今回は前回の続きで、5月11日にジェニン難民キャンプに対するイスラエル軍の行動を報じるという仕事をしている最中に、イスラエル軍によって撃ち殺されたパレスチナ人ジャーナリスト、シリーン・アブ・アクレさんについて、英語圏の報道を見ていこう。
本題に入る前に、パレスチナから、記帳のお知らせを。明日、18日の午前10時から午後2時まで、東京の駐日パレスチナ常駐総代表部で、一般からの記帳が受け付けられている。場所はこちらを参照。場所は麹町、最寄り駅は半蔵門駅(地下鉄半蔵門線)だが、麹町駅(地下鉄有楽町線)からも近いし、JRの市ヶ谷駅などからも歩ける。
多くのご要望により、シリーン氏の追悼記帳を明日18日(水)まで延長致します。 pic.twitter.com/yiMUMq3hcQ
— 駐日パレスチナ常駐総代表部 (@PalestineEmb) 2022年5月17日
追悼のメッセージはメールで寄せることもできる。私はアラビア語ができないので、日本語と英語を対訳形式で書いて送信した。日本国籍の日本語母語話者だから日本語で書くのは当然だが、それに加えて英語にしておけば、現地に届いたあとに、翻訳の手間なく現地の人々に読んでもらうことができるからだ。送信先メールアドレスはこちら。
駐日パレスチナ常駐総代表部では、5月11日にイスラエル占領軍により殺害されたベテランジャーナリスト、シリーン アブ アクレ氏への追悼メッセージをEメールにて受け付けます。palestine@palst-jp.com
— 駐日パレスチナ常駐総代表部 (@PalestineEmb) 2022年5月16日
英語でメッセージを書いてみたいという方には、当ブログではこちらの記事群がお役に立てるかもしれない。お悔やみの言葉の定型表現だ。
さて、前回すでに述べているが、イスラエル政府は当初、アブ・アクレさんを殺したのはイスラエルであるということを否定し、「彼女の命を奪ったのはパレスチナ人武装勢力の銃弾」という話を流布していた。米国政府も何の留保もなくこれを支持していた。また、英語圏のメインストリーム・メディアは、当初、「イスラエルによって殺された」という記述を拒否した(こういう場合、まずは第一報で「パレスチナ側の主張では、彼女はイスラエル側によって殺された」という記述が出て、それから証言や現場映像から事実検証が行われて裏付けが取れたら「彼女はイスラエル側によって殺された」という《事実》の記述が出るのが、一種のお約束であるにもかかわらず)。当初拒否しただけでなく、ずっと拒否している媒体もある。
このニュースが入ってきた5月11日の私のログは、もろもろてんこ盛りである。まず未明の時間帯には、OSINT集団Bellingcatが日本のテレビのバラエティ番組で再現ドラマで紹介されたとのことで、TVerで視聴し、その内容をざっくりと英語にしていた。そのあとは通常運転で北アイルランドのニュースにくぎ付けになるなどしていたが、そのうちに日本の有名な芸能人がご自宅で死を遂げたという報道が流れてきた。その後、数時間してから再びTwitterを見たところで入ってきていたのが、シリーン・アブ・アクレさんが銃撃され、その負傷によって病院で息を引き取ったというニュースだった。
APは次のように、それがだれの発砲であるかを書かずにただ「発砲によって」と書いている。
BREAKING: Shireen Abu Akleh, a journalist for the Al Jazeera network, was killed by gunfire in the occupied West Bank, the Palestinian Health Ministry says. The shooting happened during an Israeli army raid in Jenin. https://t.co/NeyLKmedn0
— The Associated Press (@AP) 2022年5月11日
一方で、彼女が所属していたアルジャジーラは、次のように「イスラエルの狙撃手によって」とはっきり言葉にしている。
Walid al-Omari, director of Al Jazeera office in Palestine: "Journalist Shireen Abu Aqleh was shot dead by an Israeli sniper while wearing a jacket marked PRESS in Jenin." pic.twitter.com/w7CJ3zZ5my
— Quds News Network (@QudsNen) 2022年5月11日
めっちゃスピードのある流れの中でのこのコントラストに、普通の人はついていけないと思うが、英語圏に暮らす在外パレスチナ人たちにとってはそれこそこんなのいつものことだから、私の見る画面の中では、大手のフィードが流れてくるはしからツッコミが入りまくっていた。
AP got their offices bombed and completely destroyed by Israel one year ago in Gaza, but they still can't bring themselves to call out WHO killed Shireen Abu Aqleh.
— لينة (@LinahAlsaafin) 2022年5月11日
floating gunfire. https://t.co/3kd50v0xG9
こう書いているのは、アルジャジーラ・イングリッシュのプロデューサーであるリナ・アル=サフィンさん。アルジャジーラ・イングリッシュは、アルジャジーラ(アラビア語)の姉妹局で、アラビア語局の開局から10年遅れて2006年に放送が開始された。立ち上げ時のメンバーは英BBCやITN, 米ABCといった、英語圏のそうそうたる報道機関から引き抜いたメンバーたちが多く、特にBBCの色が濃い。
文法的なことを見ておくと、第1文:
AP got their offices bombed and completely destroyed by Israel one year ago in Gaza, but they still can't bring themselves to call out WHO killed Shireen Abu Aqleh.
全体としては《A, but B》の構造で、これは前回みたMiddle East Eyeのツイートで使われていた《A. However, B》と意味的にはほぼ同じことを表せる構造だが、howeverが接続副詞であるため、個別の文をそれだけでつなぐことができず、前後にピリオドとコンマを伴っている一方で、butは《接続詞》だから、前にコンマを置くだけで文と文を1つの文にすることができる。
何を言っているかわからないかもしれないが、こういうことだ。
It's been raining for a week, but it will be finally sunny tomorrow.
It's been raining for a week. However, it will be finally sunny tomorrow. *1
何か、最近はやりの英文法系YouTuberの解説などではこういうところがぐだぐだだというのを小耳にはさんでいるので、一応、書いておいた。どうでもいい細部に見えるかもしれないが、論文とか職場での報告書などを書くときにはこういうところに注意しないと「こんな程度の英語も書けないアホ」とみなされて評価が下がる。(「ネイティブはそんなところは気にしない」ように見えるかもしれないが、逆である。)
さて、butの前の文:
AP got their offices bombed and completely destroyed by Israel one year ago in Gaza,
太字で示した部分は、《get + O + 過去分詞》の構造。「Oを~される」という、《受け身》や《被害》を表す表現で、ここではまさにどんぴしゃりで《被害》を言っている。「APは、1年前にガザで、イスラエルによってオフィスを爆撃され、完全に破壊された」という意味である。
当ブログは、1年前は「ハマスのロケット」が出てきたらようやく騒ぎ出した日本の大手報道に心を削られて(以来、中東についての日本の大手報道は基本的に見ないことにした。英語圏よりひどいから)、ガザ攻撃のことはほとんど扱っていない。扱ったのは、パレスチナのガザ地区ではないほう、つまりヨルダン川西岸地区で日々、イスラエル当局と過激派(入植者)がどのようなことをしているかの、ほんの一部だった。
hoarding-examples.hatenablog.jp
リナ・アル=サフィンさんのツイートの後半部分:
but they still can't bring themselves to call out WHO killed Shireen Abu Aqleh.
《bring oneself to do ~》は慣用表現(イディオム)で、これはMerriam-Websterの定義がとてもわかりやすいのだが、「自分自身を~するように持っていく」と日本語に直訳してみれば体感できるだろう。
というか、日本語にもよく似た「重い腰を上げて~する」という慣用表現があるんだけど、単なる対訳として覚えようとしてもなかなか頭に入らないかもしれない。そこを、一度直訳することで身体の感覚として納得すれば、定着しやすくなる。
なお、oneselfの代わりにsomeoneを使う表現もあるが、この場合は無生物主語の構文になることがとても多い。
The injustice in Palestine brought her to become a journalist.
(パレスチナにおける不公正さに突き動かされて彼女はジャーナリストとなった)
アルサフィンさんのツイートの最後の行、 "floating gunfire" は「流れ弾」という意味だが、ここでは「APは、1年前にガザで自社オフィスがイスラエルに爆撃され全壊となっていても、腰が引けていて、誰がシリーン・アブ=アクレさんを殺したのかをはっきりと言えない」という全文を受けて、「流れ弾だとでもいうのだろうか」という意味を添えている。
シリーン・アブ=アクレさんは、アラビア語でニュースを見ている人なら誰でも知っているような、「お茶の間にも浸透している顔」だった。
そういう人が白昼堂々と、おそらくは狙撃という形で殺されたことは、広い範囲の人々に深い衝撃をもたらした。彼女の所属先であるアルジャジーラがまさに全力で報道を行っていることも大きい。
だが、彼女は何か英雄的なことをしに行ったわけではなく、「いつものように」取材に行って、殺されたのである。この25年にわたって日々やってきたような、本当に「いつものように」行われているイスラエル当局のパレスチナ人に対する蛮行を、「いつものように」取材していただけだ。
そして、「いつものように」何かをしていて殺されるのは、彼女のような有名なジャーナリストだけではない。
シリーンさんが殺された日、アルビーレでも16歳の少年サーエル君が射殺されている。そしてシリーンさんの葬儀の件でタイムラインが埋め尽くされるなか、先週アルアクサーで撃たれて重体だったワリードさんが亡くなったとの報。目の向けられる死と向けられない死。すべての方の魂が安らかであるように。
— 高橋美香 (@mikairvmest) 2022年5月14日
Israeli forces shot and killed Thaer Khalil Mohammad Maslat, 16, around 10 a.m. on May 11 in Al-Bireh. Israeli forces shot Thaer in the chest with live ammunition as he watched confrontations between Israeli forces and Palestinian youth near his school. https://t.co/pVnjMAyZEl
— Defense for Children (@DCIPalestine) 2022年5月17日
During Ramadan, Israeli police invaded Al-Aqsa Mosque & shot 21-year-old Palestinian Walid Al-Sharif w/ a rubber-coated steel bullet. He was immediately rushed to the hospital w/ severe injuries.
— IMEU (@theIMEU) 2022年5月16日
This weekend, he died from his wounds. Another Palestinian life stolen by Israel. pic.twitter.com/ynqPmAglsx
詳細を追いきれていないけれど。著名なジャーナリストであろうとも、「名もなき」少年であろうとも。かき消してはならないと強く思う。 https://t.co/PNy4zuYeHr
— 高橋美香 (@mikairvmest) 2022年5月14日
— 高橋美香 (@mikairvmest) 2022年5月14日
サッカー選手だったと、一昨日誰かのツイートで見ていたように思う。どうか安らかに。ご遺族に心の安らぎがもたらされますように。 https://t.co/FVfrtdg503
— 高橋美香 (@mikairvmest) 2022年5月14日
スレッド最上部で言及のワリードさんの件。撃たれたのは先週ではなく4月22日だったとのこと。 https://t.co/ZfQ9sPwLnr
— 高橋美香 (@mikairvmest) 2022年5月14日
— 高橋美香 (@mikairvmest) 2022年5月15日
この「遠い」日本から、故人を真摯に悼み、追悼の気持ちを寄せるどんな行為も尊いことだと思います。行動なさった皆さんに敬意を表します。故人の魂とご遺族の心が安らかならんことを心より祈ります。そのうえで、もう一度考えなければならないことを、自戒と自省として以下に記します(続く https://t.co/cGJ0vMMRCj
— 高橋美香 (@mikairvmest) 2022年5月17日
先日にもツイートしたとおり、シリーンさんが射殺された日、サーエル君も射殺されました。ラマダーンのさなかに撃たれて重体だったワリードさんも亡くなりました。昨年のオサマさんが殺されたことも同じ。なぜ、「目の向けられる死や命」と「目も向けられない死や命」があるのか。理由もなく殺された→
— 高橋美香 (@mikairvmest) 2022年5月17日
→のは、シリーンさんもオサマさんも変わらない。著名なジャーナリストであろうとも、「名もなき」一般市民であろうとも、誰の身にも起きてはならないこと。そのことを、再確認してこだわらなければならないと強く思う。しばしば鈍感になり、大切なことを忘れがちな自分のために自戒として記します。
— 高橋美香 (@mikairvmest) 2022年5月17日
本当の追悼とは、この占領・封鎖と占領・封鎖下の抑圧と人権侵害とすべての違法不法行為を終わらせること。そのための行動。泣いたり悲しんだりするだけで、「消費」して、終わらせてはならないと、強く自戒する。
— 高橋美香 (@mikairvmest) 2022年5月17日
本当に、高橋美香さんのおっしゃる通りだと思う。問題は個々の殺害ではなく占領そのもの、構造そのものであり、ひとつの殺害に憤り、ひとつの死を悼むということを繰り返しても、その問題はそのまま残される。それを認識しなければ、いくら「知ることから始めよう」といったところで、「かわいそうな人たちのこと」を消費して終わってしまうだけだ。
それでもなお、私は、白昼堂々、シリーンさんが殺されたことは、大きなメッセージを突き付けるためだったのだろうと思っている。シリーンさん個人が狙われたのかどうかはわからないとしても(私は彼女個人が標的にされたのだろうと思っている)、ジャーナリストたちが固まっていたところに銃弾を撃ち込んだということは、少なくとも、「脅し」の意図だろう。「脅し」と「冷笑」だ。「お前らが何を伝えようとも、事態は変わらない」という。あまりのsinisterさに、寝込みたくなる。
シリーン・アブ・アクラさん殺害は、他の民間人、他のジャーナリストの殺害とは「メッセージ」が違うと思う。知らぬ者がいないほどの超有名ジャーナリスト、この局のパレスチナ報道の「顔」であり続け、米国市民権も持っている彼女が狙撃されたことは、「どんなに有名でも安全ではない」ことを意味する
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年5月13日
ロシアのナワヌルイ氏が、最近、そういうことを書いていた。「かつては、何度逮捕されようと、それでニュースになれば存在を知られるから、それで安全になると思っていた。しかしそれでも、彼らは私を毒殺しようとした」と。ナワヌルイ氏の前に、ネムツォフ氏射殺ということも起きていたけど。
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年5月13日
なんか、normがすっかり変わってしまった感。もはやだれも、「救急車や救急隊、病院、学校が攻撃対象に」では驚かないでしょ。図書館や公文書収蔵施設、博物館の標的化は、それをやるのがイスイス団でもなければろくにニュースにされない。
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年5月13日
きっとこれからも、まだまだこういうことが続くのだ。
そして、同じことがロシアによってウクライナで行われでもしようものなら、国連までが「異例の会合」を招集するなど大騒動になるのに、パレスチナでは「いつものこと」であり続けるのだ。
止めなければならないのは「暴力の連鎖」などではない。この「無関心の連鎖」である。
シリーンさんは「名もなき」一般市民 (the voiceless) にどんなことが起きているのかを、いつものように防弾チョッキとヘルメットつけて、いつものように取材しに行って、そして撃たれた……と、葬儀の日にアルジャジーラ・イングリッシュで何度か繰り返されていました。 https://t.co/SufxIca146
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年5月17日
※規定文字数など当然ぶっちぎっていて、8000字を超えている。
*1:今、ぱぱっと思いついただけの形式を示すための例文で、内容と照らし合わせると不自然かもしれないが、そこはご容赦いただきたい。