っているという奇妙な光景を何とか正当化しようとして、道路沿いに小川(というかドブ川)が流れている場合もあるではないかと強弁したクラスメートもいたが、「川に魚釣りに行った」というのは、「川についてから魚釣りを始めた」ということを含意しているのだから、そのような無理な解釈はこじつけにすぎない上に、もともと言っていることとずれてしまう、と先生はにこやかに言った。
私はそれを一生懸命に覚えた。丸暗記した。丸暗記して繰り返した。人にもそう教えた。ずっとそうしてきた。
それが突き崩されたのである、この見出しに。
「なんじゃこりゃ」と目が点になるよね。「投票所に行くまでの道中、マスクを着けましょう」って? 屋外ではマスクは装着しなくってもいいわけで*5、こんなナンセンスなことは選挙当局が言うはずがない。
そして、目を点にしたまま、本文部分に行くと:
受験英語で習った通りじゃん。「投票所でマスクを装着する」んだから "wear masks at polling stations" だ。
っていうかどっちなんだよ。
さくっとウェブ検索したら、 "How do I wear a mask to the bar?" というタイトルのQ&Aのビデオが見つかった。カナダのアルバータ州のものだ。
質問者と回答者の一問一答形式のビデオ本編の中には "wear a mask to the bar" という表現は含まれていない。うむ。
さらに調べようとしたけど、こんなの正直、私には調べようがない。
目を点にしているうちに、低気圧やら低温やらですっかり体調がおかしくなってしまい、そのまま積み残しになってしまっている。
というわけで、こういうときに《in[at] + 場所》だけでなく、toも使われることがあるんだな、程度に。
ただし自分で英文を書くときは、自分で理屈を納得している表現だけを使った方がいいと思う。
それと、こういう例に出くわすと、「受験英語なんか無駄」とか「前置詞みたいに細かいところはネーティブ(ママ)は気にしない」とかいう極論に走りたくもなるかもしれないが、それもまた、おかしなことだということだけは認識しておいた方がいい。
実際、前置詞は英語を使うときにはかなり厳しくチェックされる。
【チェックの実例のリンク入れる】
*1:私は日本語の報道はチェックしていない。現地報道だけで情報は十分だし、Twitterを見ていれば各政党や当選した議員、落選した候補者はもちろん、政治活動家の発言などもたっぷり入ってくるので、むしろ情報過多になっている。その上、北アイルランドの政治についての日本語報道は、紛争が終わったあと著しく質的に残念なことになっており、「IRAは北アイルランドの独立を目指した組織」だとかいった誤情報が書かれていたり(実際には「アイルランドの統一」を目指している)、ユニオニスト/ロイヤリスト側についての知識が前提とされていないので、北アイルランドといえば「IRAの政治部門とされるシン・フェイン党」で騒ぎすぎていて、読んだらツッコミを入れざるを得ないし、何というか、うん、それを読むための時間はおやつを食べるなり何なりして過ごしたいっていうか。
*2:特に「統一地方選」と呼べるものではない。ただ、英国では慣例として、毎年5月の第一木曜日は地方選なり総選挙なりの投票日になっている。
*3:先日、ウェブで中継していた米国の音楽フェス(コーチェラ)でも、観客の中にマスクをしている人はほぼ皆無だった。
*4:inかatかについては、 https://hinative.com/ja/questions/735201 を参照。
*5:装着してても別に悪いことはない。着けたり外したりしてマスクの外側をべたべた触りまくるのはよくないと思うけど。