Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

【小ネタ】翻訳はただ言葉と言葉を置き換えればよいわけではない。例えばprisonは「刑務所」なのか。車のvanはどういう車両で、それは日本語の「バン」で表せるのか。

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10日ほど前のことだが、ロンドンで「脱獄」が発生した。調理担当という作業を割り当てられていた被収容者が、食材を運び込んでくる車両の下に潜り込んで、そのまま敷地外に脱出した。つまり、ちょっとありえないくらいあっさりとした脱獄であった。古めの翻訳文体で「やっこさん、まんまと脱獄してのけたのさ」と表したくなるような。

彼が陸軍兵士だった人物で戦闘能力があることと、「テロ」の容疑がかかっていることもあり、ロンドン警察(大雑把に、日本の「警視庁」にあたるが、「公安」の機能も一部兼ねている)がSNSなども使って大々的に捜索をおこなっていたが、即座に国外に脱出しているのではないかといった観測も流れるなか、脱獄者は数日後にロンドン市内で身柄を拘束された。

最初に「テロ容疑者が脱獄」といったように各大手メディアで大々的に見出しが立てられてからの数日間、その脱獄者がどういう人物かについての解説*1と、そんな脱獄を可能にしたシステムについての指摘の記事が、私がネット上にあけている「ペケ」印の小さな窓*2からもかなり大量に流れ込んできた。

そういうのを見るともなく見ているうちに、以前当ブログで取り上げた「duckは『鴨』なの、『アヒル』なの」問題とか、「backは『背中』なの、『腰』なの」問題と同様の、「英語と日本語の違い(というかギャップ)」がある単語の存在に気付いたので、それを少しメモっておこうと思う。俗にいう「解像度が上がる」かどうかの話でもある。

 

◆目次◆

 

Prisonは「刑務所」か

日本における「拘置所」と「刑務所」

日本の制度では、何かの事件で逮捕された「容疑者」は「留置所」で取り調べを受け、起訴されて「被告」となると「拘置所」と呼ばれる施設に入れられ、被告として裁判を受けて有罪となり、禁固刑を言い渡される(実刑判決を受ける)と「刑務所」と呼ばれる施設に入れられ「受刑者」となる。

つまり、「留置所」にいるのは起訴すべきかどうかまだわかっていない段階の人、「拘置所」にいるのは起訴はされたがまだ有罪かどうかが確定していない段階の人(「未決囚」という用語もある)、「刑務所」にいるのは有罪が確定した人である*3。詳しいことは、ウェブ検索すれば日本語の解説サイトがいくらでも見つかるだろうから(例えばこちら)、そういったところでご確認いただきたい。

イングランドウェールズにおける(英語の)Prison

一方、アメリカ英語ではどうなってるのか実はよく知らないのだが、イギリス英語では、一般的に、「留置所」はちょっと別だと思うが*4、「拘置所」も「刑務所」もprisonである。

つまり、逮捕され起訴されて裁判を待っていたり裁判を受けていたりする「被告」も、裁判を受けて有罪判決を受けた「受刑者」も、prisonと呼ばれる施設に入れられる。入れられている人々はprisonerと呼ばれる。

英国ではイングランドウェールズと、スコットランドと、北アイルランドとでは、刑事施設の制度が別々だから、ちょっと記述が長くなってしまうのだが(なのでこういう点で「英国では」と書いてある記述に遭遇したら「ざっくりしてんなぁ」と思ってもらいたい)、イングランドウェールズではHis Majesty's Prison Service (HMPS) と呼ばれる機関がprisonを運営している(今は "His Majesty's" だが、昨年9月にエリザベス2世が亡くなるまでは "Her Majesty's" だった*5)。現在の施設数は130であるが、90年代からいわゆる「民営化」も始まって15施設が「民営」なのだそうで、合計で145施設あるということになるだろうか。

en.wikipedia.org

Prison breakは常に「脱獄」か

今回、「脱獄 prison break」があったのは、ロンドン南西部にあるHM Prison Wandsworth (Wandsworth Prison) である。

さて、この施設名を日本語化するとき、どうしたらいいだろう。「ワンズワース刑務所」なのか「ワンズワース拘置所」なのか。

一番理にかなっているのは「ワンズワース刑務所兼拘置所」だろうが、長いよね。

だから、通常は文脈に応じて「刑務所」か「拘置所」のどちらかを使うことになっていると思う。ここに入れられている犯罪者(有罪判決を受けた人)の話なら「ワンズワース刑務所」と書くだろうし、裁判の被告など犯罪者と結論されていない人*6の話なら「ワンズワース拘置所」と書くかもしれない。

前者の場合は、prison breakは「脱獄」で違和感はないのだが、後者の場合は「脱獄」と言い切っていいのかどうか、「脱走」ではないのか、という違和感を覚える。だが「脱走」だと言葉が軽すぎはしないか。

本稿1行目で「脱獄」にカギカッコをつけてあるのはそういうニュアンスでのことである。

 

Vanは「バン」

本稿冒頭で述べた通り、今回の「脱獄」は、厨房で作業する調理担当の役目を割り振られていた被収容者(刑事裁判の被告人)が、食材を搬入する車両の下にもぐりこむという手法で実行された。

車両の下に鏡のついた棒を差し込んで確認すれば、「脱獄」までは至らなかったと思われるケースで、その点での指摘と、施設運営サイドの言い訳(もちろん、「人手不足 staff shortage」である)は、逃げた容疑者が身柄拘束されるまでの間、また拘束された少しあとまで、盛んに報道されていた。

そのひとつが下記のガーディアン記事である。

www.theguardian.com

記事冒頭にある写真(サムネイルになっている写真)は、ロンドン市中の監視カメラの映像の一コマで、「脱獄」に利用された食品搬入の車両だ。

これをどういう言葉で認識するだろうか。

「どう見ても『トラック』」と言える車両なのに……

専門的な知識のある人なら「〇〇車の〇トン車」など細かい区分で認識できるのかもしれないが、私はざっくりとしか認識できないので「トラック」だと思った。どう見てもこれはトラックとしか言いようがない。

そしてイギリス英語では「トラック truck」という単語より「ローリー lorry」という単語が用いられるので、記事には当然、lorryという単語が出てくるのだろうと思って読み始めた。

が、そこにあったのは別の単語だった。

https://www.theguardian.com/uk-news/2023/sep/07/from-plum-prison-job-to-a-mysterious-vanishing-how-the-escape-of-daniel-khalife-unfolded

書き出しのパラグラフ*7

It was hardly the most sophisticated escape, and it should have been easy enough to prevent. At 7.32am on Wednesday a food delivery van turned right out of Wandsworth prison’s Victorian gates, concluding what should have been an uneventful run.

この大きさのこういう車両がtruck[lorry] ではなくvanというのは、「コンビニの配送トラック」という用語で生活していると、控えめに言って、「ちょっと意外」なのではないか。

「バン(ヴァン)」とは何か、そしてvanとは何か

「ヴァン(バン)」といえば、宅配便の配達車両や郵便局でポストの中身を集めて回っている車だったり、つまり運転席と荷物スペースが一体で、荷物を入れるところが取り外せる構造になっていない運搬用の車両のことだと思う。

個人的に全然知識のない分野なので(車のことは何もわからない)検索してみると、次のような解説がある。

日本でバンといえば運搬業務とを主とする商用車のこと。箱型の貨物自動車をそう呼びます。……

 

世界的にバンとは箱型の貨物自動車を意味しますが、ただアメリカではトレーラーなどもバンと呼ばれ、オーストラリアでは主に乗用のミニバンを指すなどやや曖昧なワードでもあります。……

 

ミニバンの”バン”とはアメリカでキャンピングトレーラーを指す「キャラバン(CARAVAN)」を短縮したもの。全長5m以上のフルサイズ(キャラ)バンに対して、ひと回り以上コンパクトに仕立てた車両が1980年代に登場し普及していったことで「フルサイズバンより小さい(ミニ)バン」という新たなセグメントが誕生したわけです。

 

ただし、商用車の「VAN」もそもそもは屋根付き貨物車を意味していた「CARAVAN」が語源。これは「バン=商用車」と認識されている日本とは違い、アメリカでは「バン=箱型の車両」と商用、乗用問わずに区分されていることが要因です。

バンってどんな車? ワゴンとの違いや人気車種など解説 | 自動車情報・ニュース WEB CARTOP

いやあ、「餅は餅屋」である。私にもわかる。すばらしい。単純化されすぎのような気もするが(内燃機関で動く車が登場する前からvanという言葉はあったはず。要確認だけど)……。

だが、今回見ているロンドンの車両は「箱型の車両」ではなく、箱(コンテナ)を台の上に乗っけている車両ではないか……。

vanとtruckの境目がなくなるとき

というところでまたわからなくなって、英語版(ていうか米語版)ウィキペディアのTruckの項の一番下にあるのを見つけたCategory:Trucksに飛んで、Trucks by typeの一覧を眺めてみたら、'Pages in category "Trucks by type"' のところに、Box truckという項目がある。これを見てみると……あったわ、探し物が。

https://en.wikipedia.org/wiki/Category:Trucks_by_type

A box truck—also known as a box van, cube van, bob truck or cube truck—is ... 

Box truck - Wikipedia

これだ。

法的な定義づけとか規格とかいった厳密な用語法とはかなり離れたところにある日常の言語では、少なくともある種の「決まった言い方」の中では、truckとvanが置換可能の同義語のように用いられているということだ。

きっと、a food delivery vanという言い方はそれでセットフレーズになっていて、vanなのかtruck[lorry] なのかを厳密に問うようなものではないのだろう。

英→日の翻訳の問題としてこのケースを考える

さて、ここで英→日の翻訳の問題として、検討してみよう。

このケースでのa food delivery vanを、そのまま「食料配達のヴァン」と日本語化した場合、読者はガーディアン記事に添えられている映像にあるような車両を思い浮かべることができるだろうか。

いや、読者が思い浮かべるのは、トヨタハイエースとか、スズキのエブリィといったもの*8、映像にあるものよりずっと小型の車両だろう。

となると、容疑者がそういった小さな車の下に潜り込んで、ベルトで体を固定して、プリズンの出入り口のチェックをすり抜けてまんまと外に脱出した、という一連の経緯は、チェックのずさんさを示す以上のことをしてしまうのではないか。

「バンの車両の裏に潜り込んで脱出に成功」などと日本語で書かれていたら、それを読んだ人は、「バンなんて、あんな小さなスペースで、身を隠すところもなさそうなのに、出入りの際のチェックにひっかからなかったということは、逃げた容疑者と通じた当局者がいて、チェックをしていなかったのではないか」といったことを思うだろう。

そういうところから陰謀論が始まるのを、私は見たことがある。

強調しておきたいのだが、a food delivery vanを「食料配達のヴァン」と訳出したところで、それは全然「誤訳」ではない。むしろ言葉としては「正確な訳」だ。

だが、言葉として「正確な訳」が「充分な訳」であるとは限らない。

そこが難しいところで、翻訳というものはただ言葉と言葉を置き換えればよいわけではない。

英語の言葉を日本語の言葉に移し替えるときに、単に言葉を参照しているだけでは足らないことが、日常の言葉の中にはごろごろと転がっている。そのときに「これだけでは不十分だから、もっと先まで確認をしないと」ということができるのは、背景知識を持っているか、訓練されてそういう目を磨いた人間だけだ(人間の翻訳者ならだれでもできるというわけではない。「英語だけできればよい」わけではない、というのは、そういう意味だろう)。

ましてや、「この言葉の次にはこれが来るものなので」といった処理を重ねていくだけの出力(AI翻訳)には、それは期待できない。だから人間によるチェックが必要なのである。このチェックも、誰にでもできるわけではない。「ヴァン」と出力されているものを「本当に『ヴァン』なのか?」と疑える人はあまりいない。正直、私も監視カメラの映像を見てa food delivery vanという記述を見ていなかったら、何とも思っていなかっただろう。

翻訳の際の回避策

で、「日本語で『ヴァン(バン)』とやっちゃうと、意味範囲が狭くなりすぎるんじゃないか」と思ったとき、そういうのを回避するには、ひとつメタのレベルの言葉を持ってくるというのが定石のひとつである。「配達のヴァン」ではなく「配達の車両」とするわけだ。

 

補足・DHCの出版部門撤退の件

本稿で扱ったような細かい点について、「読む辞書」の形式でまとめられているのが、河野一郎『誤訳をしないための翻訳英和辞典+22のテクニック』である(「翻訳」とあるが「英→日翻訳」である。逆ではない)。ここで見たようなvanの事例は取り上げられていないが、文法や構文ではなく語義のレベルでの誤訳や微妙な訳の実例集として、翻訳という作業ができる程度の能力がある人には有用だろう(高校生など英語そのものの学習途上の人にはお勧めしない)。

河野先生のこの本をはじめ、日向清人先生の「即戦力」シリーズや、行方昭夫先生の英文読書・英文読解シリーズの版元であるDHCが、差別主義者で国粋主義の言説をばらまいていた創業社長の手を離れてオリックスに買収されてしばらくになるが、年内で出版部門を畳むという話だ。この版元から本を出されている執筆者の方々が、そういう書類を受け取っているということを、今月、次々と報告なさっている(当事者の方には大変な事態だと思います)。

note.com

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一般には「在庫は廃棄」というところで大騒ぎを引き起こしているようだが、「廃棄」というからアレなのであって、普通の「断裁」であろう(「断裁」という用語でも、不慣れな人にはパニックを引き起こすのだが、食品スーパーで割引の値札をつけても売れ残った食品を最終的にゴミにするのと同じことである)。

現在は、倉庫から断裁に回される前に、在庫が市場に出回っている段階のようで、オンライン書店では普通に購入することができる。古書店の店頭ではDHCの本は以前のようには見かけなくなってきているし、せどりなどやってる人たちの間ではすでにバカみたいに高い値段がつけられ始めているのだが、実際、この版元の英語本には評価の高い定番的な本も多く、プレミア価格がつくことは容易に想像される。すでに公共図書館に蔵書されていることも多いが、今から図書館にリクエストしても、時間的に、断裁前に新規蔵書してもらうことは難しいので、手元に置いておきたいと思う本があったら本来の定価で買えるうちに買っておいたほうがよいだろう。(DHCの製品を買っても、もうレイシストの創業社長には利益にならないので、その点は安心してよいと思う。)

 

鉄板は日向先生のこちら: 

成田先生のこちらは今年出たばかり: 

セイン先生のこちら: 

 

「学習」より「実用」に軸足を置いている人で、特に「ビジネス英語」方面は日向先生のシリーズ: 

IELTSやTOEICなど試験対策本以外の学習者向けの本では行方先生のシリーズ: 

 

先ほど見たブログ記事のひとつ、石井洋佑さんの記事で、「組版から全部やり直しになるので、DHCで絶版になったものを別の出版社が引き受けるということもなかなか難しい」というご説明があるのだが、その点、確かに「英語についての日本語の本」という特殊性があるので、A社の縦書きの単行本をB社が文庫本にして再発といったときのようにはいかないだろう。特に行方先生の本は組版も凝ったものがあって(フォントの使い分けがすごい……というか90年代の作り方をしている)、この時代によくこれだけ凝った本を出していたなと、今回入手して感心しているのだが、確かにこれは出版社を変えるのも難しいと思う(組版ごと権利が移譲されるといいんですけど)。

(これもよさそうな本なので中を見てから買うかも。出たばかりでこの事態は、本当に大変……)

 

以下、vanについて、ちょっとだけ補足。英英辞典を見てみたんですが……という話。いつもありがとうございます。

*1:といっても陪審制のイングランドには「法廷侮辱罪」というものがあり、法廷や法廷に提出される書類で語られていないことをメディアが報じることはあまりないので、あっさりしたものであるが。

*2:かつてそこからは青い鳥が飛び交うさまが見られた。

*3:このほか、「拘置所」には死刑が確定した人が死刑執行までの間に入れられるのだが、その側面についてはここでは割愛する

*4:だけど「留置所」という表現自体、ほとんど見かけない。He's in custody. 「彼は(警察に)身柄を拘束されている」というように表すのが一般的だ。

*5:どうでもいいけど、こういうとき人間なら即座に切り替えられるが、「過去のデータを学習して、今出力する」というAIの仕組みだと、なかなか難しいだろうなと思う。HerがHisに切り替わった翌日は、参照すべき過去のデータの蓄積が皆無で、そういうデータが蓄積されるまでにはそれなりに時間がかかるわけで。あと、そういう蓄積ができてHMPSの最初のHはHisだというのがお約束になってしまったあと、例えば「この文章では2020年の話をしているのでHerで解釈しなければならない」というときにHisで出力しちゃったりもするだろうし。

*6:日本語の「未決拘留者」はこれまた「死刑」という文脈での用語なのでこれまた違っていて、単に言葉と言葉を置き換えるということができない。

*7:以下、引用文中の太字は引用者による。

*8:これらは車を運転しない私でも知ってるレベルの有名な日常の車両なのでここで名前を挙げたが、それらに限らないことをお断りしておく。

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