Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

to不定詞が主語の文, 固有名詞につく定冠詞, 接触節, など(メルケルが退任に際して選んだニナ・ハーゲンの曲)

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今回は、前回、本題にたどり着く前に6000字を超えたので書けなかった本題。前置き的なものは前回のエントリをご参照いただきたい。

というわけで、今日2021年12月8日、ドイツ連邦議会がオラフ・ショルツ氏を首相に選び、議場において就任の手続きがとられ、「ドイツといえばメルケルさん」という時代は公式に終わりを告げた。

Politicoのこのツイートを見るまで私は知らなかったのだが、ドイツでは首相 (ChancellorであってPrime Ministerではないことに注意) 就任時の公式な宣誓のことばとして、最後に「神よ、私を助けたまえ」という文言を言ってもいいし言わなくてもいいということになっているそうだ。前任者のアンゲラ・メルケルキリスト教民主同盟という政党の人だし、当然その文言を言っていたそうだが、今度のショルツ新首相は社会民主党という宗教とは関係のない政党の人で、同党から出たこの前の首相、ゲアハルト・シュレーダーと同じく、その言葉を言わなかったそうだ。これはたぶん、米国(の一部)で大変な騒ぎを引き起こす。だからニューズバリューがあり、Politicoのような媒体までもTwitterでまででかでかと書き立てるのだ。

ともあれ、こうして16年余りという長い在任期間を終えて「前首相」になったメルケルは、先週行われた軍楽隊による退任式典で、讃美歌と、60年代末の「若者の反抗」を歌った女性歌手・作詞家によるポップソングと、そしてニナ・ハーゲンのDu hast den Farbfilm vergessen (英語にすればYou forgot the colour film) という曲の3曲を選び、英語圏メディアに「ニナ・ハーゲンてwwwww」とお茶をふかせ、悶絶させたのだった。

www.theguardian.com

ごちゃごちゃ書いてるとまた本題に入る前に字数を使い切ってしまうので、早速本題に入ろう。「受験英語」(学校英文法)てんこ盛りの一文。

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https://www.theguardian.com/world/2021/nov/29/angela-merkel-punk-pick-for-leaving-ceremony-raises-eyebrows

キャプチャ画像の一番上のパラグラフ: 

But even to embrace her East German identity is a move uncharacteristic of the Merkel her country has known during most of her 16 years in power, when she rarely brought her eastern upbringing to the fore.

この文、ぱっと見て読めただろうか。これが一読して理解できた人はきっと英語が得意科目で受験のときに得点源にできるに違いない。

誰もがざっと眺めただけで「長い文だな」と思うに違いないし、そう思ったときの定石としてどこか区切りを見つけようとした場合には "... power, when she ..." のコンマと "when" に目が行くだろう。ここまでが下準備(ここで詰まっているようでは基礎力が足らなさすぎるので中学英語からやり直し)。

というわけでこのコンマの前までの部分をまずは見ていこう。まずは動詞を探す。探せただろうか。そう: 

But even to embrace her East German identity is a move uncharacteristic of the Merkel her country has known during most of her 16 years in power

太字にした "is" がこの文の述語動詞(V)である。

では主語は、というと、それはその前にある "(even) to embrace her East German identity"。"even" をカッコに入れたのは、これが添え物(《強意》の修飾語)だからで、本体は "to embrace ..." という不定詞句。そう、これは《to不定詞の名詞的用法》が文の主語になった形だ。こういう場合、一般的には形式主語のitを用いて、"It is ~ even to embrace..." という文にするのが好まれるが、書き手の意思や気分、伝えたいことによっては、形式主語を使わないでto不定詞をそのまま主語にすることがある。この文はそのケースで、「彼女(メルケル)の東ドイツアイデンティティを受け入れること」を最初にずばっと言っておきたかったのだろう。

東ドイツアイデンティティ」というのは、前回述べたように、メルケル自身が東ドイツ育ちであるということを直接的には言っているが、メルケルが選曲したニナ・ハーゲンも東ドイツ出身のアーティストであり、使われた曲自体が東ドイツのことを歌っている(と広く一般に解釈されている)ということをも述べている。おそらくこの文の書き手が日本語で書くとしたら、"to embrace her East German identity" は「自身の東ドイツ性をはっきりと示し、それを受容してみせること」みたいに書いているだろう。

さて、この主語と動詞に続く部分: 

a move uncharacteristic of the Merkel her country has known during most of her 16 years in power

これは文の《補語》なのだが(文型はSVC)、本体は "a move" で、残りのだらだらと長い部分は修飾語句である。つまりここまでで「彼女が東ドイツアイデンティティを受け入れてみせることですら、~な動きである」という意味。その「~」の部分がまた読みづらい。

まず、下線で示した "uncharacteristic" は《形容詞》なので、通常は名詞の前において "an uncharacteristic move" とするのだが、ここではそのuncharacteristicにさらに語句が続いているので、その語句ごと名詞の後ろに回されている(形容詞句の後置修飾)。

uncharacteristicという形容詞は、前置詞ofを伴って、"uncharacteristic of ~" の形で「~らしくない」という意味を表すが、ここで "~" の位置に来ているのが "the Merkel"。出た、固有名詞についているthe! そう、THE Bruce Dickinsonのtheである。これについては少し前に書いたエントリがあるので、そちらをご参照いただきたい。

hoarding-examples.hatenablog.jp

このエントリのようにはバズっていないが、このエントリに端を発する一連のエントリは、下記の「カテゴリ」で一覧できるようにしてある。

hoarding-examples.hatenablog.jp

それと、これとは別に、今年のノーベル文学賞を受賞した作家のインタビュー記事にも、この「固有名詞につくthe」の例が見られた。

hoarding-examples.hatenablog.jp

というわけでこの "the Merkel" だが:  

a move uncharacteristic of the Merkel ( that her country has known / during most of her 16 years in power )

カッコでくくった部分がこの "the Merkel" を修飾し(《限定》し)ている形で、この節は関係代名詞のthatまたはwho(m) が省略された《接触節》になっていて、つまり上述のグルナのインタビューにあった "The Britain he lived in was so white that, ..." や "The Africa he depicts is more complex ..." と同じ形である。

この接触節の中は、前置詞のduringの前で一度区切ると、意味のまとまり(センス・グループ)を正確に把握することができる。つまり、この部分の意味は「彼女が権力の座にあった16年のほとんどの期間、彼女の国が知っていたあのメルケルにはそぐわないような動き」(直訳)となる。小さなところだがmostの使い方にも注目しておこう。

で、そろそろ当ブログ上限字数的にやばいんだけど(この後、最後にニナ・ハーゲンについて少し書いてるのでその字数もある)、いったん区切って取り除けておいたコンマから後の部分: 

during most of her 16 years in power, when she rarely brought her eastern upbringing to the fore.

これは、"(most of) her 16 years (in power)" を先行詞とする《関係副詞》で、コンマを使った《非制限用法》のwhenである(この先行詞は、だらだらと長くてわかりにくいと思ったらカッコに入れてある部分を取り除いて考えてみるとよい)。「その期間、彼女は東で育ったことを前景化することはほとんどなかった」。

準否定語の"rarely" の使い方にも注意しよう。

  You can have the camera if you like. I rarely use it nowadays. 

  (よかったらそのカメラあげるよ。最近めったに使わなくなってるから)

メルケルが首相だった16年の間、彼女は自身が東ドイツ出身であること(生まれたのは西だが、育ったのは東である)については淡々とした態度だったのだが、最後にどかんと「東ドイツ」を打ち出してみせた、というわけだ。

この人、めっちゃパンク。性格がパンク。

 

ニナ(ニーナ)・ハーゲンは、80年代にここ日本で「洋楽」が好きだった人の一部には非常になじみ深い名前だろう。そのころ、「メタルしか聴かない」「黒人音楽、R&Bやファンクしか聴かない」「ディスコしか聴かない」といったいわば「派閥」の中で「パンク/ニューウェーブしか聴かない」という派閥があり、その中ではものすごく有名な名前だ。またこれらのような「~しか聴かない」という狭い縛りにこだわらず、「洋楽」のラジオを流しっぱなしにしていたような人たちも知っていただろう。音楽雑誌(雑誌自体に「メタル」とか「ニューウェーブ」とかいった区分があったのだが)にはよく取り上げられていたし、きっとラジオでもかかっていたに違いない。だけど私には、そのころの彼女の音楽の具体的な記憶がほぼなくて、雑誌でよく見たその奇抜なルックスと圧倒的存在感で、「ニナ・ハーゲン」というカタカナの名前を完全に覚えてしまったことだけが確実である。もちろん、私のようにぼーっとしていたわけではない人たちもいて、その人たちは彼女の音楽をはっきり具体的に記憶していることだろう。だが、今調べようとしても、彼女の音楽の日本での受容がどうだったのかをたどることは、意外と難しそうだ(ウィキペディア日本語版にも日本での受容については書かれていない)。ネットではなく紙の本を探さないとはっきりしないだろう。一応、ディスク・ユニオンのカタログが日本でのリリース作品のデータベース的に参照できるかもしれない(日本盤でないものも入っているので、人力でのフィルタリングは必要)。

ハーゲンは1955年に当時の東ベルリンに生まれた人で、54年生まれのメルケルより1年若いが、同じ時代を東ベルリンで過ごしている。2歳のときに両親が離婚し、母親に養育され、11歳のときにその母親が東ドイツの反体制アーティスト、ヴォルフ・ビアマンと結婚した。ハーゲンは子供のころからバレエや声楽になじんできたが、10代で東ベルリンのロックバンドにヴォーカリストとして参加した。このバンドの1974年のヒット曲が、今回メルケルが退任に際して選んだ「カラーフィルムを忘れたのね」(と、謎の「だわのよ」で訳されている曲名)で、これは旅行に白黒フィルムしか持ってこなかった彼氏に文句を言うという体裁で色のない共産主義の世界をあてこすった歌と(正しく)受け取られてヒットしたという。

www.youtube.com

1976年、つまりハーゲンが20歳か21歳のころ、ビアマンが国の特別許可を得て西ドイツでコンサートを行ったのだが、帰国が認められないという陰湿な手で国外に追放されたときに、ハーゲンも「父と一緒に暮らしたい」ということで西ドイツに脱出し、以降、彼女は西側でミュージシャンとして活動。70年代後半のロンドンのミュージック・シーンを経験し、80年代には米国で活動する。彼女にかかれば、例の "My Way" もこのとおり。

www.youtube.com

日本にニナ・ハーゲンが盛んに紹介されていたのは、この米国時代のことだ。CBSという大手レーベルに属していたので、音楽雑誌で取り上げられることも多かったのだろう。記憶にある限り、「パンクの人」というより「ニューウェーブの人」だったが、気づいたときにはもうUFOとかの方面に行っていて、「変わった人」と思っていた。今、本稿を書くためにウィキペディア(英語版)を一通りみてみたら、"a supporter of HIV/AIDS denialism" だそうで(つまり、HIVウイルスとAIDS: 後天性免疫不全症候群との関係を認めない立場の人たち。ハーゲンが支持していた運動の主導者が2008年にAIDSで亡くなっているそうで、今はどうかわからないが)、何とも言えない気持ちになっている。メルケルさんにとっては、「それはそれ、これはこれ」だろうし、そもそも「カラーフィルム」の曲をハーゲンが歌っていたころは、HIVウイルスもAIDSもなかった(UFOだの宇宙人だのはあっただろうけど、東側でそれがどう扱われていたのかは私は知らない)。

 

 

そういえばアンゲラ・メルケルと色といえばこれがあったね。2012年のドイツの新聞より: 

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https://twitter.com/annainaustin/status/225976537160220672

国際的な場では、メルケルの服が男たちのダークスーツの中で唯一の色らしい色になっていることもよくあった。まさに「紅一点」という日本語の慣用句の通り。

ヒラリー・クリントン国務長官のときの写真かな。

パブリック・イメージとして「メルケルといえば、色」なんだね。下記のイケアの広告。

下記の写真。物理学者だったアンゲラ・メルケル博士が政治家に転身して最初の選挙のときの写真。この選挙は東西に分かたれていたドイツが再統一して最初の選挙だった。

メルケルさんといえばサカバカ伝説。

でもメルケルさんより強いのがアイリッシュ。2012年、アイルランドEU bailoutを受けて何とかなってたころの一枚: 

 

※最後のツイート貼り付けを除いて6000字くらい。長いよね。

 

 

 

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