このエントリは、2020年12月にアップしたものの再掲である。
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今回の実例は、Twitterから。
前置きを丁寧に書くと疲れてしまうので、ざっくりいくが、英国の首相をしているボリス・ジョンソンという人物は政治家になる前はデイリー・テレグラフやスペクテイターといった保守党筋のメディアで仕事をするジャーナリストだった。言葉の扱い方は巧みで、非常におもしろい文を書く人ではあるが、書く内容がまるででたらめというか、噓つきの妄想みたいなものが非常に多く、特にブリュッセル駐在記者としてEUについて嘘八百を面白おかしく華麗な言葉づかいで綴っていたことは、英国では広く知られている。英国では広く知られているのだが、ネット上の日本語圏、つまり普段から別段英国について関心が高いわけでもなく、したがって英国のニュースをつぶさに追ってなどいない人たちの間では、おそらくほとんど知られていない。
ネット上の日本語圏で広く知られているのは「イギリスのトランプ」とかいう、まるで中身のないキャッチフレーズだけで、それゆえ、ひたすら無教養で粗野なトランプと比べて「ボリス・ジョンソンって案外まともじゃん」みたいな印象、あるいは「さすがオックスフォード出のインテリは違うな!」みたいな、安っぽいブランド信仰を引き起こしているようにすら見受けられる。
そういうことを最近よくTwitterで書いているのだが(このブログでも書いてるかも)、英国ウォッチャーとしては「え、そっからっすか?」みたいなレベルの大前提の話なので、正直、だるい。だるいうえに、英語で私のフィルターバブル内に流れてくるジョンソン像とのギャップに、乾いた笑いすら出てこない感じだ。
元はと言えばジョンソンが政治家になる前にブリュッセル駐在記者としてEUに関するデマを書き散らしていたことで、大陸では信用度ゼロという問題が潜在的にずっとあったわけですよね。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年12月8日
https://t.co/AbpJbgZ6Rf James Ballによるこの本が読みやすいのでお勧めです。Kindleで1000円程度。Chapter Threeの「政治家について」でジョンソンのことがコンパクトに説明されています。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年12月17日
ともあれ、事実としては、ボリス・ジョンソンのことを「まともな政治家だ」などと言っている人は、保守党支持であろうがそうでなかろうが、まずいない。彼が支持されているのは「まとも」だからではなく、実際に「まとも」なことなど何もしていない。何かしているように見えるとしたら、「よりひどい政治家に比べてまし」というだけのことで、それは「日本は(アメリカやイギリスに比べて)新型コロナウイルスの感染者数が少ないので、対策が優れていると考えられる」みたいな話だ。というか、特に日本から見れば、方針を180度転換することをまったくためらわずに何度もやってのけるジョンソンは(彼のお家芸は「Uターン」である)、「最初に決めてあったことを撤回する勇気のあるリーダー」に見えるのだろうし、それはそれで、とても、とても、不幸で不運で嘆かわしいことである。
ボリス・ジョンソンは法律無視上等のデマゴーグで縁故主義の腐敗政治家でいろいろひどいけど、日本の政治トップよりは、科学を無視したり否定したり、学者を御用学者とそうでない学者に分断して後者を黙らせようとしたりしない分、まし、と言わざるを得ない。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年12月19日
というわけで、ジョンソンについて特に注意しておかねばならないのは、彼が口にすることの多くは無根拠ででたらめで虚偽であるということであるが、今回のこのBrexitと新型コロナウイルスの変異株のダブルパンチという状況の中にあっても、相変わらずでたらめを並べ立てていたということで、Twitterで突っ込みが入りまくっている。アメリカなら報道機関が「ファクトチェック」と叫んで突撃しているだろうが、イギリスでは静かなものだ(公共放送BBCは米国の政治やアフリカやアジアでの疑似科学に基づいたコロナ対策のことなどは「ファクトチェック」といって細かく記事を出しているが、肝心の英国のことについてはずぶずぶである)。
The Prime Minister said at 5pm there were 174 lorries on the M20. Turns out it’s 945 and counting. Why did he say haulage firms weren’t travelling to Dover any more? Why is his first instinct always to hide the truth? He just can’t help himself, can he?
— Bill Esterson (@Bill_Esterson) 2020年12月21日
ジョンソンが「ドーバーの港への幹線道路上にいるトラックは174台である」などと言い切ったが、実は945台で、その後もどんどん増えているという事実を指摘する労働党のビル・エスタートン議員のこのツイートは大きな反響を引き起こし、これを引用リツイートしたものを私は何件も見たのだが、今回の実例はそのひとつで、小説家のロバート・ハリスによるもの。こちら:
It isn’t episodes of The Crown which should have a compulsory warning beforehand stating that what you are about to witness is fiction https://t.co/ytJyFRWm7M
— Robert Harris (@Robert___Harris) 2020年12月21日
このツイートを読むには、少々前提知識が必要かもしれない。文中の "The Crown" はNetflixでやってるエリザベス女王を主人公とした連ドラ。今は第4シーズンで、IRAのテロとかダイアナ妃とかの、人々の記憶に新しいところに入っている。実在の人物を非常に忠実に再現し、実際の出来事を描きながら、ストーリーの細部は基本的にフィクション、というドラマはよくあるものの、The Crownはあまりにも出来が良く、当時のニュース映像の中で見たマーガレット・サッチャーやダイアナ妃のような実在の人々とリアルに重なってしまうので、「この物語はフィクションです」という注意書きが必要なのではないか、ということが、数週間前に、大真面目に議論されていた。それが前提である。
ツイート本文:
It isn’t episodes of The Crown which should have a compulsory warning beforehand stating that what you are about to witness is fiction
太字で示した部分は《It is ~ that...》の《強調構文》だが、thatの代わりにwhichが用いられている。これについて江川泰一郎『英文法解説』は、「a) 一般にはthatが使われるが、b) 人間の場合にはwhoもよく使われ、c) 物の場合にはときにwhichの例もある」と説明している (p. 53)。
下線で示した "stating" は《現在分詞》で《後置修飾》。"a compulsory warning" にかかっている。beforehandは副詞で「前もって」。
というわけで、この文は、直訳すれば「あなたがこれから目にすることになっているのはフィクションであると述べている、義務的な警告を、前もって表示すべきであるのは、(Netflixでやっているドラマの)The Crownの各回ではない」ということになる。
つまり、先のビル・エスタートン議員による嘘の指摘のツイートを言及リツイートしながら、ロバート・ハリス氏は「ボリス・ジョンソン首相の発言には、これからみなさんがお聞きになるのは、フィクションです、という注意書きが必要」と言っているわけだ。
※3700字
ロバート・ハリス氏の著作。『ゴーストライター』はユアン・マクレガーとピアース・ブロスナンで映画化されている(監督がロマン・ポランスキーなんだけど):