今回の実例は、新たに公開される映像作品の予告編から。
『アダムス・ファミリー The Addams Family』という作品をご存じだろうか。私はクリスティーナ・リッチを一躍有名にした映画で知ったが(下記のDVD参照)、作品自体はこの映画からさかのぼること50年以上前、1930年代、つまり第二次世界大戦/太平洋戦争前の一コマ漫画である。作者はチャールズ・アダムズ(アダムス)という漫画家だ*1。
戦前と戦後に大きな断絶のある日本でそういうタイムスケール感で人気を保っているフィクションの作品というのは私には思いつかないのだが、米国の場合、例えばミッキーマウスやトムとジェリーなども第二次世界大戦前から愛されているキャラクターなので、特にこのお化け一家が「古くからある」という感じはしないのかもしれない。
ともあれ、このアダムズ・ファミリーは、何度もドラマ化・アニメ化・舞台化されていて、その最も有名なのが上述の1991年の映画なのだが、2022年の今もまた新たな作品が制作された。主人公は、91年の映画ではクリスティーナ・リッチが演じた一家の娘、ウェンズデー。監督は『シザーハンズ』や『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』などのティム・バートン。作品タイトルはWednesdayである。
この「アダムズ・ファミリー」の新作映画Wednesdayは、Netflixで公開されるのだが、今回Netflixから予告編が公開された。こちら:
.@WednesdayAddams is the girl of your nightmares. The twisted new series from the mind of Tim Burton drops this fall. pic.twitter.com/7teUcCxgXt
— Netflix Geeked (@NetflixGeeked) 2022年8月17日
今回の英文法実例は、この予告編から。
2分程度のこの予告編の1分33秒あたりに、こういう場面がある。なお、字幕は元から表示されている。
Little did I know I would be stepping into a nightmare.
《準否定語》のlittleが文頭に出たことによる《倒置》の構文である。
こういう構文は、かつて「学校英文法」と呼ばれるものを日本の高校でかなりがっつり教えていたころに、どこの誰ともわからない人たちから「日本の学校では文法ばかり教え、実際には使わない文学的なことばかり詰め込んでいる。学校英語は役に立たない」という非難が起きるときにやり玉にあげられる構文として定番のもののひとつだった。こういった倒置のほか、当ブログで何度も取り上げている完了分詞構文やlestを使った表現などが、「実際には使わない」と非難された。
だが、実際には、使う。ほんとに使う。マジで使う。映画の予告編のような、誰が見てもわかるはずという場で普通に使う。広告のキャッチコピーのようなところでも。
こういう構文を「実際には使わない」と非難していた人たちは、おそらく、英語に接する量が絶対的に足りていなかっただけである。
そりゃ、旅行英会話みたいな場では使わないでしょうよ、こんな「複雑」な構文は。
でも、"Little did I imagine ..." みたいな言い方は、「まさか、蒼井優が山ちゃんと結婚するなんて、思ってた人はいないよね」みたいな話を書き留めるときにも使われる。「使わない」どころか、人間関係を構築することが前提の場で、自分の心情を正確に相手に伝えたいときには、使えるようにしておかないと困るような基本構文だ。
で、これがどう倒置されているかというと:
I little knew I would be stepping into a nightmare.
↓ ↓ ↓
Little did I know I would be stepping into a nightmare.
準否定語のlittleは「ほとんど~ない」の意味と習っている人が多いと思うが、このように、動詞の前に置かれる用法(つまり倒置の構文で使われる用法)では、「まったく~ない、少しも~ない」という、かなり強い全否定の意味になる(『ジーニアス英和辞典』第5版, p. 1245)。
従属節の "I would be stepping into a nightmare" のwouldは、《時制の一致》でwillが過去形のwouldになったもの(主節の動詞がdid I knowと過去である)。
というわけで、文意は「私が悪夢の中に足を踏み出すことになろうとは、私はまるで気づかずにいた」ということになる。
なお、この予告編は英語圏だけでなくいろいろな言語圏で話題となっているのだが、英語圏、というかアメリカでは、配役への注目がなされている。
TIM BURTON CASTING BROWN PEOPLE??? https://t.co/DQ0LstjOpE
— 🌛 moon 🌜 i showed u my bokeh pls respond (@phytoalexian) 2022年8月17日
Congrats to Tim Burton for finally realizing that brown people can match his aesthetic just as well as white people https://t.co/D40xOGDP5g
— 𝕲𝖔𝖙𝖍 𝕾𝖕𝖎𝖉𝖊𝖗-𝕸𝖆𝖓 🕸 ☂︎ (@tinyspiderlegs) 2022年8月17日
私はアメリカ英語にはかなり不慣れなので、これらのツイートの "brown people" という表現を見たときに「あれ、どこかにアラブ系や南アジア系の人が出てたっけ」と思ったのだが(イギリス英語で「brown peopleを配役した」と言えば、リズ・アーメッドやデーヴ・パテルのような俳優たちを連想する)、アメリカ英語ではラティーノの人たちもbrownと言うのだそうだ。
今回の "Wednesday" では、お父ちゃんのゴメスを演じているルイス・グスマンという俳優さんはプエルトリカンの有名俳優だ。主人公のウェンズデーを演じるジェナ・オルテガも、両親がメキシコ系とプエルトリコ系のアメリカ人だ。
Twitterでの「ティム・バートンがbrownの俳優を使ったって?」という反応は、これらの俳優のことを指している
また、予告編では一瞬しか画面に出てこないが、黒人の俳優もキャストされていて、これについてもTwitterでは驚きの声が上がっている。
そのくらい、ティム・バートンという映画作家は、これまで「真っ白」な作品を作ってきた人なのだなあということを、妙なことだが、今回初めて知った(実はさほど好きな作家ではないので、あまりたくさんの作品を見ていないのだ)。
こういうのが、日本では「ポリコレ」などと呼ばれて嘲笑されるのだろう。
「ポリコレ」を嘲笑できるなんて、自分らが画面に出てくることすら許されない「黄色い」人種だということを、わかっているのかいないのか。
ちなみに、Wednesdayには日本の名前を持つ俳優もキャストされている。Naomi J Ogawaさんという方だ。役名はYoko Tanaka. 実に自然な日本人名だ。かつてなら母音の微妙な扱い方によって実際にはなさそうな名前にされていたに違いない。Yoko Tanakoなど。それが修正されてきた背景には、日系アメリカ人や日本人の不断の努力と、米国での「ポリコレ」の一般化・常識化と、メインストリームの人々の理解があったはずだ。
こうやって、相互の認識・認知や理解が広がっていくことは、「ポリコレ」と呼んで嘲笑すべきこととは思えないのだが。